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ハタチ最終日。

順当にあと5時間が過ぎれば、21歳になる。

既に、大切にされたくて大切にしたい先生にイギリスにて素敵にお祝いして頂いたから、今年の正規の誕生日への思い入れはそこまで大きくないのだけども、やっぱり節目は大切にしたいので、所感など書いて残そうと思う。

1年というのは抱負などを持つには長すぎるので、基本抱いていた思いなどは忘れ去られているものですが、20歳の初めの意は珍しく記憶に残っている。
「死なずに生きる。」
そんなこと書いたり言ったりしてしまうくらいにはハードな時期と重なっていて。でも結局その抱負は様々ありつつ無事達成できたので素晴らしい。今私はちゃんとここにいるのでね。

そして。ベトナム行って働いてみたり、藤沢戻って葛藤してみたり、最後の2週間のイギリスで何かが諸々吹っ切れて楽しくなってみたりと、世間からの評価を無視すれば、学び多き、波乱多き、良き20歳だったと言って良い気がしている。

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いつからだったか。自分が歳を重ねるということや、自分がいつか順当にいけば30代になるということなどが想像出来なくなっていて、今も、今夜何かの線を越えたら明日には21歳になっていて、明後日も明明後日も21歳なんだということがなかなかしっくりこないのだけども、21歳はもう少し好き勝手生きようかな、と漠然と考えるようになってきた。

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今日、自転車で川を遡る旅をした。往復80km以上、もはや旅というよりも修行のような道程。
この中で私は、私は身体一つでどこかに向かうことが大好きで、だけど、そこに目的なんて本当は必要なくて、単に身体を動かして、景色が移ろいで、そういうことだけで私は幸せで幸せでならないんだと、気付いた。
出会いや発見やその過程で生じる変化などは確かに旅の醍醐味だけれども、でも、それは副産物であって、そんなものあってもなくてもその前段階で私は幸せなんだと。
象徴的な気付きだった。

何かをするにあたって、意義や意味や目標なんて必要ない。ましてや成長なんぞ望むもんじゃない。その先に何があるかなんて打算的な大人な考え抜きに、私はその何かをすることだけで幸せになることができる。そういう訳でこの1年は、もっと自由に好きに生きよう。
そんなことを思った。

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来年以降のことについて、半ば確信に近い形で考えていることがある。だからそのために何か特別な努力をする、というようなことは想定していないけども、着実に積み重ねたら、私がもっと楽で幸せになれるような未来が待っているんじゃないかと思う。
これは節目なので敢えて書くけれど、その時々ですべきことをきちんと積み上げよう。確かに目的なんていらないし、私がやる物事の意味だって考える必要はないけども、目前のやるべきことは一つ一つ丁寧にやっていこう。その上で、やりたいと心が動くこと、気になること、そういうものには、躊躇せずに飛び込めば良い。
そして何より、私が大切にしたい人たちを全身で大切にする。これは節目関係なく抱く決意。

そうしたらきっと、私の21歳は素敵なものになると思う。絶対に、素敵なものになる。
幸せになろう。幸せな21歳の1年を送ろう。

Happy Birthday、明日の私。
20歳の私より。




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