26.こんな私がお母さんになるなんて…

プロローグから続いています。



子どもを授かったことに喜べない自分を責めていた。
そんな私の気持ちを誰も分かってもらえないと悲観していた。

家に帰れば喜ぶ夫。
実家に連絡し「おめでとう」という言葉を浴びせられる毎に、
嬉しさを表現しなければならなかった。
お祝いを聞くのが辛かった。
喜べない自分を誰にも言えない自分が辛かった。

子どもが欲しくなかったわけではない。
ただただ怖かったのだ。
こんな私が。
普通に子育てが出来るわけもない。
まして私は薬も飲んでる。
薬を飲んでいることについては、夫も知っている。
病院にも相談し診察のたびに薬の影響を聞き、
漢方に切り替えた。

それでも襲ってくる不安感に押しつぶされそうになっていた。

喜べない自分が悔しくてたまらない。
妊娠発覚間もなく酷いつわりが襲った。
自分がパニックであるのが分からないほど、
発作がどうとか意識をできないほど

吐いては食べ、食べては吐く毎日。
頭痛にめまいで布団とトイレの往復しかできなくなった。
そして、そのうち水も薬も飲めなくなっていった。

それでも時間と共にお腹の子はどんどん成長していく。

母子共に順調ですと言われることだけが頼りだったが、
それでも自分の奥底にある不安や怖さを
拭い去ることはできないでいた。


妊娠8ヶ月ころまでつわりは続き
ようやく動けるようになると、
今度は不安が怒りへ変貌していった。
どうして分かってくれないの?
こんなに私は不安なの!
そんな想いはもはや消えうせ、
誰彼構わず当り散らす。

友人と気分転換だってした。
9ヶ月に入ると妊婦向けの講座に通うようにもなった。
ありふれた光景に染まるように、
子供服も何度も買いに行くこともあった。

傍から見たら、普通の妊婦さんなのだろうか。

それでも怒りは収まらない。
どうして分かってくれないの?
こんなに私は不安なの!
それを覆いかぶせるような怒りが、
つわりで寝たきりな日々よりずっと苦しかった。
体が苦しいことよりも、
心が苦しいことの方が辛くて怖くてたまらなかった。

パニック障害という名の元、
病院を三度転院し帝王切開で出産することに決まる。
医師の判断により、
陣痛なのか発作なのか分からないから帝王切開にするという判断だったが、
これすら自分を責める材料の一つとして引き出しにしまわれていく。
やっぱり私は普通に産むことすら出来ないのだ。
そんな想いがさらに心の奥に突き刺さる。


出産一ヶ月間前。
私の想いとは裏腹にすくすく育ったお腹の子が、
急に逆子になったのだ。
この子は既に私を見てくれている。
そんな感覚を始めて憶えた。
逆子だから帝王切開だったのよって
私に理由を与えてくれるかのように感じていた。
今思えば、薬も水も飲めないほどのつわりの期間を私に与えて、
自分の器官形成の時期を乗り越えさせてくれたのかも知れないとさえ思う自分がいた。

もしかしたら、こんな私でもお母さんになれるのかも?
微かながら、私にもお腹の子供の声を聞けたのかも知れない。



出産当日。
いつもよりも穏やかだった。
担当医に好きなCDをかけながらのオペにしようと言われていたので、
思い出の曲が詰まったサザンのアルバムを抱えてオペ室に運ばれていった。
無機質なタイル張りのオペ室。
緊張感が走る横でいつものサザンの曲が流れる。

神様お願い!
どうぞ五体満足な子どもでありますように!
脊髄麻酔で感覚がなくなる瞬間、
私ははじめてお母さんとなった。



つづく


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