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ママ、大学院にいく 〜トリプル受験の行方

その年、長男は高校3年生、次男は中学3年生。
それぞれ、大学受験と、高校受験を控えていた。

ママはフルタイムで仕事していた。
思春期の息子たちはそれぞれ、学校や部活やらに忙しく、家ではぶっきらぼうでどこまでも思春期だった。

ママは、小学校の先生をしていた。
とにかく忙しい毎日だった。

その年の5月ごろから、「ヘルペスが治らない」状態が続くようになった。
お医者さまには「こんなに治らないなんて、大きい病院で診てもらった方がいい」って言われるようになった。でも、原因がわかってる気がして、行かなかった。

なんか疲れた、ってずっと思ってたけど、
だからって何も変えられなかったし、変えようもなかった。
変える気力もなかった。

でも、ある日。
ママは倒れてしまった。
お医者さまは、こう言った。
「仕事辞めないと、あなた死にますよ」

ええっ 
ちょっと休めば大丈夫です 
ってママは言ったけど、ダメらしかった

「先生としての自分」は、
ガラガラと崩れてしまった。

自分の肩書を失うことになったママは、
ふと自分の縛られている「べき」の存在に気づく。

「先生としてこうあるべき」
「よい先生とは、こうあるべき」
「受験生の母は、こうあるべき」
「よい母として、こうあるべき」
「女性たるもの、こうあるべき」

見えないバイアスって、
けっこうあるね。

日本では「察すること」や「空気を読むこと」ことが美学、
そんなこと頭ではわかってるけど

もし、これ全部なしにしたら、
なにする?なにしたい?
わたしは、何したいんだろう?

うーーーーーん、と考えて、
思いついたのが、
「大学院に行ってみたい」だった

「四十路で今さら大学院に行くなんて?」
「息子たち、ダブル受験なんでしょ?」
「今じゃなくてもいいんじゃないの?」

それをやらないための言い訳は、
山ほど思いついた。

でも、その言い訳は、
実は全部、
「べき」に支配されてることにも気づいた。

「ママなのに大学院?」 
ママは行っちゃダメなのー?
だって、この先の人生、ずっとママなのに。

「四十路で今さら」   
大学院は若者だけがいくものなの?
若いときは、行きたいって気づかなかったよ。

「息子たち、ダブル受験」
受験生の母は、子の受験に専念しなきゃダメなの?
お金が続くの?・・・確かに。

「今じゃなくても」   
じゃ、いつならいいの?

人生の転機なんて、
思い通りのタイミングでやってはこない
というか、思いついた時が、そのときなんじゃ・・・・

と、いうわけで、
ママは大学院入試を受けることにした。
期せずして、トリプル受験となった。


次の春。
長男は、大学1年生になり、
次男は、高校1年生になり、
ママは大学院1年生になった。

我慢に変わる私の選択肢、
それは、「自分らしさを優先する」ことだった。


ママは何となく、
ヘルペスの原因がわかっていた。

日常を変えたくない一心で、我慢していた。
変化しないことが、自分の利益になっていた。

変化を拒み続けた毎日は、
「自分らしさのない毎日」。

それが、無意識に身体を蝕んでいたのだ。


ママ、大学院にいく。

仕事をしていたとき、あれほどママを悩ませたヘルペスは、
大学院の忙しい毎日のなかでも、一度も再発していない。

ついでにいうなら、一度も体調すら崩していない。

自分らしく生きることは、
実は健康につながるのかもしれない、とママは学んだ。

そして、
我慢は美徳ではない、ということも。



ツムラ#OneMoreChoiceプロジェクトとnoteで開催した「#我慢に代わる私の選択肢」投稿コンテストでこの記事が入賞しました!わたしのつたない経験が、いまも頑張り続けている誰かの心にそっと届くと嬉しいです。


この記事が受賞したコンテスト

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