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共感されにくい悩みは書きづらい

タイトル通りですが、
「共感を得にくそうな悩みは書きづらい」
と思っていたことに気づきました。
好き勝手に書いているはずだったのに。

それに気づけたのは、仲間の一人が、以下の記事を読んでメッセージをくれたから。

家族でアフリカンサファリに行って、そのトイレで娘から「パパがいい!ママキライ!」と泣き叫ばれて辛かったことを書いた記事です。

頂いたコメントには
・うちの場合は、ママじゃなきゃダメ!
・もう少しお父さんがいいって言ってほしい
・ママにも自由を与えてほしい
ということでした。

多くのママさんが同じような悩みなんじゃないかと推測します。実際、友人の話でも、セッションの中でも『もう少しパパに協力してほしい。自由な時間が欲しい』という悩みや希望は多いです。

コメントをくれた彼女もバリバリ働いていて、小さなお子さんが二人いて、更には責任感の強い頑張り屋さんだからこそ、もう少しだけでも。。という切なる願いが痛いほど分かる。

悩みが分かるからこそ、自分のような
『パパが協力的で、パパっ子な育児の悩み』って書きづらいなと。

パパっ子とか楽でいいじゃん。
自由があるっていいじゃん。

と共感されなさそうなことは、敢えて書く必要がないかなと、ブログネタから外す傾向にありました。そして不満や悩みが沸々溜まっていくという悪循環。

ブログを書くことの根底に、役立つ内容か、オモシロいか、共感があるか、どれかはないと意味がない。と思っている自分がいたんですよね。

お役立ち情報を書いてないと自覚しているし、オモシロさも特段ない。であれば、せめて共感される内容をと。 

同時に心の中でもう一人の自分が言います。
“いやいや、何言ってるの。自由に書けばいいでしょ。まえまきブログは、日記赤裸々に思いの丈を書いてるんじゃないのか”と。

上のママキライと言われて泣いてしまった記事なんて、まさに感情全部乗せの書きたい放題。一記事には一メッセージが良いとも言われますが、殴り書いている状態。

感情全部乗せな分、読んだ人にとっては、“この人は何が言いたいんだろう”とかは分かりづらいでしょう。その分、自由に何かを受け取ってもらえるのも事実。

彼女からのコメントの最後に、パパっ子、ママっ子、

どちらに偏りすぎても結局しんどいんだな、という学びになりました。

彼女からのコメントの最後に

と頂きました。

そっか、読んで下さった方が自由に解釈をし、学びや気づきを得てくれる。もちろん学びも気づきもなくていいし、意見だったり、アドバイスがあったり。それっていいなと。

当たり前のことを、改めて思い出させてもらいました。


書いた時点で私の想いの放出は完了し、その後は受け手(読み手)の、受け取り方次第でしかない。

共感されるかどうか、役立つかどうか、相手がどう思うか。あまり考えすぎると何も書けん!

しかも、感情全部乗せ系の日記は、いつもよりスキを多く頂ける不思議。真っ裸になってるのが伝わるのでしょうかね。

ということで(無理やりまとめに入ると)、
引き続き赤裸々な想いの丈を綴ろう。

彼女のコメントのおかげで、私も新たな気づきとなりました。

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