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仏教文化育ちのクリスチャンが、イスラム国家に住んでみて思ったこと

今日でマレーシアに来て1年。12月は世界中がクリスマスを祝う月。ということで、クリスチャンの家庭に生まれ、仏教・神道文化の中で育った、カトリック幼稚園卒、ミッション系大学卒、そしてイスラム国家在住のわたしが、自分史を振り返りながら宗教に対する考えを文字に起こしてみようと思う。

二宗派のわらじだった幼稚園時代

わたしはクリスチャンの母のもとに生まれ、幼少の頃から毎週日曜日に教会に行くのが当たり前になっていた。ただ年齢の近い子たちと凄く仲が良かったわけではなく、普段よりも良い子でいないといけないという意識があり、特段楽しいと思っていたわけではなかった。おジャ魔女どれみの主題歌にある「きっと毎日が日曜日♪」というフレーズには勘弁してくれと密かに思っていた。

クリスチャンにも色々あるが、うちはお酒、タバコ、コーヒーを摂らないようにと言われているところ。一時期アクティブすぎて全国の狭いコミュニティに名が知れ渡ってしまったので、検索にあまりひっかからないようにここでは“うちの教会”で通そうと思う。ちなみにわたしの記事を一通り読んでググったらすぐ特定はできる。笑

うちの教会をキリスト教と認めない宗派もあるし、わたし自身が社会人になってから日曜集会をサボりまくってきたので自称するのもおこがましいと思う。けど心底ではこの教えに沿って生きていきたいという気持ちがまだあるので、僭越ながら自分を“クリスチャン”として扱い話を進めることとする。

日曜日は“イエス・キリスト教会“に通っていたが、通称“マリア園”と呼ばれるカトリック幼稚園に通っていた。平日はマリア様の歌を歌い、日曜日はイエス様について歌っていた。正直幼稚園でイエス様を見たのはクリスマスの時くらい。

特に思い出深いのが12月。家から蓋つきの箱を持ってくるように言われて、一日いい子にしていたら藁を1本、わるい子だったらトゲ(まきびしみたいだった)を1粒箱に入れられた。それをクリスマス会の日に集めて赤ちゃんイエスさまが眠る飼い葉桶の寝床にする。ちなみにトゲは一定数用意されていたけど、おそらく誰も貰っていない。

かいばおけでねんねするイエスさま

家に帰ってもご飯を食べるときにお祈りはする。こちらはマリア様じゃなくてイエス様の名前で。だけどおばあちゃんちに行くと仏教や神道の文化に触れることになる。

祖父母との時間は仏教・神道文化

新潟県は全国で最も神社数が多い都道府県で、新潟駅から2〜3駅離れてしまえば部落ごとに神社があったりする。神社には鉄棒や滑り台があって、そこが幼少期の遊び場でもあった。お祭りも毎年神社で開かれていた。

母方の実家は浄土真宗。お正月にはお寺さんが来てお経をあげに来る。最初はおじさん・おばさんのお坊さんがお経をあげに来ていたが、近年はその息子さんがお経をあげにくる。茶髪にパーマという“お坊さん”らしからぬ風貌に、実家の寺には2台の高級車。妹に陰で「チャラ坊」と呼ばれているのは内緒。

ちなみにわたしの同級生にもお寺の長男が2人いて、継ぎたくないなど次男にやらせろだの言っていたもののなんだかんだで家業を継いでいる模様。一学年100人に2人住職の同級生が居るのはなかなかの高確率だと思う。

おばあちゃんちの周辺はほとんどが仏教だったと思うが、仏壇と一緒に神道の神様を祀る神棚が各家庭にあった。おばあちゃんちでは毎朝神棚に炊きたてのご飯をお供えし、夕方はお経のカセットテープを仏間に流していた。

お正月、1月15日前後の日曜日には塞の神(さいのかみ)という神道行事が部落であり、教会の帰りにおばあちゃんに連れて行ってもらった。竹の骨組みを藁で覆って火を焚き上げ、神棚に置いてあった旧年のしめ縄やお守りその火にを投げ込んで燃やした。

その火で習字を燃やすと字が上手くなる、スルメイカを炙って食べると一年風邪をひかない、等と言われている。受験生は神主さんに合格祈願をしてもらう。そこで振る舞われるつきたてのお餅と甘酒が楽しみでもあった。

お盆はもちろんお墓参りに行く。県外に出てはじめて知ったが、どうやら夜にお墓に行くのは新潟特有の文化らしい。新潟では提灯を持ってお墓に行くことで、その明かりでご先祖様をお迎えしに行く意味がある。他県民に「肝試しじゃん!」と笑われたが、全くその意識も怖い気持ちも無く、ただただ神妙な気持ちで毎年お墓参りをしていた。

秋深まってるけどお墓

熱心な“教会員”だった中高生時代

さて、中学に上がったわたしはファッションセンスも無く、アイドルよりもマンガやネットサーフィンの方が楽しく、けどオタクにもなりきれないぬるりとした立ち位置に居た。クラスでは所属グループがあったけど、休みの日に遊んだ記憶がない。少なくとも“いつメン”は居なかった。

そんなわたしに良い居心地を与えてくれたのが教会だった。とはいっても毎週日曜日のことではなく、年1〜2回催された他県の教会の青少年たちと集まるイベントだった。ここではみんなが優しかったので、抑えていたフレンドリーさを発揮し、東北中、そして高校を卒業すると関東と関西にも繋がりを広げた。

ただフレンドリーなだけではなく、一クリスチャンとして模範的な振る舞いをしようと心掛けた。今思うと当時のわたしは“クリスチャン”ではなく“立派な教会員”だったんだなと思う。

しかしどことなくこのままじゃいけないと思っていたわたしは、教会とは全く違うコミュニティを持たなければ知見や考え方が狭まると思い、関西の難関大学に入って一人暮らしをしたいと思っていた。

ところが高校3年の春に体調を崩し、同級生が受験勉強に身を削る中で不登校になってしまったわたしは、一浪しても大学受験を乗り切ることができなかった。それでも進学校の名にかけてどうしても大学に進学したかったわたしは、親との討論の末、教会が運営するハワイの大学に進学することに決めた。

行きたくても行けなかった人に失礼だと親や教会の大人に言われたけど、受験勉強を全うできなかった不完全燃焼感と、教会員だらけの学校で頭が凝り固まってしまうことを恐れて渡航の前日まで行きたくなくて泣いた。今でも思い出すと辛い。

宗教観を変えたミッションスクール

しかし悪い妄想に反し、教会の大学への進学がわたしの宗教観をガラリと変えることになる。我が校の生徒の9割は教会員だが、70以上の国と地域から生徒が集まっている。そんなダイバーシティの中にいると、信仰の仕方もバラエティに富んでいるということを知ることになる。

教会の大学であるがゆえに、日曜礼拝に参加することや、キャンパス内では慎ましい服装をすることが“校則”として存在し、守らなければ退学処分になることもある。だけどみんながみんな真面目に100%守っているわけではなかった。

”慎ましい服装“とは言い難い服装のカリフォルニアギャルが涙ながらにイエス・キリストについて話すこともあれば、慎ましさを守り抜く日本人女子勢は礼拝堂で意識をすっ飛ばしている。そのうちの一人がわたしですすみません。

もちろん中にはド真面目な人もいて、遠回しに指導してくる人やジャッジメンタルな人もいたし、わたしも時折そっち側に回ったこともある。ごめんなさい。だけど基本的には「人それぞれだよね」というスタンスだった。

学生の集会を管理するローカルの大人も口酸っぱく「集会3時間居なさいよー。サボりすぎると退学だからねー!」なんて公には言うけど、個別に話すと個人の事情やニーズをしっかりと汲み取ってくれて、ああしなさいこうしなさいとは言ってこなかった。集会出席不足で退学の危機があればさすがにアドバイスしていたらしいけど。

わたしはそんな大学で文化人類学という学問を専攻することに決めた。最初は心理学よりなんとなく面白そうという軽いノリだったけど、この選択がわたしの考え方を大きく変えた最大要因だと思う。

文化人類学の授業は先生も生徒もほとんど教会の人。だけど学問が学問なので、他の宗教の文化や多様なジェンダーなど、普段教会コミュニティで敬遠されるトピックについても堂々とディスカッションができた。「うちの教会だとこういうフィルターかかりがちだよね」なんていう話もできて面白かった。

“偽りの教会”でのインターン

文化人類学の単位取得のため、またハワイに残る時間を引き伸ばすため、わたしは日系企業のリゾ婚チャペルでのインターンに応募し、3ヶ月間雇用されることが決まった。便宜上、「キリスト教式の結婚式を選ぶ、普段宗教を持たない日本人カップル及びその家族を観察するため」と理由づけて論文を書いた。

この仕事はうちの教会とは全く関係ないし、実際の教会ではなくリゾ婚のためだけの張りぼての教会。牧師先生も本物とビジネス牧師がいた。

実際のインターン先はもっと明るいアロハなチャペル

そんなチャペルでのインターンが決まったことを友達に話すと、「偽りの教会で働くのか…」なんて言ってくる教会員の友達が何人か居た。冗談だと分かっていても過ぎていると思ったし、ショックだった。

一方で、「人を幸せをつくる仕事じゃん!!いいなあ!!!」と言ってくれる友達も何人か居た。嬉しかったし安心した。こういう友達は一生大切にしようと思った。

何よりも安心したのが教会の管理者がかけてくれた言葉だった。職場は本物の教会ではないので、もちろん日曜日も挙式という仕事が入ることもある。インターンが始まったくらいの時に個人面談があり、「インターンが日曜日に入ることもあるので、たまに教会に来れない日もあります…」と話すと、「頑張ってるね!!」とだけ言ってくれた。こういう人こそが真に“キリストの特質”を備えている人だと思った。

帰国、そして逆カルチャーショック

3ヶ月のインターンを終え日本に帰国すると、1ヶ月も経たずに九州に赴任することになった。そこにももちろん教会の集会所があり、なおかつ今まで知り合う機会の無かった人ばかりだったので少し楽しみだった。

しかし仕事が店舗勤務だったこともあり、インターン以上に日曜休みが取りづらくなった。わたしはためらうことなく自分がクリスチャンであることを職場の人たちに伝え、店長にも月2回程度は日曜休みをくださいとリクエストしていた。

ただ実情は、店舗の社員の半数が小学生以下のお子さんを持つ方々で、わたしが日曜休みを取ると家族で過ごせるはずの日に出勤をしないといけなくなる人が出た。わたしは役職上、一部の社員にしか権限の無い仕事もしなければならなかったので、わたしが休むと毎度特定のお父さんやお母さんに身代わりをお願いすることになってしまう。

それでも最初は真面目な教会員であることを教会にアピールしようと思った。教会の管理者に、毎週は難しいけどできるだけ教会に来れるよう頑張りますと伝えると、「心配です」と悲しそうな顔で言われた。ハワイの管理者とは真逆の表情だった。

聖書。箴言のページ。

日曜日に来れない分、平日夜の聖書のクラスにはできるだけ参加しようと思った。ある時その教師と立ち話をした。日曜はなかなか休めないから、せめてこのクラスだけは来ようと思っているんですと伝えると、「あなたの会社はホワイトにならないといけないねぇ」と言われた。この時は居心地の悪さというか、不快感というか、いろんな負の感情しか覚えていない。そしてその聖書のクラスに行かなくなった。

うちの教会は家庭を最優先するよう教えている。それをさらに促すため、数年前に教会の集会時間を3時間から2時間に短縮する改革が行われたくらいだ。それくらい家族が大切なのに、なんで独り身のわたしが他の家族の時間を奪ってまで信仰を貫くよう迫られているの?それは本当に信仰なの?

わたしは「人との繋がり」ではなく「神様との繋がり」のためだと自分に言い聞かせてその後も数回教会に行った。だけどどうしても良い気分にはなれず、むしろ行くたびにしんどくなっていき、この信仰の在り方は違うと感じた。そしてこの地域の教会コミュニティと距離を置くこと、信仰を保つためにこの街を数年以内に出ることを決めた。

実はこの決意をする少し前に、日曜にちゃんと休みが取れる仕事に転職した。しかし同時にコロナウイルスが蔓延し始め、教会の集会は一時休止。さらに転職1ヶ月でコロナ解雇に遭い、次の場所探しが始まった。

逃亡先はイスラム国家・マレーシア

コロナ禍の就職活動はかなり困難を極めたが、まさかのマレーシアの会社から内定を貰った。キャリア形成、私生活、金銭面などあらゆる点でかなり悩んだが、日本に残った3年後の自分が「あの時マレーシア行っとけば良かった…」と漏らすのがはっきりと想像できたので渡航を決めた。

しばらく有期雇用の仕事で生活を立て直しつつ、九州暮らしを楽しんだ後、マレーシアへと渡った。ちなみに九州の教会の人には実家に帰るとだけ伝え、マレーシアに行くことは一切伝えなかった。実家近くの教会に久しぶりに出席した時には安心で涙が出た。

マレーシア大使館から受け取ったビザには「不法薬剤の持ち込みは死刑に処されます」と赤字で印字されていた。イスラム国家はやはり厳格なのだろうかと固唾を飲んだ。

持参した頭痛薬や漢方薬は特に摘発されることもなく、コロナ対策用の隔離施設に入所した。部屋の天井にはメッカの方角が示されており、引き出しにはもちろんクルアーンが入っていた。定期的にお祈りの音声が街中に響き、イスラム教を感じた。

ここでいつか羽目を外したら処刑されるかもしれない。だけどわたしは今までクリスチャンの教えを守ってきたし、戒律については理解もあるから大丈夫なはず、と言い聞かせて、街に出るまでの10日間を過ごした。しかしマレーシアは想像以上に柔軟な国であることを知る。

ムスリムだって多種多様

程なくして数人のマレー人やインドネシア人の友達ができた。特によく遊んでくれるのが元ジャーナリストのアクティブなマレー女子。遊ぶ度に他のマレー人の友達を毎回連れてきてくれて、そこからムスリム(イスラム教徒)の真の文化について学んだ気がする。

イスラム教の女性はヒジャブの下を家族以外の男性に見せてはいけない。しかしその友達は、実は中華系の男性美容師に髪を切ってもらっているとこっそり話してくれた。なんならヒジャブをかぶらないで生活しているマレー人女性もたくさんいる。

そして同性愛や婚外交渉は国によっては命に関わる重罪。おそらくSNSにカジュアルに書き込んだりすることはできないと思うが、少なからず恋愛対象が異性に限らない人はいる。そして大学の男子寮に女の子を連れ込むマレー人男子もいるらしい。ヒジャブが入寮してきたら目立つのでは…?

また、イスラム教にはハラールと言い、アルコールと豚肉の飲食を禁忌としている。しかし非ムスリムの人と遊ぶ時にこっそりノンハラールを楽しんでいる人もいる模様。「両親には絶対に言わないで!!」「これはポークじゃない!チキン!!」と豚骨ラーメンを差しながら話しているらしい。親よりアッラーの怒りを買いそう。

一方で、本当に熱心なムスリムは他人がキスをしているところを見ることすら罪と捉えている。これはシェアハウスに住んでいる時に、インドネシア人の女の子から言われたこと。だけど「日本のドラマも結構そういうシーン多いよね?日本じゃ普通?」と尋ねられた。しっかりこっそり見ていらっしゃった。笑

イスラム教には祈りの時間が一日5回ある。ショッピングモールやオフィスにもお祈りの部屋が用意されている。日本に留学していたマレー人の女の子と遊んだ時、彼女はお祈りの時間にユニクロに入って行き、服を1着持って試着室に入って行った。どうやらお祈りの部屋の混雑を避けるテクだったらしい。服はあったままの状態で戻ってきた。

そんなわけで、イスラム教徒にも様々な信仰のカタチがあると知った。普段の生活がどうであれ、わたしの知る限りほとんどのマレー人がラマダンの断食を行い、家族や友人とそれを祝う。そしてあくまでわたしの感覚でしかないが、たとえ怪しい物乞いだとしてもすすんで喜捨(寄付)をするマレー人は多い気がする。

戒律を守ることは大事だと思うけど、「してはいけないこと」を数えるより「すべきこと」に目を向けることはもっと大切だとマレー人ムスリムと接していてつくづく感じる。

モスクって綺麗ですよね

誰のための宗教者であるか

マレーシアにも教会はあるが、仕事のシフトだのロックダウンだのを言い訳に結局まだ行っていない。だけどなんとなくお酒やコーヒーに手を出す気にはなれない。タバコはずっと苦手。そしてご飯の前には自ずと手を組んで目を閉じている。

親は放蕩娘と化したわたしを既に嘆いていると思うし、日本の教会の人がわたしの実情を知ったらチクチク言ってくることもあると思う。だけどわたしはその人たちのためにクリスチャンをやっているんじゃない。かつてはその人たちのために“活発な教会員”はしていたのかもしれないけど。

どこかのタイミングで自分のために教会に戻ろうとはまだ思っている。その時は多様性を受け入れ、柔軟なクリスチャンでありたいし、そんなコミュニティで穏やかに過ごしたい。ただこの思想を容認してくれる教会員は同世代でも少ないかもしれない。この記事を誰かが見つけて、批判されることも少し恐れている。

日本で「宗教」という単語を出すと警戒されるのは、「こうあるべき」を人に迫る傾向があるからではないだろうか。ただでさえ0か100かで物事を判断する日本人は多いので、「30%クリスチャンでやらせてもらってます」なんて人はなかなか容認されず、自称100の方々が半ば強引に相手を100に引っ張り上げようとする。

一方でアメリカなどは0以上100未満の宗教者が多数派だったりする。それはタブーよりも「人は変われるチャンスがいくらでもある」ことに重きを置いているからだと思っている。そもそも人間は皆不完全だから、本当に100かどうかなんて人間の目では見抜けないし、皆等しく神の目から見たら罪人であり再生のチャンスを与えられてる。「みんな同じ」が大好きな日本人も、この文化はなかなか浸透しない。

昭和が終わり平成を経て令和になった今の日本も、まだまだ“〜べき”思考が根強い。そんなところに帰ったら息苦しくなることは予想できるけどそれでもなぜか帰りたいと思っている自分がいる。そうしたら自分にできることは、アメリカとマレーシアで出会ったいろんな価値観を持ち帰って、日本をやわらかくしていくことだと思う。このもどかしさを言語化・感情化できず苦しんでいる人は少なく無いと思う。

わたしは自分の子どもや次の世代の子たちに違う信仰を持つ家庭の人たちともちゃんと関わるように伝えたいし、自分がその思想を飲み込めなくても、相手の価値観を尊重するように勧めていきたい。

これは過去のわたしができなかったことの償いでもある。自分の信条がいくら正しくて、相手の信条が歪んでいるように見えたとしても、人を不快にすることはいつだって正義じゃないと思う。


「天使にラブソングを」の主人公シスター・メアリー・クラレンスは、もともとクラブ歌手でマフィアのボスの愛人・デロリス。中学生の時に観た映画の中で聞いた彼女の言葉が忘れられない。

「みんな映画やカジノには行くけど、教会には来ない。なんでだと思う? 退屈だからよ!でも私たちなら変えられる。教会を満員にできると思うの」

教会が、信仰が、楽しいということはわたしの中でとても大事。良いことを知る場所なのに苦しいのはわたし個人としては腑に落ちない。人生についてもいろんな捉え方があるけど、万が一生まれ変われず一度きりだとしたら、やはり喜びを感じられる時間が長い方が絶対いいじゃないですか。

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