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僕の半生Part3 高校生 人間を信用できない自分もまた人間である、という絶望。

さて、ここからが本題です。
高校時代に、僕は絶望を経験します。
僕は人間不信に陥るのですが、そんな自分もまた同じ人間である、という苦しみです。
この高校生時代に味わった苦しみが、僕の歪んだ思考パターンを生み出してしまいました。


この章は長くなりますが、是非、読んでほしい。
今僕が掴もうとしている希望は、この時に抱えた闇からの脱出です。
僕の20代は、この時の苦しみからの再生のストーリーでした。

グループ分け 自分がどこに属しているか?


僕が進学した高校は決して頭のいい部類ではありませんでした。
なので、一定数の“やんちゃなやつ”が集まっていました。
やんちゃなグループとそうでないグループ。
段々とグループわけが進み、
どのグループに属しているかで扱いが変わるような環境がうまれました。
所謂“スクールカースト”ってやつですね。

元々コミュニケーションが得意ではなかった僕は、
段々とスクールカーストの底辺へ追いやられて行きます。
そんな時、記憶に残っている“ある出来事”が起きます。

“陰キャラ”という烙印


中学時代は仲のよかった友人のA君に、高校の廊下で声をかけた時のこと。
そのA君は僕を見るや否や
「喋り掛けるな陰キャラ」
と吐き捨てました。
その時、なるほど、僕は既にカーストの最底辺にいて、陰キャラの烙印を押されているのだ、と理解しました。
この1件だけではなく、高校時代の僕はそんなに話したこともない人から笑われたりする日々を過ごしていました。
いじめ、というほどでは無かったものの、明らかに僕たちを見下すことで、彼らは団結を生んでいるようでした。

小学校から続く、
“僕はもしかしたら、ダメな人間なのかもしれない”
という感覚は、明確に、僕の中で、
「僕は出来損ないだ」
という認識に変わりました。
しかしながら、僕を1番苦しめたのはこの感覚ではありませんでした。

人間のことが信用できない

僕はこの時、環境がこんなにも人の考え方を変えるものなのかと思いました。
きっとA君も、元々彼の意思で僕を嫌いになったのではなく、
僕と話すことで僕と同じグループに所属してしまうことを恐れ、
カースト下位にいる僕を嫌うようになったのだと思います。

人は“自分たちと違うもの”を差別することによって、自分たちは大丈夫だと思いたい生き物なのだと思いました。
大げさですが、ナチスがユダヤを迫害したのも、
共通の敵を作ることで、ドイツ人の団結を高めるためだったんだ、とか考えていました。
人って影響されやすく、コントロールされやすい生き物なんだなって。

人間の感覚は移ろいやすい。
A君は僕のことが嫌いなのは間違いないが、それは彼の意思なのだろうか。
仲よかった彼はもういないのだろうか。

僕は段々と、こんなに変わりやすい人間のことなんて信用できない、と思うようになりました。
当然人間は影響を受けて育っていくもの。
それは間違い無いのですが、
どこまでが本人の意思なのか、だんだん、わからなくなっていきました。

僕も同じ人間だ、という絶望

そしてこの時、僕はある事に気付いてしまいます。
それは僕も
“陰キャラになりたくない”
と思ってしまっているという事でした。
それ故に、“陰キャラ”と呼ばれるグループの人たちと距離を取るようになりました。
ピアスを開けたり、パーマをかけたり、エクステをしたり。
それはもう、必死で、必死で、カースト底辺から抜け出そうとしていました。

そう、僕もA君と同じで、
グループ分けの影響をめちゃめちゃに受けていたわけです。
『なんだよ、人間の考えは移ろいやすいとか嘆いていたけど、僕自身も移ろいやすい人間じゃないか』
自分に対してそう思ってしまった訳です。

『人間=信用できない
自分=人間』
つまり、
『自分=人間=信用できない』
という、方程式が完成した瞬間です。

僕が考えている事、感情、
手が触れた感覚、見えているもの、
全てが自分の“本当”ではないかもしれない。
なにかだれかのコントロールを受けた故のものかもしれない。
自分のことなんて一切信用できない。

そう思ってしまった訳です。
この感覚に気がついた時、
僕の中で何かが壊れました。
極端な話、今目の前に見えてる赤色は、もしかしたら赤色じゃないのかもしれない。
そう疑ってしまうくらい、自分のことが一切信用できなくなりました。

いまでも覚えています。
高校2年生の時は、毎晩毎晩、21時から23時くらいまで、
嗚咽し号泣し、泣き疲れて眠っていました。
ただただ、“自分が人間である“ということが辛かった。
でもどう頑張っても、どんだけ嘆いても、
“自分が人間である”という事実は変わらなかった。

小学生の頃からすこしずつ溜まっていた劣等感と
この”自分が信用できない“という感覚が強力に紐付き、
僕を自己嫌悪のどん底に突き落として行きました。

正直、人間である事を辞めたいと思いました。
そうする勇気がなくてよかったな。

当然ながら、人間が信用できない事を人間に相談できるはずもなく、
ただただ毎晩泣きわめくことしか僕はできませんでした。
いっそのこと学校にいる時に発狂してしまえばこの苦しみをわかってもらえるかとも思いましたが、
案外人間って強くって、学校では普通に過ごせたんですよね。

親は何も言ってこなかったけど、心配だっただろうなぁ。
(そう思うと、親には今の幸せな僕をいっぱい見せてあげたいと思うな。笑)

そんな僕が藁にもすがる思いでたどり着いたのが
『僕だけは違う』
という感覚でした。
僕は人間だけど、他の人間とは違う。特別なんだ。
そう思い込む事で、なんとか自分が人間である事の苦しみから逃れようとしました。
当時はどうしようもなかったんだけど、
今思うと、これがよくなかった。
その考え故に僕はどんどんと斜に構え、敵を作っていく事になります。

長くなりましたが、続きは次回。。。

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