先週は夜になったら冬の匂いがするようになったことに驚いていたのに、5日も経ったらもう夜が冬なことにはすっかり慣れてしまっていて、季節の早さに愕然とする。 10月が終わって、11月が始まった。人為的な区切りにも、身体で感じる変化にも、私はまだ追いつけていない。 金木犀は散った。散ってからは匂いももう思い出せない。ススキはまだ光っていて、銀杏並木は色づく手前。 去年はベトナムに居て見ることのなかった景色だから、一つ一つが新鮮で嬉しい。 * 昨日、いつ来るのか分からないバスを
半袖が心許なくなったと思ったら、パーカーでは汗が滲む暑さになった。秋の気温の変化は難しい。でもそんな天気も秋らしいと目を細めている間に、一気に生活が加速した。 長い休みを終えて学期を始めるたびに、身にかかる風圧が強くなることに驚かされる。こうも私の生活は穏やかになっていたのかと、加速してはじめて気付かされる。 大学3年目の秋、良きものにしたいもんだ。 来学期以降の身の振り方に関してはまだ悩んでいるし、生活が変わったので考えも変わりそうではあるけれど、取り急ぎ、また始まった新
季節のカレンダーが一気に捲られ、急にTシャツが肌寒く、夜長のおでんが愛おしい日々になりましたね、私はこういう変化を愛しています。 眠れない夜が多くて困ってはいるけれど、仕方がないので茄子か何かを買いに行こうか、夏の終わりの秋茄子はきっととろりと美味しいだろうから。なんて考えつつ、日記と称して何かをしたためようとしている夜明けです。 この間は、インドネシアからの留学生の子と一緒に、江ノ島に行ってきました。 江ノ島の裏の稚児ヶ淵は神奈川に越してきてから何度も好んで来ているお気
この夏はすっかり旅の人となってしまい、趣味の”生活に占める割合ランキング”が、読書 >>>> 運動 >> 旅、から、旅 >= 自転車 >>> 読書、へと変動してしまったのですが。。 旅の中で読んでいた本や日常の合間で開いていたページなども多少は存在し、それらは少なからず私の思惑を引っ張ったり押したりしていたことだろうから。ここに残したいと思います。 この夏は自分の外の物事を深く考え込むということを殆どしなくなっていて、その分無意識的な思惑や、移動距離に比例した思考量の増加、
1週間ほど前に旅を終え、いつもの部屋でいつもの日常を送る日々に戻ってきた。 そして、旅を終えた次の日、初めての一眼レフを購入した。 いつもの部屋と言えど、1年前の汚いけれども本だらけで居心地がよかったあの部屋でも、半年前の汚い川の横のホーチミンを見下ろすシンプルなあの部屋でもなく、というスパンで変わっている部屋でしかなく、 またいつもの日常と言えど、まだ5ヶ月目のこの部屋の中で真っ当なルーチンなども生まれるはずはなく、 単に寝る場所が定まり、行くべき場所に悩まないで済む日々
8月22日に出発し、神奈川の藤沢から鳥取の用瀬まで、累計1,000km弱を走った自転車旅の記録。 これだけ長く漕いでいると意識的な思考というものは難しく、だけどその分、目と心に焼き付けた景色は多かったのではないだろうか? 20日間旅をしていたので考えることは大きく変化していて、もう思い出すことも難しいようなことも多くなっているけれど、それでも今残せるだけ、写真とともに振り返る。 1日目 藤沢〜御殿場 2日目 御殿場〜沼津〜静岡〜藤枝
数字として見ると驚きが隠せないのだけれど、8月22日に突如始めたこの旅も、もう18日目! 終着地点も最終日も決めずにここまで来たけれど、そろそろ身体が終わりを感じている。きっともう、この旅も終わるのだろう。 今は鳥取県は智頭町、山間の、水と緑が綺麗な町の旧家の庭園に居る。最期の蝉が鳴いているのを聞かながら、コーヒーとロールケーキを頂く、贅沢な朝。 . 18日間も旅をしていたので、考えることも大きく変化してきていて、はじめは全てが解放されるような心地の良い無思考状態だった
8月産まれだからか一番好きな季節は夏で、だから夏の終わりはいつも寂しい。どんな季節の終わりにも寂しさはあるけれど、夏の終わりのそれはひとしお。 残りゼミの最後のうめき、淡い夕焼けに浮かぶ入道雲、鼻に残る和らいだ草の香り。美しきこの景色は、美しいが故に私に、終わりを強く突き付ける。 夏の終わり。 激しさを際立たせるのはきっと終わりで、だから、寂しさこそが私の好きの最大のエッセンスなのだけど、そんな現実的な分析はきっと夏には相応しくない。 . 今は三ノ宮の居酒屋で一人トン
鳥取まで自転車で向かおうと決めて神奈川を発ってから、今日で6日が過ぎたらしい。今は滋賀の琵琶湖のほとりの友達の家に居候をさせてもらっている。 一昨日に愛知に着いて以降は、輪行と計画崩れとで2日間のんびりとした日を送っているけれど、緩やかな刺激に退屈しない日々が続いている。 自転車を漕ぐという行為の負荷が適度に強いからか、意識的・言語的な考え事はなかなか難しく、イギリスやら東北旅やらで飽和状態にあった脳みそが、無意識の領域で上手い具合に処理されているような気がして、とても良
旅の中の雑記。 日記なり雑記なり記録なりを、整理して書ける以上の密度で経験を詰め込むべきではないのではないか?という仮説が出来つつある。本、旅、人との会話、など私が大切にしたい全てにおいて。 現在、イギリスの2週間とこの東北旅、二つ分の丁寧な文章を、書きたい大きな文章として溜めている。もちろん今日の私にはこれらを書くに足るエネルギーがない。 今日は東北青春18切符旅、3日目。宇都宮→黒磯→郡山→いわき→高岡→仙台→松島→平泉と楽しみ、今は、盛岡から宮古に向かう山田線の上の
順当にあと5時間が過ぎれば、21歳になる。 既に、大切にされたくて大切にしたい先生にイギリスにて素敵にお祝いして頂いたから、今年の正規の誕生日への思い入れはそこまで大きくないのだけども、やっぱり節目は大切にしたいので、所感など書いて残そうと思う。 1年というのは抱負などを持つには長すぎるので、基本抱いていた思いなどは忘れ去られているものですが、20歳の初めの意は珍しく記憶に残っている。 「死なずに生きる。」 そんなこと書いたり言ったりしてしまうくらいにはハードな時期と重な
毎日自分に何が起きているのかを認識し切れないほどに色々なことが私の中に起きていて、ひとつき分くらいの出逢いと気付きと変化が1日に集約されているような24時間を10日分過ごしたので、日記のような形で駄文を連ねないと浦島太郎になってしまいそうで、書き殴るように文章を書くことにした。 日本に戻ったらまた時間を作って丁寧な文章を書きたいけれど、やっぱり渦中の文章にはそこでしか書けない生が詰まっていると思うしね。 . 濃密で変化の多すぎる日々を送っている。イギリスに来て10日目、日
最近、私の考えていることを誰かに分かってもらいたい、という欲求がぼんやりとある。別に大層な考えがあるわけではないけれど、うっすらと誰とも共感し合えないことへの孤独感などを覚えることが多くて、だから書いてみることにした。 ここ数ヶ月、可能な限り真っ直ぐに、自分や自分を取り巻く世界を見たいと思って、本を読んだり映画を見たり丁寧に考えようと努めているけれど、そういうことをしているといつも苦しくなる。 そういう時は走りに行くと楽になるので、私の脳は考え事にはあまり向いていないような
やっぱり旅は良かった。身体を動かすこと、景色が常に変化すること、私はこういうことを日常的にやらないといけないんだと思う。 たまに富士山が見えて、見えなくなって、海が見えて、見えなくなって、道が入ったり組んだりして、そうやって移動する。そうやって生きる。 . ベトナムから戻り藤沢でまた大学生になってはや3ヶ月。この間私はずっと、「何かが色々と分からない」という感覚に混乱させられていた。色々なことがよく分からなくなってしまっていた。 私は何がしたいのか、何ができるのか、今を
明日は7時20分からバイトなはずなのに全然寝付けなくて、仕方なくキーボードを叩いている。20時過ぎに眠くなってベットに入ったは良いものの、22時に目覚めてしまってから、再び寝ることができなくなってしまった。 労働やらその他の義務がなければ眠れない夜も好きなのだけど、今はお金がないことへの焦りなどもあり、ただただ苦しい。 止まらない侵略と虐殺、それでも続く安全な場所での私の生活。 悪意はないらしいが差別意識しかない友達のポスト。 虐げられている人への痛みなどなくとも、分かりや
藤沢に9月ぶりに戻ってきて、ちゃんと大学生に戻って、本日で10日経過したのだけど、生活が、あまりにも素早く流れ過ぎている。大学に戻るだけだし〜なんて少し余裕そうにしていたことが仇となったような気もするのだけど、目がまわりそう。インプットの多さにアウトプットが追いつかない。昨日今日でアウトプットを妥協することを少し覚えてきたけれども、やっぱり私は書かないと生活が上滑りしてしまう気がする。 そういうわけで、とりあえずの妥協ラインとして、日々の記録を綴ろうと思う。考えたことまで書い