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「時間」との訣別

あまり勿体つけていても意味がありませんので、一気に今までの結論を書きますね。でもまだ続きもあるにはあるんですが。。。


死んでも死にきれないジレンマに苛まれながら、「次こそ正確に死ぬ方法」ばかり考えていたある日、その人々との出会いはありました。

いわゆる、「今の私と同じことをしている人々」です。いつ、どこで誰が作ったかわからないようなお常識や道徳観や、「なれの果て」となる運命を持たず、自分がいいと思ったものを体いっぱいで表現し、それを楽しみ、他者から見られることを厭わない人々です。

彼らは喜怒のみならず哀楽も豊かで、仲間思いで、決して人を比較したり定義したりせず、無条件に受け入れリスペクトしながら自由に輝きを放っていました。たとえ傍から滑稽に見えても。

歌を歌う人、絵を描く人、猫を飼う人、酒を飲む人、ギターを弾く人。
怪しげな物品を集める人、ヘンな服を着る人

誰だこいつら?どこの世界だ?いつの時代だ?全然わからないけどそんなことはどうだっていい。
俺の知らなかった、俺が知りたかった生き方がそこにあった。
知りたいという気持ちを隠してきた自分に気づいた。背伸びをする必要はなかった。見て、聞いて、感じるまま。
エキサイティングなスリルを要求する必要はなかった。素直になればそれでいい。

鷹の目はいつの間にハトの目になっていた。いわゆる「びっくりしたような目」w
モードが変わった。

この文章を書いた当時、「モードが変わった」というのが具体的に何を指し示すかはわかっていませんでした。

私は彼らと行動をともにし、語り合い、問題を解決していく上で、それまでずっと執着していた「憑き物」を捨て去ることに成功しました。


「時間」です。

「時間」によって積み上げられてきた「経験」であり、「プライド」であり、「威厳」。自分を堅固に守ってきた砦。でもここではそんなものは一切必要ありませんでした。

常に「成長したい」と願い続けていた自分が、その「成長」の意味をはき違えていたことに気づかされました。


彼らは優れた人徳の持ち主でしたが、同時に、よく言えば「ポップ」、悪く言えば「ビートニク」でした。あまりにもピュアなゆえ、まばゆい輝きと「ひどくくすんだ生きづらさ」を併せ持っていました。

私がかつて、負けず勝ち残るために戦ってきた頃に、心に抱えながらも隠匿し、置換し、改竄し、捏造してきた「徳」「穢れ」。魔法少女となるための「願いごと」「ソウルジェムの現実」

ひたすら辿ってきた時間を一気に巻き戻した私は、はからずして「かつての自分」との再開を果たしました。


生きるため、何が必要で、何が不必要か。

自分は、何をするため、何を目的としてこの世に生を授けられたのか。


「自分らしく生きる」とは何か。

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