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AIとポジティブに生きる・その2(職業編)

思い返せば幼少期、改札には常に駅員さんが立っていた。見上げたそのおじさんに切符を渡すと、パチン! と鋏(ハサミ)を入れてくれる。硬くて厚い切符であればあるほどその音は大きく、お出かけにワクワクしている私は「いってらしゃい」と送り出されたようで爽快だった。切り抜いた切符の小さなゴミは、薄暗い床に銀河のように散っていて、しばし眺める。
ええ、ええ。お若い方はご存知ないのでしょうね。昭和女の昔語りでございますよ。

駅員さんはそれぞれ独自のリズムとテンポで切符を切り込み、接客していないときはお客が改札に来るまで、チャンチャンチャカチャン、チャンチャンチャカチャンなどと鋏を鳴らしていた。とりわけ地下鉄などの反響のいい場所にある改札は、廊下の奥の奥まで鋏の音が鳴り響いたものだ。
天賦のリズム感を持ち、さらにこの道十数年のベテラン駅員においては、もう立派なパーカッション芸の域に達し、クルクルと鋏を回したり持ち替えたりしながら、悦にいって鋏を入れる。さながらその手わざは、映画『カクテル』のトム・クルーズのよう。
「カッコイイ……‼︎」
いったい何人の少年たちの心を震わせていただろうか。毎日、大好きな鉄道に触れられるうえに、ショータイム付きだ。将来は駅員さんになりたいと「改札鋏(かいさつきょう、と言うらしい)」のレプリカを買ってもらって、彼らは日々その技を磨いていた(オモチャになるほどだから需要の高さがうかがえる)。

それが今、なんだアレ、そう、自動改札機。
早く一人前のパーカッショニストになりたいと、日々鋏をふるっていた男子たちは大きな挫折を覚えたに違いない。
改札にあの小気味よい素敵なリズムはもうなく、とうにおじさんになった元少年たちの背中には、ピッピッだとかピヨピヨだとか、小馬鹿にしたような電子音が追い打ちをかける……。

           

時代の流れとは時としてかように残酷なものである。

気がつけば近所の大型スーパーはどんどんと機械化し、ロボットが清算を始めた。レジに人がいない! 子育てからいったん手が離れ、パートで働き出そうとしているママたちの怒号が聞こえる。

空港に行っても自動精算機にパスポートをスキャンさせ、チェックイン。エアチケットが自動で出てくる。そして荷物は機械が重さを測って飲みこんでいく。かつてのようにカウンターで、お世話をしてくれるグランドスタッフさんはどこへ行ったのだ。

しかし釣りが好きな我が家は、長さ制限のために釣竿を機械に入れるわけにはいかず、荷物を預けるための専用カウンターに行く。
グランドスタッフさんたちはそこにいた。いやはや、彼らは最上のスマイルで迎えてくれる、超がつく感じのいい人たちであったよ! 飛び抜けた美人だとかド級のイケメンだとかではない。底抜けに「感じがいい」のだ。もはや一人ふたりがカウンターに立てばいいこの状況で、この人たちはきっと航空会社きっての好感度なんだろうと確信する。
大量に面接にやってきた感じのいい学生たちの中から選ばれ、その合格者たちの中でもトップ・オブ・トップの「THE 感じいいest(最上級)」がカウンターに立てるのだろう。

ホテル、レストラン、ショップ、電話のオペレーター。並みの好感度ならロボットで代用される。むしろロボットのほうが感じいい。失礼があってもロボットだからと許される。
この前、AIが電話接客をしていたのをネットで聞いたのだが、もうそこらへんのお姉さんより対応がスムーズ。声もナチュラルで、言われなければAIだとかわからない。話しているお客さんもAIだと気づいていないようでポンポンと話を進めていく。そしてもし、お客さんと話が深く込み入ってしまったら、人間にバトンタッチもできる頭の良さ。もたもたしている新人よりずっと機転が利く。
ホテルのフロントマンだって、安さが売りの中級ホテルならロボットが対応するのだろう。ハウステンボスではもう恐竜ロボットがフロントマンだし。満足感が売りの高級ホテルや旅館のみ、人間が対応するのかもしれない。
ヤバいよヤバいよ。もはや超がつく好感度ではなければ、接客させてもらえない時代がくるよ。

私の旦那さんは雑誌や書籍などのデザイナーなのだが、毎年送られてくる素敵な年賀状を見て言う。
「誰か悪魔のデザイナーが、いろんな雑誌レイアウトのパターンを作れるソフトを発売したら、いったいどれほどのデザイナーが食いっぱぐれるのだろうか」と。
クリエイティブ部門はAIにも強い業種だろうと思っていたが、甘かった。簡単に素人が年賀状ソフトに写真や文章を組み込んで、クオリティの高いハガキを刷り出しているのをみると、あながちそらごとではないなと思う。
もちろん、本当にグラッフィクで真っ向勝負している美意識高めの雑誌は、それこそトップ・オブ・トップのデザイナーが呼ばれるのであろう。しかし情報を伝えることをメインとしている雑誌は、そういう自動レイアウトソフトを駆使して低コストで作るに違いない。並みのデザイナーでは職を失うのである。
もっとも、その前にあらかたの雑誌が消えてしまうかもしれないのだけれど。

弁護士だってそう。AIが過去の判例と照らし合わせて対応するならば、生身の弁護士が呼ばれるのは、よっぽどのレアケースかまったく新しい事案のみではないかと思う。それこそトップ・オブ・トップの弁護士が呼ばれるのかもしれない。
医者だって、AIが過去の症例のデータと照らし合せてどんどんと診断するならば、生身が呼ばれるのは、レアケースや難病、複数の病気が絡み合った症例など。それこそトップ・オブ・トップの医者しかいらない。インフルエンザだとか結膜炎程度では、生きた医者に会えないのかもしれない。

そのほかにも、この島国日本で英語を身につけるには、それ相当の投資がかかるわけで。立派な国際人になるのよと、幼少期からせっせと英語教室に通わせて時間とお金をこれでもかと投入したのに、「翻訳コンニャク〜!」が開発されたら、目も当てられない。コンニャクでなくていいんですけどね。

すわ、改札鋏の恐怖、再びである。
子どもを持つ親の身としては、じゃあどんな職業を目指せばいいの! どんな「手に職」を付けさせたらいいのさ! と半ギレしたくなる。

AIに負けない能力はどうやって伸ばすのか。これはもう、トップ・オブ・トップになるしかないのだ。
本当に⁉︎ 三十二点のテストをとってきたり、テスト当日の朝に「英単語の暗記は全部惜しいところまできた」と呑気にほざいているウチの息子が、本当に何かのトップになれるの? 

ど、どうだろう。
ただわかることは、情報や知識で、将来はこれが得だ損だと判断しながら職業を決める。もうそういう時代ではなくなるということ。
もちろんこの先もITだとかAIだとかが、ちやほやされるに違いない。
プログラミングにめちゃくちゃ秀でているのなら、その業界に入ると将来は明るいのだと思う。親も薦めたくなる。が、おそらくそこを目指す人たちはあまりにも多く、常に人材は過密。その中のトップ・オブ・トップたちが、一つふたつ優れたソフトを作ると、もう分野はそれで寡占されてしまう。
もちろん、それでもプログラミングが大好きならその道を目指せばいいのだが、たいして好きでもないのに、これをやっておくと将来いいかもと思って始めても、本当に才能ある人たちに押しつぶされてしまうのではないかと想像する。
IT向きに生まれついていないのだったら、諦めよう。IT業界に無理やり押し込んでも、待っているのは悲劇だけかもしれない。

トップになるには、もういやいや机にしがみついて、ムチ打たれながら学んでいる場合ではないのである。いやいや学ぶなんて効率悪すぎる。自分が得意な分野を徹底的に伸ばすしかないのではないか。

それでは得意とは何か、どうしたら伸びるの?
そこで思い出すのは知り合いの元プロサッカー選手が言っていた言葉。日本代表にも選ばれたのだから、トップ・オブ・トップと言ってもいい。
「自分のサッカー技術が伸びているときは、楽しかった。伸びるって、楽しさと共にあるんだと思う」と。
もちろん、辛くなるときもあったという。でも、好きだからなお一層の努力もできたのだろう。実にシンプルだ。
伸びる分野はやっていて楽しい。得意な分野は大好きだから頑張れる。
親があれをやれ、これがこの先いいぞ、などと導くものではないのだ。楽しいだとか、まだまだ伸びそうだとか、この分野でやっていけそうだとかの感覚は当人しか知りえないのだから。
親ができるのは子どもの楽しそうな顔を確認するぐらいだ。

これからは会社の色に染まりますといって、多少の不向きがあっても、会社に自分を合わせていく時代ではなくなる。さらに大企業も中小企業も、多少の不向きがあっても、多めに見て雇ってくれる時代ではない。窓際族なんていう、不向きでも雇用してくれる優しい部署はなくなると思ったほうがいい。寛容さが、余裕が、社会から失われている。
そしてより厳格な適材適所が追及される。ロボットをフォローする、ロボットに代用できない能力が問われるのだと思う。

トップ・オブ・トップと言ったけれども、それはあくまでも比喩で、何もその分野のワールドカップチャンピオンにならなくていい。ただ、大会に出場できるぐらいの技量はほしい。
要は、並ではない、ハッタリでなはい、人に売り込めるような得意分野があること。トップを目指せるような集中力を発揮できる分野。その分野のためなら努力を惜しまず、何時間でも打ち込めそうな。

そして得意分野は一つに絞らなくていい。二つ、三つ持っていたほうが強い。そうしたら、一つで挫折してもまだ希望がある。複数を融合させて、新しい分野のトップになってもいい。
一つ目のフランス語力と二つ目のアイドル好きを合わせて、フランスでアイドル公演をプロデュースしたりしてもいい。一つ目のフランス語力と三つ目のそば打ちの腕を合わせて、フランスでお蕎麦やさんをやってもいい。どんなものになるかはわからないが、アイドルと蕎麦を組み合わせてもいい。
ナンバーワンにならなくてもいいわけで、それこそ特別なオンリーワンでいいのだ。
なぜなら今のところAIは、専門性に特化した作業に優れているのであって、アイドル+フランス語なんていう複合した作業用には作られていないのだから。

さて。改札鋏を鳴らしていた彼らは、その後どうしたのだろう。
あのひたすらに磨いた技は何かに生かされただろうか。
どストレートに鉄道会社に務めたかもしれないし、マニアックな性格が生かされた仕事にでも就いているのかもしれない。人前で何かを見せたいという気持ちに火がついて芸人に、あるいはジャグラーになっているのかもしれない。どこかのライブハウスでシンバルでも叩いているのかもしれないし、意表をついてバーテンダーになってすごい手わざでカクテルを作っているかもしれない。
必死に鋏を振るったことが大事なのだ。駅員さんにはなれなくても、あのときのような何かに夢中になる感覚。どんな職業でも構わない。それを追い続けていけば、彼らは今でもハッピーに違いない。


ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️