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小学校の授業参観を見て思ったこと

今日は小学三年生の息子の授業参観でした。
2時間だけ参観できるとのことだったので、
過去に見たことのある国語、算数はパスして、
今日はあえて社会と道徳の授業を見学。

社会は、地域の中で見守りをする役目を担う人の
役割やその目的を考える授業。
道徳は、電車で悪いマナーの人やそれを取り巻く人の感情やそれを見た自分の気持ちを伝える授業。
どちらも算数や国語のように明確な答えを見つける授業ではない。

この類の授業って、白黒はっきりするものでもないので、
点数化されにくい点で、
親もどうでもいいと思いがちだったりするけれど、
私個人は、この類の授業こそ、
最も先生の教師力が試されるし、日本人がもっと注力すべき授業だと思っている。

自分の意見を述べる(わかりやすく伝える)、
人の意見を聞いて、多様な視点を養う・考える、
このようなアウトプットスキルは、
自分のパフォーマンスを表現したり、
自己実現をする上では、
実社会では最も重要だったりする。

俗にいう、頭は良くても協調性がない人や、
人の意見を受け入れられない人って、
こういう社会・道徳の授業が必要だったりする人も多い。

ただ、今日参加していた子どもたちの中には、
「めんどくさい・・・。」
「つまらない・・」といった、
授業放棄する様子の子も意外と多くて、
貴重な機会がつまらない時間に終わるなんて、
なんとももったいないなぁと感じてしまった。

確かに、授業そのものは、
SwitchやTVゲームや体育のように、
競り合ったり、答えを見つけたりと、
ワクワクするものではないが、
ディスカッションは他国では当たり前のように
小学生でもやっているし、
日本でさえも社会に出れば、
ディスカッションすることは組織にはいれば、
当然当たり前のようにある。
誰かが決めてくれると指示されるのを待っているだけだと、
組織を発展させていくうえで、
「君は要らない」という人材、もしくは使われるだけの人材という風になってしまうだけだ。

日本人がディスカッションやアウトプットスキルで諸外国より劣る点はかなり前から指摘されており、すでに教育業界においても、
課題解決型の授業やディスカッション形式の授業がもっともっと求められ、
子どもたちのスキルを身に着けさせることは必要となっていくだろうと思っている。

本当は意見を出し合うこと、ぶつかること、
議論して着地点を探ることは
楽しいことだということを、
子どもに体感してもらうために、
意見をアウトプットさせる方法を考えたり、
より答えやすい課題に修正し、
わかりやすく伝えていくこと、
つまり、
先生方のファシリテーション力は、
今後ますます求められていくのだろうなぁと感じて帰ってきた。

私は控えめな日本人の国民性は比較的好きだ。
それが他国より高い協調性にとリンクしている面でもある。
しかし、みんな個々人が意見がないわけではない。
声が大きい人の意見が必ずしも正しいわけでもないし、声が小さい人の意見が必ずしもマイノリティーなわけでもない。
親も家庭では自分の意見を伝え、
子供の意見を傾聴するなどして、
アウトプットする機会をどんどん作っていきたいと思ったひと時でした。
スキルは家庭でも培うことはできるのだ。

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