「助けたい。」だけど、その相手は助けてもらいたいのかな
助けたい、役に立ちたい、貢献したい、応援したい。自分がそう思った時、必ず対象になる人や物事が存在する。
どれも耳障りのいい言葉で使いがちなんだけど、自己満足になりやすいなと。
「助けたい気持ちは自己満になってないか、相手は助けられたくないんじゃないか」ということ。
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何かの企画をする際、公に声をかけるのとは別に、気になる人に声をかけることがよくある。“目的にあってそう、元気なさそうにしてるから誘ってみよう、楽しんでもらいたい”と、まぁ色んな理由があって誘う。
“声をかけてもらったから~”と純粋に前向きにとらえてもらうこともあれば、“いらぬお節介”な時もある。最も危険なのは、
相手は本当は欲してない(断りたい)のに、断れなかった場合。
誰しも断れるわけじゃないからね。
助けたいという気持ちじゃなかったとしても、“良い方向に進めば”という完全な押しつけをしちゃう時がある。すまぬ。
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「だいじょうぶ!できる」
2歳2ヶ月の娘の口癖。2歳直前から、何でも自分でやりたいが始まった。
高い所から落ちて、ケガしちゃうんじゃないか。事故にあったりするんじゃないか。
という母の不安から、つい「手助けしたい」気持ちになる。気持ちの判断もつかぬ間に、瞬時に助けるようと反応してしまう時がある。
でもいらないのだ。本人は大丈夫と言ってる。
助けが必要な時は「てつだってーと言ってね」と伝えてるから、助けて欲しい時は「てつたってー」と自ら言ってくる。
それまでは間違いなく、助けられたくないのだ。だいじょうぶなんだ。
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「困ってそうだから助けたいと思ったんだよ」と言われたことがあった。
“困ってるけど助けて欲しいわけじゃない”と思いつつ、「ありがとう」といってアドバイスを受けた自分がいた。
助けて欲しいと思ってない時に、助けたいと思われる(言われる)のめっちゃヤダわ、を体感。
相手にコントロールされる感じというか、相手の承認欲求や、自己存在感を満たしてあげないといけない気持ちになる。
助けたい方は「自分が助けた」気になってるが、実際は助けてもらってるんだよね。
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私自身「助けたい」に駆られやすいタイプだと自覚してる。戒めのために書いてる。
見守るっていうのも一つの手。
相手に確認してから進めるのも良さそう。
風のようにサラッとね。
慎重になりすぎて、おせっかいな人が世界から消えてしまったら、それはまた無味無臭の寂しい世になりそうだから、バランスも大事。だって良さげなモノを発見したら、どうぞ~としたいのよ。
でも「助けたい・役に立ちたい」が執拗に強烈に湧いてきたときは要注意。
自分の自己存在感に不安を感じてる可能性が高い。どーどー、落ち着こう。まずは自分を助けてあげて。
私はお節介だ。
前職では“おせっかい”を奨励されていた。多忙で殺伐となりやすい、社員の入れ替わりも激しいといったことから、ちょっとお節介でも他者を気にかけることを良しとされていた(たぶん)。
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