秋のはじまり、葛藤、写真と日記。
季節のカレンダーが一気に捲られ、急にTシャツが肌寒く、夜長のおでんが愛おしい日々になりましたね、私はこういう変化を愛しています。
眠れない夜が多くて困ってはいるけれど、仕方がないので茄子か何かを買いに行こうか、夏の終わりの秋茄子はきっととろりと美味しいだろうから。なんて考えつつ、日記と称して何かをしたためようとしている夜明けです。
この間は、インドネシアからの留学生の子と一緒に、江ノ島に行ってきました。
江ノ島の裏の稚児ヶ淵は神奈川に越してきてから何度も好んで来ているお気に入りの場所で、そう伝えたら皆凄く喜んでくれて、自分の好きを誰かが好いてくれるのは凄く嬉しいことだなぁとしみじみ思いました。
大学を辞める、日本から出る、という選択肢が現実味を帯びつつ浮上してきてからもうすぐ2ヶ月、私は本当に大学を辞めたいのか、そもそも何がしたいのか、など、見えない意思と未来に不安が隠せない毎日です。
イギリスでの日々は転換点のような気がするけれど、時間とともにあの高揚感が薄れ、何も考えない旅を通して多分自分に正直になり、旅から帰って現実的な諸々に目を向けるようになった今、色々と分からないことばかりで、季節の変化と同じくらいには落ち着かない心中に、あくせく?しています。
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大学生になってからは2年と半年が過ぎ、少なくとも順調には進んでいないと主観では感じるこの数年、間違えたとは言いたくないのだけれど、もう一度選び直したいと思う分岐がいくつかあります。
もし、大学受験の直前期に体調を崩さなかったら。
もし、受験直前に日和って志望校を変えなかったら。
もし、事件に遭わなかったら。
もし、事件の後ベトナムに行くという選択をしなかったら。
もし、ベトナムの会社の後、復学ではない道を通っていたら。
毎度至る結論は同じで、「どれも通らねば今の私に行きつかなかった、だからこれを問うのはナンセンス」なのですが、人のせいにしたくなることと、自分のせいでは絶対にないことが、今の納得出来ていない現状に導いている、と考えてしまうことは、私にはまだ上手くは咀嚼出来ない部分です。
過去を問うても悔いても意味がない、というのは分かりきっている事実だけれども、やはり何事も、物語として意味を持たせないと人類はきっとやっていけないもので、だからこそ、底をつくまで、悔やんで問うて、嫌気に浸ろうと。咀嚼出来ないながらに思ってもいます。
考えても仕方のないことだとは知っているので、良き塩梅を図って動かねばならないのも事実ですけどね。
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悔いの中でも共通しているのは、選択に於いて信念のような何かが欠けていたこと。
これは、何かを信ずることが怖くて決めかねて揺らいでいたという側面もあれば、
流れに身を任せた先でやれることをやれば良いと考えていたという側面もあり、
はたまた毎度そもそも何かを選ぶということを経験値の少なさ故に失敗していた、という事実もあり、
そのことへの単一の評価は下せないのだけど、
このまま惰性で大学続けるにせよ、思い切って道を変えるにせよ、次は信念持ってきちんと決めてやっていきたいなぁと思います。
それは例えば、
誰のことも取り溢さない社会を創るとか、
暴力や不条理で傷付いた人を救う力を身に付けるとか、
そういう類の大きさ、強さのものを。
でもなー、どうやって何かを決めれば良いのかねえ。なるようになるかなぁ。リミットがあるような気がすることと、お金がかかること、大義名分が欲しいような気がすること、などで、よく分からないなぁ、不安だなあ。
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そんなことを書き溜めていたら、とうとう夜が明けました。カーテンの奥が白いです。茄子を直売所に買いに行きましょう。朝ごはんを作りましょう。
大きな選択は難しいけれど、難しいからこそ、小さな日々の生活を大切にしましょう。
そんな先に、きっとそれなりに大丈夫な未来が待ってるんじゃないかな?今もぜんぜん、大丈夫だしね?
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