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倫理の教科書と社会福祉士と片山潜

■娘の教科書仕分け

 今春高校を卒業する上の娘は、春からは短大に進学し、保育士資格取得を目指します。ジャンルは違うながらも、ともに福祉の仕事が目標にあるわけです。
 何気に日常会話にマズローが登場したりします。

 そんな長女ですが、卒業試験も終盤となり、早くも教科書の片付けに入っているのでした。山積みの教科書を広げて、質の良い英語の教科書は妹に押しつけ贈呈し、捨ててもよいものは脇に並べ、中にはプリント教材でのみ授業を進める教師がいるそうで、そんな一度も使われていない教科書も混じっています。

 わたしも長女の教科書仕分けに首を突っ込んで、あわよくば宇宙科学モノを譲ってもらおうと物色しています。

■倫理の教科書

 長女の好きな科目のひとつに倫理があるのですが、本人いわく、
「マーカーを引くようになってから、理解しやすくなった」
 と。今頃、勉強が楽しくなってもねぇ・・

 倫理はわたしも好きです。神話から哲学、宗教、形而上の世界・・。
 そして、この倫理の教科書が、また手になじみやすいA5サイズなのです。何気にパラパラ読んでいると、なんと、片山潜の名前を見つけてしまいました。

 ただし、わたしが社会福祉士の勉強途上で学んだ片山潜とは少し違う片山潜が、そこにいました。

 片山潜のページは社会主義思想家・幸徳秋水の記述のところです。

 日清・日露戦争後の日本は産業革命が広がり、同時に労働問題が人々の社会主義思想を高めることになりました。
 当時の社会主義思想は2分され、片山潜はキリスト教に基づく人道主義の立場側の人でした。

 一方、幸徳秋水は中江兆民の民権論思想や平等主義をもととするグループにいて、近代文明の裏にある窮乏は社会主義の力で解決すべきと論じました。

 一見、反りの合わなそうな二人ですが、幸徳秋水は明治34年、片山潜と活動を起こしています。社会民主党の結成です。この日本初の社会主義政党は即日禁止になりました。

■キングスレー館

 娘の教科書を読みむさぼって、ふと、わたしの学んだ片山潜とは随分おもむきが違うことに、気持ちが引っかかります。

 今一度、わたしの社会福祉士国家試験の参考書を開くと、片山潜については、
「東京神田にセツルメント施設・キングスレー館(隣保館)を創設」
 と、シンプルな解説のみです。

 もう1冊参考書を開いても、
「わが国のセツルメントは(略)1897年の片山潜によるキングスレー館が最初といわれる」

 ・・たった、これだけでした。

 片山潜がキングスレー館を設立したのは1897年・明治30年のことです。友人である高野房太郎とともに神田の自宅を改良、キリスト教社会事業の拠点として立ち上げました。

 その3年後に社会民主党を結成し、即刻活動禁止となり、幸徳秋水は9年後に逮捕、翌年処刑されています。
 片山潜はその幸徳秋水と日本社会党の結党に加わった後に日本社会平民党を結成するも、明治44年逮捕、投獄されました。恩赦で出獄後はアメリカへ亡命し、最期はモスクワで亡くなりました。

■この方もまた郷里・岡山のひと

 そういうわけで、娘の教科書を読まなければ片山潜という人物の生臭い部分を知らずに勉強を進めるところでした。

 彼はただの「キングスレー館の人」だけではないのです。

 そして、以前「岡山の四聖人」という記事を上げましたが、この片山潜も岡山県久米郡の出身なのでした。

 岡山には、なんと多くの福祉の功労者がいるのでしょう!

 岡山&福祉だけで、まだいくつも記事が書けそうです。


             * * *

 今回は岡山の青空をお借りしました。
 わたしは田舎に帰る気はまったくありません。
 でも、福祉の礎となった岡山という土地は好きです。

 

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