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今日は何が書きたかったんだろうな。情報沼、愛国心、様々な意見?

毎日noteを更新すると、時々何を書こうかなと迷う日がある。今日はそんな日。

昨日8月6日は広島平和記念日だったので、もともと書く予定の『平和への祈り』について書いてみた。ただのエッセイなんだけど、自分としては勇気の必要だったこと。noteでは勇気を出して書いてみる、というのも一つ大事にしているポイント。

平和への願い、政治、宗教的なことを考えはじめたのがちょうど9歳10歳の頃。この頃は学校生活、習い事、友人関係とどれも転落し始めた頃で、思い出すのが辛い過去。

辛かったからこそ、自分を省みる、内省を始めた頃でもある。

年上の男の子に嫌われてたなとか、そもそも男子に嫌われていたとか、習い事の伸びが悪くなってずる休みしてたなとか、色んな思い出が蘇る。

その中でもとりわけ国歌斉唱反対、国旗掲示の反対を代表とし反日感情を持ち、愛国心を失った時期でもあった。教育や環境要因が大きかったが、何でも情報を鵜呑みにする自分だった。

“あれ、もしかして随分偏った教育の中で生きてきた?!”

と気づいたのは大学生になり、本屋で手に取った一冊の雑誌のおかげだったのだが。 

今は情報に溢れている。多様な情報がある。ただ結局取捨選択するのは自分自身であり、SNS・ネットの中にいると自分が見たい(好む)情報の沼にハマっていくだけだ。全然多様な情報の中では生きていない。

ネットに限らず、人との付き合いも同じだろう。好む人と一緒にいれば、おのずと似たような人たちの集団になり、多様性とは言い難い。

10歳の頃の自分と同じではないか。といつも危惧しながら情報や場に向き合う。

いつも自分は浅はではないか。
画一的なのではと考えながら。

幸い、夫とは意見が合うことがほぼないので、違った見方を必ず提示してもらえてありがたい。


例えば先日も

「なぜ今でも支配や侵略が繰り返されるのだろう。日本の政治にしても、世界を見渡しても。それ以外の方法はないのかな。」と言うと

「まきが考えるのは弱者の理論。権力・武力を持った人たちからすると、支配や侵略が一番理にかなっている。だって力を備えてるんだから。」

という夫婦の会話。その後どんな展開になったのかも覚えていないんだけど、違う意見を持つ人との対話の価値。それが一番身近な家でできることへの感謝をもったのは言うまでもない。

他にも、彼は日本という国にとても誇りを持っており、天皇家や神話、歴史も含め比較的詳しい。私はというと、最近やっと日本という国に興味を持ってはいるが、いまだに10歳の頃の非愛国心が顔を出すことが多い。更に無知。国家、天皇、歴史、今まで聞いてきたことをすべて刷新する形になってる。

さて、ここまで書いてみて今日は何が書きたかったのかも分からないんだけど、8月6日に想いを馳せていたら、9~10歳頃の自分が鎮座していたので、気になることを文字にしてみた。


閲覧数の下がる土日だからこそ、とりわけテーマも持たずに書いてみよう。というのもあったのかもしれない。

何のオチもテーマもない中ですが、本日はここまで。ばーい。

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