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資本主義を創り直す解は「フレキシキュリティー」か?【日本の論点 2022-23(大前研一)の書評とあわせて】

2022年1月1日の日本経済新聞朝刊の1面のタイトルは、成長の未来図 (1)
資本主義、創り直す 解は「フレキシキュリティー」
でした。
この記事は次のように始まっています。

資本主義が3度目の危機にぶつかっている。成長の鈍化が格差を広げ、人々の不満の高まりが民主主義の土台まで揺さぶり始めた。戦前の大恐慌期、戦後の冷戦期と度重なる危機を乗り越えてきた資本主義は再び輝きを取り戻せるのか。成長の未来図を描き直す時期に来ている。

日本経済新聞 2022年1月1日朝刊

この記事の概略を記すと、
資本主義と民主主義の両輪がうまく回らなくなっている。
日本は行き過ぎた平等主義により「国民総貧困化」の様相を呈している。
米国は経済成長率は高いものの、貧富の格差が許容範囲を超えている。
第二の経済大国である中国も成長の裏で格差が広がり、幸福度は低い。
成長・格差・幸福度のいずれをとっても見劣りする日本が生き残るための解は、北欧諸国から欧州に広がっている「フレキシキュリティー」だ。
それは「柔軟性(フレキシビリティー)」と「安全性(セキュリティー)」を組み合わせた政策で、解雇規制が緩やかで人員削減がしやすい一方、学びなおし(リスキリング)や再就職の支援など保障を手厚くするものだ。

です。

世界中を見渡しても、これまでの資本主義が行き詰っていることは明らかですが、その解が、特に日本にとっての適切な処方箋が「フレキシキュリティー」なのかどうかを、2021年12月に発行された大前研一氏の『日本の論点
2022-23』の論旨と照らしあわせてみていこうと思います。

1. 書評:日本の論点 2022-23(Amazon レビューより)

レビュータイトル:総花的にならずに、的を絞った「論点本」

毎年11月から12月にかけて、翌年の社会や経済をどう読み解くかを表した「論点本」が多く出版されますが、どれも似たり寄ったりで総花的なものが多いなか、大前研一さんのものは、これが最重要な視点だというものに絞って書かれているので、「知る」というよりも「見方」を示唆してくれます。

本書『日本の論点 2022~2023』では、国内編として「安いニッポンからの脱却」海外編として「欧米目線以外で国際情勢を見ることの重要性」
テーマを絞って論じられています。

■「安いニッポン」にこれからの課題のすべてが凝縮されている

これだけグローバル化が進むと、国内問題と国際問題は切り離せませんが、あえて切り分けるとしたら国内問題に課題が山積していますし、見方を変えるならば、日本自身で「変革」できるものがかなりあることがわかります。

大前さんが「安いニッポン」の象徴として書かれているのが、アジアにおける日本の経済力の凋落です。2020年時点で、日本はシンガポールと韓国に、一人当たりGDPで追い越されています。
本書では触れられていませんが、都市レベルでみると、中国のメガシティである、北京や上海などの地価は東京以上ですし、企業の管理職、特に部長級以上の役職者の給与は、ラフに言うなら日本の管理職のおよそ2倍です。
自信を失う必要はないですが、日本はアジアにおいて既に、突出した経済大国ではないという、現在地をはっきりと認識することが求められています。

ではどうやってより良い国にしていくのかについて、大前さんは大別すると2つの指摘をしています。

ひとつはビジネスの構造改革です。

大前さんは以前から、ドイツが2000年代に取り組んだ「アジェンダ2010」による改革を高く評価していますが、その要諦は、「雇用の流動性を高めることで、新しい産業を育てる」ことです。
日本では、法令や商慣行、そして私たち労働者のマインドを変えないことには、このような短期的には痛みを伴う改革を進めることはできません。
もちろん、痛みをできるだけ緩和して、構造改革を進めるためには、政府の支援や仕組みづくりの後押しが不可欠で、学問の学び直しである「リカレント」や、新しいスキルを身に着ける「リスキル」の仕組みや、そのための補助制度が必要になります。

私自身、本書を読むまでは漠然とした考えしか持てていませんでしたが、日本の著名な経営学者である学習院大学の守島教授が言うように、日本は「人手」不足よりも「人材」不足が深刻だということを強く感じました。
顕著な例としては、IT人材、それも高度なレベルの人材が不足していることと、語学の問題です。
前者は、IT人材に対する給与などの処遇があまりにも他国と比べて低いことです。
20代のIT人材の平均給与で比較するなら、アメリカは日本の2.5倍です。
後者の語学力については、これからの時代は、その道のプロフェッショナルでなければ生き残ることすら難しいことを念頭に置くと、上述のIT(デジタル化やDX)をはじめとして、特定分野で秀でた能力を有する企業への外注化が進むだろうと予見できます。
その時に、語学障壁のために海外のリソースが使えないことは致命的です。
初等教育で英語学習が始まってきていますが、そのレベルでは追いつかないです。
一方、アジアでも台湾などを見ると、しっかりと教育システムをデザインすることさえできれば、新しい世代が十分な英語力をもつことは決して夢物語ではないことを実例として示してくれています。

ビジネスの構造改革と同様に不可欠なのが、教育改革です。

これからの答えがない時代では、先生(ティーチャー)は要らない
必要なのは、答えを見つけたり、考えだしたりすることを促進するファシリテーターだという大前さんの主張には賛意しかありません。

両改革で肝となるのはデジタルです。デジタル、DXを目的化する愚を犯してはいけないですが、手段としてこれなしでは達成できないのも事実です。

■欧米中心ではない、複眼的な国際情勢を見る視点を養え

トランプ前大統領以降で、アメリカがすっかり変わってしまったことは誰の目にも明らかです。
詳細を見ていくと、トランプ氏が変えたというよりは、彼の出現により、アメリカ社会の病巣が顕在化したとも取れますが、ポイントを指摘するなら「社会の分断(格差社会)」と「人種問題」です。
今や、かの国はアメリカ合衆国(United States)ではなく、分断国(Divided States)と呼ぶほうが実態に合っています。
日本は戦後から今まで、安全保障の観点から、実質上、アメリカ追従を国是としてきていますが、アメリカがかつてほどの余裕がなくなってきていることと、歴史的に見ても外交スタンスを急変することがあることを踏まえると、アメリカだけに依存する体質は見直さないと危ういです。

そして、そのアメリカと覇権を争うところまで力を付けてきているのが、中国です。
第二の経済大国であり、我が国との経済の結びつきも強いため、日本にとっては、中国を抜きにした経済政策をもはや考えられません。
その中国ですが、経済や新型コロナ感染症の抑え込みなどで強さを見せている反面、大きな課題や不透明な要素も抱えています。
本書で強調されているのは、「一人っ子政策」の反動で、男女の構成比率がいびつになりすぎていることや、図版を力ずくで拡大しようとし過ぎていること、なにより漢民族以外の “マイノリティ” への対応などで一歩誤れば、中国共産党政権が瓦解する可能性を秘めていることです。

多くの日本人にとっては、中東問題や、東南アジア情勢、ましてやアフリカで起こっていることなどを自分たちと関わりがあることとして捉えるのは難しいです。ですが、これらの多くには、アメリカと中国の影響が大きく関わっていることを考えると、米中二大国の動きを押さえておけば、世界の出来事をかなり理解できるとも言えます。

本書のはじめと最後に大前さんが書いているように、日本としては、米中どちらにも与することなく立ち回ることが真に求められる時代なのでしょう。
そしてできることなら、両国の狭間でうまくバランスを取り、世界における存在感を示すことのできるキャスティング・ボートを握ることが、日本にとってのベストシナリオだと感じました。

最終章に書かれている、イスラエルと台湾が持つ強さが、日本復活のキーワードだ、という主張だけが、それがこれからの日本に有効なのかなという点で物足りなさを感じました。

それ以外は、大いに共感できるし、示唆に富んだ良書だと思いました。

2. 日本を良くするために、本当に必要なこと

前半に載せた日本経済新聞の記事と、後者の大前さんの著書の国内編で言っていることは、ほとんど同じです。
はじめの問いに戻りますが、ベストかどうかはわからないけれども、「資本主義を創り直す解は、フレキシキュリティー」とするのは、少なくとも筋の良い考えだと思います。
日本は、私たち日本人は、失われた30年を経験してきていますが、その痛みが慢性疾患のように緩やかに起こっているため、「いまこそ変わらないと」という危機感を持てずにいます。
また、大前さんの著書の書評の最後に書いた、イスラエルや台湾がもつ強さを日本に当てはめることができないとしたのは、地政学的な危機感の切迫度合いが日本とは違うからです。

日本的経営システムがもはやもたなくなっていることを、ほとんどの人は気付いていて総論賛成だけれども、自分事としてみた場合に痛みが大きいとき、反対派に回るというのが現状なのかもしれません。

繰り返しになりますが、生き残りの本質は、適応のための「柔軟性」です。
ただ、自然淘汰では厳しくなりすぎるので、緩和策として「安全」を担保する施策(セイフティネット)が欠かせません。
さらに言うなら、大前さんの主張で強調されていて、日経新聞ではあっさりと書かれている重要なことは、「学び」です。
これからの学びは、6・3・3・(4)の学校制度に限るものではなく、生涯学習という視点が不可欠です。もっというなら、現在の学校制度による教育はあくまでもベースとなるものであって、そこからの応用や深掘りは人生全体を通して行っていかないと苦しい人生になります。
こう書くと、「勉強は好きじゃない」「働きながら学ぶ時間なんてない」と思う人も多いかもしれません。
ですが、「学び」の定義を広げてみると違った景色が見えてきます。
これからの「学び」は、押しつけられた勉強ではなく、自分の興味のあることを追究するものになります。それに、いわゆる「勉強」でもありません。
知識優先だけではなく、身体性を持ったスキルを磨くことも含まれます。

いまだ終息の気配が見えない新型コロナ感染症問題を契機として、私たち日本人は、従来には戻れない「ニュー・ノーマル」の時代に突入していることを実感しているはずです。
今年2022年が、今後の日本の盛衰を決める重要な年になるように思えてなりません。停滞はすなわち衰退です。

最後です。
私たち個々ができるのは、「学び」です。

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