海辺の花嫁
幼なじみがお嫁にいったときの話。
大好きな幼なじみがいる。
彼女の母が病気がちだったこともあり、幼い頃から父と2人で色々な所へ出掛けていたようだった。
私もおじさんと気軽に呼び、トラックの荷台に乗せてもらったり、年末は神社の年越しに一緒に参加させてもらったこともある。
おーい、まきちゃん!ナナをよろしくなぁ。
朗らかに笑う声は今もはっきり思い出すことができ、懐かしくなる。
明るくて社交的で様々な活動に貢献していたおじさん。
社会人になって数年経った頃、癌が見つかり手術したが状態がよくない と彼女から聞いた。
彼女には恋人がおり、お互い結婚を考えていた。
いよいよおじさんの状態が悪くなり、退院が難しい と医師に伝えられた時、彼女の恋人はおじさんに病室で「娘さんを幸せにします。」と結婚宣言したという。
その数週間後、おじさんはこの世から旅立った。
友達には友達にしかできないことの限界がある。
そしてあの時の彼女に必要なことは、無難な励ましではなく恋人から伴侶となる相手と家庭を築き前を向くことだった。
私は彼女の恋人に心から感謝した。
彼女と家族になってくれてありがとう。
何度も何度も心の中でお礼を言った。
季節が変わり月日が流れ、彼女から結婚式の招待が来た。
海の見える穏やかな式場。
彼女はこのあたりも昔、親子水入らずでドライブをしたに違いない。
新婦入場のとき、彼女に寄り添う彼女の兄は泣くまいと必死に口をかたく結び前を向いてエスコートしていた。
バージンロードを歩く兄妹の姿は、亡き父に向けるかのように精一杯胸を張り堂々としていた。
おじさん、エスコートしたかったろうな。
ナナはとってもとっても綺麗だよ。
涙で前がほとんど見えなくなったが、一瞬でも目を逸らすまいと私は2人の姿を必死になって追った。
バージンロードの先で彼女を待つ夫がウエディングベールをめくり優しく微笑んだとき、もう大丈夫だ と強く感じた。
様々な友人の結婚式に出席したが、幼なじみの結婚式ほど胸を打たれたことはない。
天国にいる父へ向けた彼女の手紙は、たくさんの感謝に溢れていた。
白い大輪の花を耳元に飾った彼女はちいさく震えながら、何度もありがとう と繰り返した。
少女から大人の女性へ。
幼い頃から知る彼女の様々な姿が幾重にも重なって見えた。
教会の窓から入る海辺の光と彼女は、世界で一番美しかった。
数年後産まれたこどもは、おじさんにそっくりな巻き毛の男の子だった。
今ではまきちゃんあそぼ!と私の腕を引っ張り駆け回るほど元気で活発だ。
いのちは巡る。
この子の身体にはおじさんのキラキラしたものが確実に引き継がれている。
あの日世界一綺麗だった海辺の花嫁は、華奢な身体でしっかり子を抱き前を歩む凛々しく強い母となった。
風が凪いでいる。
ソファに降り注ぐ日射しはあたたかく、気を緩むと微睡んでしまうほどだ。
おーい。ナナをよろしくなぁ。
うたた寝しかけた頃、おじさんの声が耳元に響いた。
外では誰かの大切な子どもたちが楽しそうに笑い声をあげていた。
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