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コミュ力がないと田舎暮らしはできない

京都に戻ってきたので、通常通りの毎日noteに戻そう。1週間近く帰省すると、ネタがたまる。さて、何から書こうかしら。



「おーぃ、だれかおらんかぁ」

帰省翌日の朝。朝食を終えてぼんやりしていると、裏の勝手戸が開いた。

知らないおじさん。

“だれか”の中に、私は入ってないようなので、急ぎ母を呼びにいく。

「まぁ!もしかして」

と感嘆の声&よそゆきの2オクターブ高い声で応対する母を見ると、すでにお目当てのものはわかっているようだ。娘も一緒に連れて、勝手口から外にでると

新鮮なアミは生で食し、かき揚げで食す

アミ!

正式名称はなんて言うんだろう?小さなエビ。一目で新鮮さが分かるキラキラと光るアミ。

「今日のは一段といいよ!」
「お客さんきてるから助かる~~。娘たち、もってるわー」

知らないおじさんと母とのかけあい。
朝から二人ともテンションが高い。


と思っていたら、玄関でピンポーン。
また誰か来た。

「あーっ、忘れてた!今日ごいんげさん(住職)が来る日だったわ」

ごいんげさんは私も知ってるので、急いで玄関に向かい対応。

「○さん(見知らぬおじさん)がきちょんやね」

実家に帰ってきたとホッとする方言と、見知らぬおじさんは、近所のおじさんであろうことが判明する。

娘と一緒にお経を聞く。
お寺や神社にも比較的連れて行っているので、おとなしくお経を聞く娘。慌ただしくお茶の準備をする母。

ごいんげさんと、ひとしきりお話をしてから一息つく。すると、また勝手口が開いて

「あら、マキちゃん帰ってきてるのね」

と声主は、いとこの奥さん。

まだ午前中。
すでに3組のお客がやってきている。

お客が来るたびに、2オクターブ高い声で応対する母に感心しながら、ハイペースな来客に母が疲れそう(でも、何ら役には立てない)なので、退散しようと父がいる畑へ向かう。

田んぼだらけ

畑へは数百メートル。
いつもは手をつなぐのを嫌がる娘。知らない道だからだろうか。大人しく手をつないで散歩。


ここでもまた知り合いに遭遇。
「あら、まきちゃんと娘ちゃん!いつもお母さんにお世話になってるのよ」

母の方がお世話になってる方にご挨拶して畑へ。


帰省した翌日の午前中。数時間の出来事。
もちろん、毎日来客があるわけではないが、来客がない日はないほど、母は多忙。


田舎で暮らすとは、こんなにも人との接点があることなのだろうか。特別?
コミュニケーション力、だいぶ必要じゃないか。コミュ力だけじゃない、困ってたらお互いさまと助ける精神だったり、対人との距離感を学んだり。

人との距離の近さにわずらわしさを感じて、都会を好んでいたのだけど、歳をとって、少しまた自分も変わってきてるのか。

いやー、母を見てるとなれる気はしない。

京都に遊びに来るたびに、20個近くお土産を買って帰る母に驚愕だったが、帰省期間の人の往来の多さで、なんかまぁ納得。

毎日空がきれいだなぁ、だけではすまない。
それが暮らしだよね。

洗濯を取込みながら、毎日夕焼けを眺める

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