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しあわせな土曜日。

『9時頃に家を出て、のんびりお散歩でもしましょうか。』

と言われた。頑張っても7時間しか寝られないおばあちゃん体質のわたしは、仕事がおやすみだろうと早朝に目が覚めてしまう。万年寝不足の彼を起こしてしまっては申し訳ないので、わたしが先に起きた朝はいつも物音を立てずに過ごすようにしている。いびきが響き渡る畳の部屋で、ひっそり息をするのも悪くない。

今朝も変わらず、四六時中誰かからのアクションを受けているタフなスマホを眺めながら布団の上でゴロゴロしていたら、彼の柔らかくて白いおててが頭に伸びた。ぬくもりを感じられたから、今日も彼は生きていたのだと思う。



特殊な関係を続けてきたわたしたちにとっては、太陽の出ている時間帯にふたりで外を歩けるなんて夢のまた夢ような話だった。もう誰に見られても構わないし、わたしたちの関係について、誰にも文句を言われる筋合いはない。まあ、もとから文句を言われる筋合いなどないのだが、「でもだめだよね?」と言われたら頷くしかない。そういう関係だった。もう、二人で太陽の下を歩ける。その事実だけで、わたしは瞬く間にしあわせになってしまう。


わたしはいちご柄のパジャマから、彼は何年も着続けているボロボロの部屋着から着替えて、9時を少し回った頃に家を出た。今日のお散歩は「彼の家の周りを探索すること」が目的だった。わたしたちは肩を並べて同じ歩幅で、ただひたすら歩いた。一切の地図を見ずに、いきあたりばったりで歩き続けた。最初は1時間程度で切り上げるはずのお散歩だったのに、気づいたら2時間が経過していた。

『ここがどこかわかりません。迷っています。』「わたしたちは常に迷っていますよ。」

行き止まりだったら別の道を探せばいい。人生も散歩も、トライアンドエラーの繰り返しだ。

顔も名前も知らないひとたちの「生活」が溢れている住宅街を練り歩きながら、ここはどういう意図で作られた街なのか、どういう歴史があるのか等、彼の持っている知識と興味深い考察を聞いていた。彼は常にアンテナを張り巡らせて生きている人なので、何に対しても(本当に!何に対しても)問題意識がある。わたしはそういう彼と話をすることが好きだった。(もちろん、いまも。)とりあえず"それっぽい"コミュニティを作ればいい、という簡単な話ではない。自らの参画はしないであろう人たちが安心できる空間を作る必要があるよね、という話をした。



『付き合う前から、何に対しても問題関心があって視野が広い子だと思っていた。』

死ぬ直前まで忘れたくないと思えるほど大切な言葉が、ひとつ増えた。わたしはずっと彼の話についていくのが精一杯だった。彼のような人にとっては、わたしのような無知な馬鹿と話をするよりももっとアカデミックな会話ができる人たちと過ごす方が楽しいのだと思っていた。

『俺の職場にいる人たちみたいに、それぞれの専門についての話が出来る人はいても、君ほど守備範囲が広くて自分の意見がいえる人は珍しい。』

彼がわたしのことをそういう風に捉えてくれていたということを、わたしはここで初めて知った。自分の意見を言える人のことが嫌いな人もいるだろうから、結局はこういうことも含めて「相性が良かった」というしかないのだろう。

「いじめ」や「病気」などといったわかりやすい理由もなく不登校になったわたしは長い間、学歴コンプレックス(個人的にこの言葉は全く好きではないが、わかりやすいので使います。)に苛まれていた。なぜ学校に行けなくなった(行かない選択をした)のか自分でもわかっていなかった。自分のことすら納得させられないまま、普通の日々を普通に過ごすのは辛かった。傷を傷と認識できないほどアドレナリンに浸っていた高校時代と、大学で得た経験のおかげでその学歴コンプレックスはある程度拭えることとなったが、それでも結局「アカデミックな人たち」はわたしのような凡庸な人のことを人間と認めていないのではないか、と思って過ごしてきた。(そこまでではなくとも、われわれ平民のルサンチマンに目を向ける人はいないと思っていた。)

でももう、そうは思っていない。

「漢文は読めません。レ点までしか習っていません。」というわたしの自虐ネタがツボにハマる彼の存在に救われたから。



太陽の出ている時間帯に散歩ができる。それをしあわせだと感じられている。もう十分だ。これ以上は何も望まない。

明日も素敵な日曜日になりますように。いや、なりますように、ではない。素敵な日曜日にするのだ。

それではまた。



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