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maimaica
何気ない一言は、呪いにもマジナイにもなる
夫婦談義の様子を書いたこちら↓↓
数日前に記事を書いたにも関わらず、今月一番読んでもらえている記事。
夫から「まきの人生は、イヤなことから逃げ続けている人生」と評されて、それについて考えてみた内容をしたためた。
これにコメントをくれたのは幼馴染の友人。かれこれ出会って30年以上になる。自分の「好き・やりたい」に邁進する姿に憧れた初めての相手。
わたしはまきちゃんは「目標に向かって努力ができる人」だと思うけど。それと決めたらまっしぐらに努力する。
— 深夜のサンリオ図鑑 (@okuyuki0131) December 21, 2022
「まきちゃんは、目標に向かって努力ができる人」だと思うと書いてくれていた。
純粋に嬉しかった。一方で、
「努力ができる」
は、少しほろ苦い感情が蘇る。
何をやってもどんくさくて、とにかく地道に努力しないと人並みにできない。人並み以上にと思ったら、だいぶ努力しないといけなくて、必死になっていた記憶。周囲は見えなくて空回りしていたことも多々。
そんな学生時代の努力のおかげで、少しだけ苦手な領域も減った。
昔、母から「努力できることや継続できること」を褒められていた時は、プレッシャーになって、呪いのように重くのしかかっていた。
母からではなく幼馴染から言ってもらえる。
時を経て言ってもらえる
「努力ができる」は、オマジナイのように感じて。
同じ言葉だけど、誰が言うかによって変わる。受け手の器や状況によって変わる。
それがコトバ。
呪いも呪いも、同じ漢字の『呪』。
口から出てくる兄は、呪いなのか、呪いなのか。
どうせだったら、おまじないになるように上手に受け取ろう。
そう、夫の言葉もね。
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