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私は君のぽっと出の友人〜大人になってからの人間関係〜

*要約
 高校を卒業し、予備校で浪人を始める筆者。そこで幸いにも良い友人に恵まれた。
 しかし、予備校で知り合った友人と接するうちに、その各々に小中高の歴史があること・自分はもはやその過去に介入することが不可能なのだということに気付かされ、高校以降の人間関係との向き合い方について悩み始める。


予備校で友達ができた

 4月、物理的に桜が咲く横を通り抜けて、私の予備校生活は幕をあけた。
 緊張していた。仲の良かった先生が「浪人時代に予備校でいじめに遭った」と話していたこともあり、とにかくこの1年は目立たず無難に消化試合をしようと思っていたのだ。
 頭が悪いとバカにされるのではないか。有名な高校でないから虐げられるのではないか。温室育ちでふやけた脳みそながらに最悪の環境とは何たるものかを想像した。

 しかし、全てが杞憂だった。
 クラスメイトがマジでみんないい人。
 あの、ごめん、すごく本当にいい人。

 私のクラスには同校の女の子が1人もいなかった。要は人間関係が白紙からスタートしたわけだ。
 そして浪人生という職業に女性は少ないのか、クラスの男女比は6:1くらいに偏っている。もう本物の東大より偏っている。
 少ない他の女の子たちはと言えば、高校繋がりの友人と固まっているor恐らく1人が好きなのであろう雰囲気の子。
 終わった──と思い、私は1人で粛々と生きる覚悟を決めていた。

 ところがそこで、思いがけずクラスの中心人物っぽい人と接触することになった。クラスの中心人物。私がこれまでの人生で相容れないと突っぱねてきたタイプの人間が、朗らかに私に話しかけてきたのである。
「話したことなかったなーと思って。話してみたかったんだよね」
 私は「話したことなかった」が実際に相手に話しかける動機になり得る世界線を知らない。この時点で思考回路の違いに卒倒しそうになってしまった。できることなら逃げたかった。努めて人の形を保っていないと溶けて無くなってしまう気がした。それでも辛うじて人として非礼でない程度の受け答えに成功した、つもりである。
 そうして私は彼及び彼の友人らと親交を持つこととなった。

 彼らがまーあ人格者なのである。
 「クラス全員で受かろう」と本気で意気込んで勉強会を主催して誘ってくれたり、私の壊滅的な数学力をどうにかすべく深夜まで質問に付き合ってくれたり、私が何となく泣いている時にご飯に誘って話を聞いてくれたり、などなど。
 私に優しくしてくれる人全員と友達になれたと自信を持って言うことはできないけれど、とにかく人に恵まれたと実感した。この人たちと同じ大学に行きたいと思った。

 うち何人かとサシでご飯に行って、身の上話をした。
 人生の話をする時には、浪人時代(浪人状態)の特権を感じる。客観的には聞きづらいことでも踏み込んでよくなる魔法がかかっている気がする。大学には何点差落ちだったか、どれくらい病んでどれくらいで立ち直ったかを我々はあけすけに話し合った。何学部志望という話から、将来はどう生きていきたいのか、そう思うようになったきっかけや主義信条とはいかなるものかに発展するまですぐだった。初めてのご飯で「人生で1番辛かった時期はいつか」などというセンシティブな話が出る機会はそうないと思う。どうせ落ちぶれ者同士なのだからと、半ばやけくその距離感でお互いを知った。

 6月までには、恐らく確実に友達と言えよう相手が3人ほどできた。性格は違うが、みな信頼のおける人たちだと思う。
 一度吐き出してしまえば止まらずに、親友にしか言ったことのないことまで打ち明けて苦難を預けあった。
 第2の青春だと思った。これが浪人効果であるなら、東大に落ちてちょっと良かったかもと思ってしまうくらい。

 ところが、彼らとの付き合いの中でそう遅くなく、私はある壁にぶつかった。

人にはそれぞれ過去がある

 私たちは今、浪人生という肩書きを背負って予備校という世界を共有している。一方、私たちが持ち合わせる世界は予備校だけではない。とりわけ私を悩ませるのは、それぞれに過去があるという動かぬ事実である。
 予備校の友人らと話していて、過去のトラウマを語り合う機会はかなり多い。過去と言っても大抵は中高時代のことだ。自分の身に起きた特定のショッキングな出来事が人格形成においてどのように影響を及ぼしたかを、公園のベンチに腰掛けながら、あるいはスタバの桃を啜りながら、ぽつりぽつりと零すのである。

 語りながら思うのだ。ちょっと前まで現在完了で続くところだった中高生活に、一旦の大きな区切れが入って、今やそれは過去時制で語るものになっているのだと。あの6年は自己存在の前提部分を作る時間だった、そして、今はその前提を行使して生きる局面に入ったのだと。
 聞きながら思うのだ。今の私がどう足掻いても、この話の時点の彼に手を差し伸べることはできないのだと。彼が中高で築いてきたものは、今の私には変えようがないということを。彼の中高の友人と比べて、私はぽっと出の何某でしかないのだと。彼が人格を形成する若い時期に触れる権利を、機会を、私は無自覚のうちに逃していたと。それが人生において不可避だということ。ここから出会う人たちとは、必然的に今までより「薄い」付き合いしかできないという絶望。

 人にはそれぞれ過去があり、それぞれが過去から築いた人間関係を持っている。大切な人がいて、忘れられないあの子がいる。
 それをリアルタイムで共有する術を、私はもう持たないのだ。
 大人になるということは、それを受け入れて人間関係を構築することなのだ。
 否が応でもそうやっていくしかないのだ。

私にもいっぱしの過去がある

 ここまで「他人の過去に介入することができない」とあたかも自分が被害者であるかのような語りかたをしてしまったが、当然私にも私の過去がある。それは他の人のそれと同様、新参者の干渉を許さぬ動かぬ過去である。
 自己紹介(↓)でも述べたことだが、私は中高一貫の女子校を卒業した。

 私は広く交友関係を持つ方ではない。「150人弱の変わらないメンバーと中高6年を一緒に過ごす」という特殊な環境にあってさえ、6年間で友達が1人しかできなかった。逆に才能かもしれない。
 その唯一の友人、いわゆる「ニコイチ」だった彼女、中谷紗季なかたにさき。教室の端でずっと2人で話していた彼女は友達ランキングで不動の1位であり続けるだろうと思う。彼女は親でも知らない私の秘密を知っている。これを愛と言わないなら何を愛と呼ぶのかわからない。私は紗季が1番好きだし、紗季は私を1番好きだ。どうしても彼女のことが世界一好きだ。
 ところが、紗季の何をそんなに好いているのか・何が良くてずっと一緒にいるのかと問われれば、明確な答えはないのである。単に好きなところを列挙しろと言われれば容易いことだ。でも、どの1つを取っても「中高6年をこの1人に捧げた」「たぶん今後も一生彼女を1番に愛する」という狂気を説明するには不十分。つまりは成り行き、なのだろう。きっかけはともあれ、既に1度きりの中高6年間を託し合ってしまったという戻れぬ過去が、ならば今後も愛し合って生きていこうと結論を出す。
 私にだって過去があるのだ。私は、私から見て1番好きな人という玉座を、これから出会う友人らに明け渡すことができない。今後出会う彼らも、たぶん私にそれを明け渡さない。
 それを前提に人と関係を築くのって、苦しくないか。どうせ自分がぽっと出の登場人物にしかなれないと自覚してなお他人と関係を築くモチベーションはどこから来るのか。みんな諦めているのか。どう受け入れているのか。私にはわからない。
 中学と高校で別の学校へ通った人だと、きっとそのギャップに折り合いをつけてやっていく術を何らか見つけ出しているのだろう。私はその訓練が不十分だ。紗季と2人の箱庭の外に、考えもしなかった苦しみがあった。


 小学校の人間関係はと突っ込みを受けそうなので記しておくと、紗季は中学入学と同時に小6まで住んでいた場所から引越していて、それまでの関係をほぼリセットした状態で私と出会っていた。小学校時代の話を聞いて多少妬くことはあったが、時間の厚みから言って私の方が上だからと何とか強がることが可能だった。

浪人期という特殊な時期

 ところで、今の私たちは、浪人期という人生においても稀な時間を過ごしている。

浪人は人生の状態異常

うちの母

 予備校で出会う全員が、人生に瑕疵を抱えて生きている。行きたい大学に要らないと言われた。それでもなお東大に行きたいと願い、諦め悪く王道を外れた私たち。
 だからこそ近い距離感で相手を知ることができるし、傷を舐め合い助け合える。
 落ちぶれ者としての劣等感。覚束ないアイデンティティ。負の感情を元に繋がった友人だからこその結束力は否めない。
 今予備校の友人らとは、中高までとは言わなくとも、きっと比較的「濃い」付き合いができているのだろう。彼らと比較すれば、大学で初めて出会う人たちは「ぽっと出」の存在になってしまうのだ。

ぽっと出の友人として生きる

 人格形成が最も進む中高時代、それから浪人期という苦しみの日々に比べて、大学以降の友人関係が希薄になってしまうのは仕方のないことだと思う。
 けれど、述べたように、私にはそれが苦しい。相手の過去に対して負け試合を挑むことを嫌ってしまう。
 どうにか折り合いをつけたい。前向きに友人を大切にしたい。この悩みは自分の中でかなり大きなものだったから、予備校の殆どの友人に相談した。そこで答えてもらったことを、自分なりに咀嚼しつつ記そうと思う。

①そもそもまだ私たちは若いし、世界を知らない

「いやー、まだ大学行ってもないんだぜ?」

友人

 私たちはまだ18,9歳だ。今後の人生には様々な可能性が待っているし、ここから10年付き合ったってまだ28,9歳。大学以降の人間関係が希薄だというのは、親や世間の先入観でしかないかもしれない。東大へ行けば多少突っ込んだ話でも乗ってくれるような相手がたくさんいるだろうし、今まで経験してこなかった種類のコミュニティ・人との関わり方を模索することになる。そこに深い人間関係を期待するのは自然なことだ。

②時間の厚みだけが人間関係ではない

「時間ってそんなに大事かな」
「そんなに一元的でもないんじゃない?」

友人

 単に時間の厚みのみで判断すれば、大人になってからの友人は幼なじみや小中高の友人を超えることはできないだろう。しかし、お互いに精神が成熟しきった状態で出会うことによって、密度の高い関わり合いができる。それによって時間を補える可能性がある。友人の価値は必ずしも一緒に過ごした時間の多寡により決まるものではない。

③ぽっと出だっていいじゃない

 この意見は恐らく②とも関連している。

「これから仲良くなれるとしたら、紗季さん以外の人でしかなくない」

友人

 友人関係は、何かしらの世界を2人ないしは複数人で共有するものだ。私は予備校の友人らと予備校世界を共有している。私が最愛とする紗季は京都大学へ進学したのでここにはいない。
 私は今、紗季から独立して、彼女には触れられない世界を予備校の友人らと形成している。紗季も京大でそうしているだろう。
 中学高校は、2人で閉じた世界に引きこもることが許されていたけれど、今は自然と新たなコミュニティに属することを始めている。この新世界を共に育てて築き上げていくことが「ぽっと出」の友人らと分かち合う使命であり、その成長過程に立ち会うことの価値は、既存の世界が保有する価値に劣るものではない。
 今までの私は、紗季しか友達がいない中高生活を送った弊害で、「これまでに2人で築いた世界がどれほどのものか」という1点のみに焦点を当てて考えていたように思う。それを測る分かりやすい指標は時間だった。時間的に紗季に敵う人は現れない。だから紗季以外には価値がない──というのが今までの私の論法だったが、2人で世界を築く途中の悦びや悲しみも友達を持つことの大きな意義なのだ。紗季を愛として恋にあたる感情を楽しめる相手ということだろうか。ここから彼らと仲良くなれる可能性は、彼らと中高を共にしなかった私に与えられた特権なのかもしれない。
 この意見は諦め方を指南する方向に近いのだろう。けれど前向きな諦めだ。

④今ここにいるということ

「今私の話を聞いてくれてるのは君だからね」

友人

 なう(2024/07/21 14:09:15)。私は人生のこの瞬間を、このよく分からないnoteを書くのに費やしていた。この事実は動かない。
 同じように、友人の話を聞いているのは、愚痴り合っているのは、励まし合っているのは、彼の過去がどうあろうと私でしかない。
 蓄積した時間がどうこうとか、友達ランキングどうこうには関係なく、今ここでは私と君だけの世界が発生している。そこに優劣を介在させるのはナンセンス。現在君のそばにいるのは私なのだから。人生はいつも「今」であって、最重視すべきものはそこなのだ。

君は私のぽっと出の友人

 ここまでたくさんの友人に意見をもらってなお、私は「他人の過去に干渉できないことへの劣等感」というどうしようもない感情を完全に制御できたわけではない。
 ただ、真剣に悩みに向き合ってくれる友人ができたのは間違いなく幸いなことだと感じた。

 君は私のぽっと出の友人。
 それなのに私は君のことを知りたいと思うし、君と仲良くなりたいし、過去に戻って救いたかったとすら思う。
 そのことが既に私にとっての君の価値を証明しているのだろうし、逆が成り立つとすれば、きっと私は君にとって価値のある友人なのだろう。
 
 まだ出会って日が浅いのは事実だが、我々は同じ大学に行くのだから。過去に囚われすぎず、紗季のことはもちろん一生愛しつつ、大人として築く人間関係を前向きに楽しんでいきたい。
 

「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」

‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭12‬:‭9‬-‭10‬ 新共同訳‬

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