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重ならない土曜日。

駅のホームでぼーっと電車を待っていたら、ランドセルを背負った男の子が後退りをしてきて、そのままぶつかった。さり気なく(決して冷たくはない)目線を向けてみたが、男の子は何事もなかったかのように友達と話し続けていた。

「他人にぶつかったら謝りましょう」と説教を垂れ流したいわけではない。わたしは、自分が死んだか、透明人間になったか、ここに存在しない、物体ではない、何ものかになってしまったのかと思った。わたしとぶつかっても「何も感じない」小学生の男の子の存在を、わたしはどのように受け容れたら良いのだろうか。



何気ない土曜日の朝、彼は学会がある(しかも主催する側)と言って、早々に家を出た。今年も、漆黒の背広を纏っている彼をみて「暑苦しそうだなぁ」と感じる季節が訪れた。

せっかくの土曜日なのに仕事かよ、と思わないのは、わたしがひとりの時間を楽しめるタイプの人だから。彼のお仕事を尊重したい──せねばならない、と思っているから。わたしはわたしで、自分のお休みを満喫するために、電車に乗って映画館に向かっている。お互いの人生なのだから、それでいいじゃないか。わたしと彼が「土曜日はふたりで過ごすべきだ」とは思っていないのだから、別にいいじゃないか。



当分パンケーキは要らないね」という話を月始めにしたばかりなのに、彼が起き抜けに「パンケーキが食べたい」と言うので自分の分と1枚ずつ焼いてあげた。気分というのはどうやったって変わるものである。意思の弱さとそれは無関係だ。

"パンケーキを焼かせたら西東京イチ"(引用:彼)のわたしは、焦らず弱火でじっくりとパンケーキを焼きながら、ついでにハンドドリップで珈琲を淹れた。引っ越しの際に自分の家のドリッパーはカリタの銅製のものに買い替えたので、もともと使っていたプラスチック製の円錐のドリッパーをとりあえず彼の家に持ち込んでいるが、やはり使い勝手が悪すぎる。これもカリタの銅製のものに買い換えねば、と思いながらも、とりあえずは大量に余っているフィルターを使い切るまではいいか、と、やるべきことを先延ばしにする。

大抵のことは上手に、卒なくこなせるわたしをみて、彼は『さすが一流の女』という。一流の女、という表現は好きではないけれど、何故か彼に言われると美しい言葉のように聞こえた。彼が、わたしに向けて、発した言葉だから綺麗なのだ。


パンケーキを食べ終わった後、彼がお風呂に入っている数分の間に、シンクとコンロの汚れを落として、三角コーナーを磨いて、排水口のぬめりも落として、ピカピカのキッチンを創り上げた。準備を終えてリビングに戻ってきた彼は、『何ということでしょう』という言葉を溢して感嘆していた。相変わらず、わたしは愛されているらしい。


お休みの土曜日を過ごすわたしと、重い仕事をせねばならない土曜日を過ごす彼。ふたりの土曜日が重なる部分はほんの少ししかないけれど、それくらいがいまのわたしたちにはちょうどよい。


真っ昼間のテアトル新宿で好きな映画を観られる土曜日は、わたしにとって最高の土曜日だ。彼にとっての最高の土曜日はまた別にあって、重ならなければならないとは思わない。


それではまた。

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