心理カウンセラー小園麻貴(こぞのまき)

私自身パニック障害13年、鬱5年ほど悩んだ過去があります。そんな経験者カウンセラーとし…

心理カウンセラー小園麻貴(こぞのまき)

私自身パニック障害13年、鬱5年ほど悩んだ過去があります。そんな経験者カウンセラーとして「そのまんまの自分で幸せになれ!」を合言葉に2014年より活動してきました。HP https://paradise-bird.net/

マガジン

  • 蒼い真紅

    私の【自伝】です。 3年ほど前に一度私の半生を綴っておりました。 ▶︎読んでいるだけで勇気がもらえた ▶︎こんな自分でも生きてていいんだ 僭越ながらそんなお声を頂きましたので、 私の半生がどなたかのお役に立つならと願い、 途中で書き止めてしまったものを 改めて綴っていこうと思います。 ここで私が伝えたいことは一つです。 【何があっても生きていけるから 自分を諦めないで!】 コロナ禍や様々な時代の変化のある今ですが、 ただ前へ進んできた私の道のりが どこかのどなたかの【生きる希望】や【生きる智慧】になりますように✨

  • 自己紹介

    自己紹介が長くなりますので、 一つのマガジンにさせていただきました。 これまでの概略〜活動までを綴ってまいりますので、 ご興味がある方はご一読して頂ければ幸いです。

  • コトモリ

    言葉のお守りを【コトモリ】と読んでいます。 自費出版ではありますがフォトブックとして一部販売しております。 そのコトモリそれぞれには、 私なりの《意味合い》や《背景》があり、 noteでそんな一言文【コトモリ】に加え コトモリそれぞれの背景を綴って参ります。

最近の記事

33.夢か現実か幻なのか

プロローグから続いています。 状態は徐々に快方に向かっていった。 家族の声、日差しの明るさ、周囲の人の温かさを、 少しずつではあるが感じることができるようになっていった。 しばらくすると そんな私の状態を知る友人が私を仕事に誘ってくれたのだ。 20代の頃毎日のように事務所帰りに飲み歩いた昔なじみの友人。 新しい法律事務所に移る際に、 短時間で良いから一緒に来ないかと誘ってくれたのだった。 正直なところ通える自身は無かったが、 夫からも一人で家に居るよりは良いだろうと薦め

    • 31.夫が泣いた日

      プロローグから続いています。 ほんの少しずつ 薄皮を一枚一枚剥ぐように私は自分を前に向かせる。 向かせたくてもすぐ戻り それでも這うように自分を前に向かせる。 自分の命を友人に預けた私は、 何百層にも重なる薄皮の向こうの光を求めるようだったが、 それでも前へ… まだまだ見えない遠い向こうの光を追い続けていた。 自分を傷つけることは無くなった。 保育園の送り迎えも何とか自分でできるようになった。 それでも、 どうしたらいいのか変わらず分からないままでもあった。 その後も自

      • 30.死んだように生きる

        プロローグから続いています。 今回はとても重い内容ですので 有料記事といたしました。 優等生を演じ切った私は、 当初の予定よりも早く退院することとなった。 平日の昼間の退院。 迎えは誰も居ない。 一人で清算を済ませ 一人でタクシーに乗り 一人で退院してきた。 お世話になりました。 そう、親身に世話をしてくれた担当看護師に伝えると もう二度とここに戻って来てはだめよ! まるで刑務所なのかと思うような言葉をかけられ 病院を後にした。 でも、私のうつは退院してからが本番だ

        有料
        200
        • 29.こんなママでごめんなさい

          プロローグから続いています。 わけも分からず荷物をまとめ、娘を保育園に預けてから 夫に付き添ってもらい病院に向かった。 娘とはしばらく会えないのだろう。 自分から離れる娘にホッとしているのか 会えない淋しさなのか 入院することへの緊張なのか… もはやどんな自分だったのだろうかという記憶すらない。 閉鎖病棟は二重でドアが施錠され、 看護師と一緒でなければ外に出られないところだった。 到着するとすぐに問診。 血圧、採血、先生との今後についての話をしたのだろうか。 真っ白な部屋

        マガジン

        • 蒼い真紅
          33本
        • 自己紹介
          2本
        • コトモリ
          1本

        記事

          28.自分を失った日

          プロローグから続いています。 この子を私のようにさせてはいけない。 この子を私のようにさせてはいけない。 この子を私のようにさせてはいけない。 やがて呪文は呪と化する。 娘は私から離れなければならない。 私と居ると不幸になる。 どうにかして私から離さなければならない。 藁をも掴む想いで、区の保健センターに電話した。 母子手帳に書いてあった相談窓口を思い出したのだ。 私と一緒にいる娘を助けて欲しい! そんな想いで電話先の保健師さんに、 泣きながら一方的に話をした。 そ

          27.幸せを掴んだ瞬間に…

          プロローグから続いています。 可愛い女の子が生まれた。 これまでの怒りや不安が嘘のような日々が待っていた。 大学も3年生までに単位を取っていたから、 大きなお腹を抱えながら出産の直前にあった最終試験を受け、 4年間で無事に卒業していた。 あとは育児に専念するのみだ。 毎日どころか毎瞬、毎瞬見続けても、 可愛い娘に飽きることはなかった。 毎日数百の写真を撮り、散歩に連れ出し、 これまでに感じたことの無いような温かい時間を過ごしていた。 パニック障害という文字も私の中か

          26.こんな私がお母さんになるなんて…

          プロローグから続いています。 子どもを授かったことに喜べない自分を責めていた。 そんな私の気持ちを誰も分かってもらえないと悲観していた。 家に帰れば喜ぶ夫。 実家に連絡し「おめでとう」という言葉を浴びせられる毎に、 嬉しさを表現しなければならなかった。 お祝いを聞くのが辛かった。 喜べない自分を誰にも言えない自分が辛かった。 子どもが欲しくなかったわけではない。 ただただ怖かったのだ。 こんな私が。 普通に子育てが出来るわけもない。 まして私は薬も飲んでる。 薬を飲んで

          26.こんな私がお母さんになるなんて…

          25.神様、お願い!嘘だと言ってください

          プロローグから続いています。 義父の失踪宣告、弟の親権者の変更の手続きを 裁判所で行うことになった。 突然始まった学校関係諸々の支払いで代理人を立てる余裕は無く、 申立人を母として、書類すべてを私が用意することになった。 裁判所へ出向かう当日。 私は、裁判所という場所に行くこと自体初めてだった弟と母を連れて行こうとしたが、私の体調が優れない。 早く手続きを終わらせたかった。 すべてを終わらせたかった。 失踪なんていうものが身近に起こるなんて思いもよらず、 怒りをぶつける相

          25.神様、お願い!嘘だと言ってください

          24.失踪

          プロローグから続いています。 当時の優先順位は 結婚生活、大学生活、仕事の順だったように記憶している。 相変わらず安定剤を飲みながら すべてを満遍なくこなしていた。 食事も毎食手作りにこだわり 宿題の一つも忘れず、 仕事にもできるだけ支障を来たさないように通い続ける。 普通の家庭というものを模索しながらも 映画やドラマくらいしかお手本がないのだから、 知る限りのすべてを発揮するのみだ。 そんな中、大学3年になった夏に祖父が他界した。 結婚してからまだ1年ちょっとしか経っ

          23.こんな私が夢を描いていいのだろうか

          プロローグから続いています。 事務所には大学に受かってから通うことを報告した。 受けることはなんとなしに伝えていたが 詳細は事後報告だったから、 弁護士は苦虫をつぶしたような表情をしていた。 なにせ受かったところは夜間学部ではなく 昼間学部だったからだ。 だから、正社員からパートタイムに切り替えてもらったり 手続きをしてもらったり、 今後の働き方もこの時にそそくさと決めざるを得なかった。 昼に仕事をしながら昼間の大学に通う。 そんな、想像以上に忙しい日々を送ることになる

          23.こんな私が夢を描いていいのだろうか

          22.何かを変えなければ…

          プロローグから続いています。 仕事は続けていた。 調子のいい時期もある。 それでも、以前のような何も考えずに行動するという感覚とは別物になっていた。 なんとかしなきゃいけない。。 私は心療内科を変えることにした。 ネットで様々な口コミを読み、 音楽療法もやっている心療内科に行くことにした。 口コミで評判なだけあって、 予約も取り辛く待ち時間も長い。 それでも良かった。 「今度こそは!」という想いだけでひたすら通っていた。 そして、ここで初めて「パニック障害」という名を

          21.壊れ始める心

          プロローグから続いています。 日々何が起ころうと 変わらず太陽が昇り陽が落ちる。 私にどんな感情が芽生えようと打ち消そうと 淡々と時が刻まれていく。 同じように朝起きて 同じように仕事へ行き 同じように友達に会い同じように彼と暮らす。 日常というのはそういうものだ。 この日も同じように朝起きて 同じように電車に乗って同じように事務所へ向かった。 いつもの通勤電車。 ぎゅうぎゅう詰めの車内は 高校生から乗りなれていた。 そして同じ時刻の電車に毎日乗れば、 なんとなく

          20.父親の居ないファザコン

          プロローグから続いています。 義父に頼る人がいないことは知っていた。 でも、こうするしかなかった。 私は義父を見捨てたのだ。 心が痛い。 私は鬼だ。 心が痛い。 弟はどうなるというのか。 でも、どうにか弟だけには連絡をとっていきたい。 何かあったら… 考えたくも無かった。 私は一つ新しい携帯電話を購入し横浜へ向かった。 義父の目を盗んで弟に会いに行ったのだ。 弟はまだ小学生。 きっと何も分からないだろう。 弟に会い私はこう伝えた。 何かあったら、この電話でお姉ちゃんに電

          19.義父を殺した日

          プロローグから続いています。 仕事もプライベートも充実していた。 毎日が楽しく過去がどうとか考えることが少なくなった。 それでも時折 母と共に弟宛にお肉やお菓子を送っていた。 誕生日やクリスマスになればプレゼントを送ることもあった。 すべてが上手くいっていた。 贅沢言えば色々あるが すべてが良い方向に向かっているように思えてた。 弟に会った余韻が覚めやらぬ頃 事務所に一本の電話が入った。 義父からだった。 携帯電話の番号も知っているのに、なぜ事務所? 同僚などにはまだ自

          18.安堵との出逢い

          プロローグから続いています。 これまでにも増して、仕事に励むようになっていった。 そして仕事は大変ながらも充実した日々を過ごしていた。 事務所には新しい人も入り、 何か流れが変わっていくようにも感じていた。 そして新しく入った同僚とはすぐに意気投合し、 仕事帰りに事務所近くのアイリッシュパブへ二人で行くのが日課となっていく。 新宿西口に位置するそのパブには、 当時、旅行者や日本で働く様々な国の人たちが集い、 店内はさながら異国のような空間を見せていた。 女性二人でパブへ行

          17.6年ぶりの再会

          プロローグから続いています。 横浜にあるホテルのロビーが待ち合わせ場所だった。 義父は少し歳を取っていたが 依然とさほど変わらない風貌、 見覚えのあるスーツを身に纏っていた。 麻貴、大きくなったね。 そんな義父の言葉に私は一瞬ドキッとした。 まるで何かのテレビで見たような、 実の父から久しぶりに会う娘に傾けるような 優しい眼差しを感じたからだ。 小学生になった弟に記憶があったのか定かではないが、 写真などで私のことを知っていた。 弟が戸惑わないように、 泣きたいくらいな