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どれだけ空想しても新しい視点はひとりでは見つけられない。

昨日のnoteで、noteだと自然に書けるのにブログは難しくてハイレベルなものだと感じていると書きました。


そして今日、我らがなつみっくすが、ブログをずっと続けていたけれどnoteは憧れだったと書いていました。

noteとブログのイメージを、デパ地下と路地裏のお惣菜屋さんに例えられていて、「みんなで一緒に」と「孤独な個人戦」みたいな、何かわかる!と共感したりもして

でもわたしは、ブログを2年間もコツコツ続けていたことが何よりすごいと思いました!というのが1番の感想ですが😂

そんな共感ポイントもあるけれど、

なつみっくすはnoteの好きなところの一つに、広告が出ないところを挙げていて、わたしはブログに広告をつけられるようになりたい!と思っていた、この真逆感が面白すぎて。

何だか新しい扉が開けた気がしました。

ごはんを作るのが面倒な私と、ごはんを買いに行くのが面倒な友人

そういえばつい最近、同じような話があったなぁと。

例えば週末どこかに出かけた帰り、あー今から帰ってごはんつくるの面倒くさいなぁ、もう食べて帰るか買って帰るかにしよ!と、すぐなってしまうわたし。

でも友人は出かけた帰りで疲れているなら少しでも早く帰りたいから家にあるもので済ませればいいや!ってなると言うんです。

いやいやたまたま家に何かあれば良いけれど、ありもので何を作るのか考えるのもしんどいし、結局何もできなくて出直しになっちゃうかもしれないしと言うと、

いやいやご飯炊いて常備している卵とウィンナーで、炒飯ならいつでもできるから大丈夫だ!と!!

あとわたしは、平日のひとりのお昼ごはんなんて最高に面倒で、何か買いに行きたいのを我慢したり結局買いに行っちゃったりするのですが、自分ひとりだけのためにわざわざ買いにいくほうが面倒だと言うのです。えー!!

何かすごいものを作らなきゃ、ちゃんとしたものを作らなきゃって思うから作るのが面倒になるんだよ。
素麺茹でてポンと出しておしまい!とか、納豆ごはんにウィンナーチンしておしまい!とかで良いや〜って思ってるから、作るのが面倒なんて思ったことないよ!

と言われて、本当目から鱗でした。

たしかにわたしは作るのが面倒だとほぼ毎日思っているけれど、見栄えも良くしたいし栄養バランスもとりたいし、できるだけ品数も欲しいし…ってわりとこだわってやってるなぁ、作ることより考えることが面倒なんだよなぁと気がついて。

ごはんを作ることが苦ではない  ≠        お料理大好き(お料理上手)
できればごはん作りたくない  ≠         お料理オンチ(料理嫌い)

かなり新しい発見でした!

どんなに想像しても、開けない扉もある

例えば今回のケースだと、

「わたしはごはんを作るのを面倒なんて思わないよ!」

と聞いたら、

すごいなぁ、お料理得意なんだろうなぁ、好きなんだなぁ

と想像します。

お母さんもお料理上手だったのかな、
出来合いを買ってくることに抵抗があるのかな、
健康志向なのかな、
食にこだわりがあるのかな、
なんていろいろな想像をするけれど、

まさか

「あるもので食べられるものを出せば良いだけだと思っているからだろうな」

なんて想像は出てきません。

何かひとつのことについて考えた時、自分ひとりでいろいろなケースやパターンをどんなに想像しても、他の人の話を聞くだけで「わ!そんなパターンがあるのか!」という、自分には想像できないようなことに気付くことって結構よくある気がします。

おしゃべりで気付く、原因や課題

だから結局いろんな人といろんな話をすることってすごく大事だと思います。

仕事とか悩み相談とかじゃなくても、こんな日常の些細なことでも新たな視点に気がつくことで、自分の根本の課題やクセに気がついたりもします。

今回のことで、

書きものを発信する場として、自分運営のブログが最高峰だと思い込んでいたこと
料理をするなら、彩りよくバランスよく品数よくしないと、とこだわっていたこと

に初めて気がつきました。

それがブログ書けない、ごはん作れない、の根本原因だったのかもしれないなと。

もっと気楽にやろうよ〜わたし!なんて改めて思ったりもして笑

もっともっといろんな新しい扉を開けていったら、自分の苦手の原因が分かって克服できるヒントも見つかるかも!と思った出来事でした。

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