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プロローグから続いています。




当時の優先順位は
結婚生活、大学生活、仕事の順だったように記憶している。
相変わらず安定剤を飲みながら
すべてを満遍なくこなしていた。
食事も毎食手作りにこだわり
宿題の一つも忘れず、
仕事にもできるだけ支障を来たさないように通い続ける。

普通の家庭というものを模索しながらも
映画やドラマくらいしかお手本がないのだから、
知る限りのすべてを発揮するのみだ。


そんな中、大学3年になった夏に祖父が他界した。
結婚してからまだ1年ちょっとしか経っていなかった。
つい最近、結婚式を喜んで出席してくれたばかり。
弟に列席してもらいたく招待状を出すも返事がもらえず、
祖父に弟を会わせることができなかったことが
幼い頃父親代わりをしてくれていた祖父に
親孝行できなかったように感じ悔しくてたまらなかった。

祖父は義父を嫌っていたが私や弟には本当に優しく、
そんな思い出が短編映画のように次々と浮かんでくる。

300人近くの人が弔問に訪れ、
私の知らない祖父を様々な人が語ってくれた。
人前で泣けない私は、
すべての人が帰った後一人葬儀場に戻り
ワンワン声を出して泣いていた。



葬儀も一段落した3ヵ月後、
数年ぶりに事務所に弟から連絡が入った。
保証人を断って以来弟とは音信普通状態だった。

私の方から一方的にスポーツ大会の記事を目にしたりして、
高校へはスポーツ推薦行き
寮生活をしていることも一方的に知っていた。
結婚式の招待を脇に置いていたとしても
弟も思春期を迎えて自分の世界で一杯なのだろうと勝手に思い、
連絡を取らなかったというのもある。

そんな弟から連絡が入ったのは、
私が事務所ではなく大学に行っている時間だった。
事務所に戻ると改めて連絡するという伝言を聞き、
嬉しくなったことを憶えている。


お姉ちゃん?久しぶり。
○○だけど、事務所にごめんね。

久しぶりに聴く弟の声は大人っぽくなっていた。

実は、お姉ちゃんのことを去年から探していたんだ。
今寮生活をしているんだけど、
去年の夏休みに自宅に帰ったら家が無かったんだ。
お父さん…失踪した。
突然いなくなったんだ。
荷物だけ残してどこかに消えてしまった。
僕は身内が居ないから行く場所無くて…
お姉ちゃんを探したくて…
でも連絡先も全く分からなくて。
この一年、寮の先生や学校の先生が面倒みてくれてたんだ。
やっとお姉ちゃんの事務所の電話を書いたメモが
昔の大家さんの倉庫から見つかって、
今日電話できたんだ。


血の気が引いた。

怒りなのか何なのか分からない感情に押しつぶされそうになった。
そして、私の声を聴いて安心している弟の
この一年に想いを馳せて心が痛んだ。

何もかもが行き違ってしまったのだ。
結婚式の招待も知らず、
私が勝手に思春期だろうと遠慮したことも裏目に出ていた。

義父に何があったのかは分からない。
大家さんの話によると家賃も滞納していたということだった。
そして義父は弟が学校に行っている期間に、
一人で行方をくらましたのだ。


弟は落胆、怒り、悲しみ、すべてを一人で握り締めていた。
実の父親の安否というよりも、
唯一の肉親と思いながら二人で生きてきた父親が、
自分を置いて行方をくらましたことを消化するのに
この一年をかけても出来ない様子が痛いほど伝わってきた。
それでも平静を保ち、淡々と私に説明する弟の声に、
自分を後悔せずにいられなかった。

あの時もっと積極的に連絡してれば…

すぐに母を連れ弟に会いに行った。
皮肉にも、母にとってはこれが14年振りの再会となった。
義父が姿を消したから
再会できるようになったと言っても過言ではない。
でも、みんな感傷に浸っているヒマは無かった。

これまでの弟の話を聞くと
心をえぐられるような想いに苛まれたが、
今後のことを早く処理しなければならなかった。
学校や寮に行き、
これまでのいきさつや今後のことについて話し合いがもたれた。
弟は人に恵まれ、
先生や友人たちに温かく囲まれていることが唯一の救いだった。
ただ冬休みになるとみんな自宅へ帰ったときだけ、
広い寮内で自分一人だったことは淋しかったとポツっと呟いた。


他に選択肢は無かった。
弟の親権者を変更する手続きに取り掛かることに決めた。


つづく


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