一度「獲得」したものは失わないが・・
獲得しても失うものもある。
だけど、獲得したら失わないものに目を向けてみた。
きっかけは、先日読んだマンガ『チ。‐地球の運動について‐』と夫との会話から。彼との会話での気づきが多くて、毎日手を合わせてしまいそう。
地動説。
21世紀を生きる我々にとっては当然で、天動説を唱える人はいない。しかし、地動説が当然の説になるまでには何百年もかかった。
数字の0(ゼロ)。
ゼロの概念が発見されたことで、負の数も無限大(∞)の概念も生まれたし、数字は物を数えるものだけではなく、数学の発展に大きく寄与した。(夫的には、ゼロの発見は人類が火を使えるのと同じくらいの大きな発見だ!と声高に言っていたが、数学に疎い私には同じ程度には思えず。)
他には、スマホや乾燥機付き洗濯機。どちらも使ってしまうと、なくては生きていけないものになった。
地動説とゼロの概念。
スマホと洗濯機。
スマホや洗濯機。こういった機器や物質は、今後無くなる可能性もある。
持たない、ない場所にいくことも可能だ。
一方、地動説やゼロの概念。
頭の中にインプットされた概念は、一度獲得すると無かった頃の頭には戻れない。
未だに地球は動いているようにみえなくても、誰もが地球が動いていることを知っている。数学が分からなくても、大人はゼロを知っている。
知らなかった時に戻れるか?知らない場合の感覚になれるだろうか。
「なれないね」
という結論で終わった会話。特にオチはないんだけど、そうだよねと気になった会話。
先人が発見してくれた概念のおかげで、地球は動いているのか?太陽は動いているのか?
数字をもっと簡単に表すにはとか考えなくていいわけで。
その分、別の未解決のことを考えられる。
人類が獲得している概念については、人は瞬時に受け入れ、理解した瞬間、概念を失うことはない。一方、未獲得の概念は疑い、検証し、疑い、別のアプローチをし、受け入れられるまでに数百年かかることもある。
別に概念じゃなくたって、全く知らない世界は疑ってかかるよね。新たな世界を知ったら「こんな世界があるのね!」と思えど、獲得するまでは「そんなはずはない。信じられない」ってなる。
なんてことを考える週末の夜。
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