自転車修行10日目、8月終わり、夏終わり。
8月産まれだからか一番好きな季節は夏で、だから夏の終わりはいつも寂しい。どんな季節の終わりにも寂しさはあるけれど、夏の終わりのそれはひとしお。
残りゼミの最後のうめき、淡い夕焼けに浮かぶ入道雲、鼻に残る和らいだ草の香り。美しきこの景色は、美しいが故に私に、終わりを強く突き付ける。
夏の終わり。
激しさを際立たせるのはきっと終わりで、だから、寂しさこそが私の好きの最大のエッセンスなのだけど、そんな現実的な分析はきっと夏には相応しくない。
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今は三ノ宮の居酒屋で一人トンテキを食べながらぼんやりとしている。なんとなくで始めた自転車旅も今日でもう10日目。
旅というのは良いもんだと思う。
この夏は色々な所に居て、色々なことを観て感じて、考えたり考えなかったりした。学びという観点からは諸々測れないのだけど、私は出来る限り私の身体で知ったことを根拠に物事を考えたり話したりしたいと思っていて、そういう意味で、良き時間を過ごしていたと思う。
自分が見たものしか信じない!というのはまた少し違うけれど、自分が信じるものの根拠は、出来る限りこの身体で感じたことである方が誠実だと私は思うので。
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そういえば、この旅を始めてから、良くも悪くも、深く考え込むということをしなくなってきた。
例えばマクドナルドやスターバックスで何か買って休憩をする、ということに罪悪感を覚えなくなってきているし、例えば5月や6月に憤っていた社会構造やイデオロギーなどへとの視線なども薄れてきている。
それは、今私が幸せで、愛されることで満たされていて、苦しくなくて、故に救われるべき周縁化された人に重ねられる私がいなくなっている、ということなのだろうけれど、苦しくなければ外への眼が無くなるのか?という部分に関してはおおいに疑問。
あの時の私の憤りはファッションだったのだろうか。
そんな自分に向ける怒りなどがあれば、そう悩むことなく安らげるのだろうが、今の私は幸せに溺れるばかり。それはある意味一番安らいでいるのか。。
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明日は徳島に行き、数日留まる。自然の中で、自然な私とだけ、一緒にいる時間を作ろうと思っている。
外への視線と同じくらいに、生身の私も大切にして良いのかもしらないから、この残りの夏はそういう時間にするつもり。
正しくありたいし、誠実でありたいけれど、私の求める正しさや誠実さは、人との関わりの中で初めて生じるもので、ならば単に自然の中に身を置いたとき、私はどうなるんだろうか?という漠然とした興味もある。
きっと悪くない日になるだろう。酔っ払ってきたので今日はもう終わり。
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