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舞台感想文 ーカセットがすり切れる前にー

先月、甘党プロデュースの公演"とあるAとB"を観た。

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https://amatoproduce.jimdo.com/

台詞無しのアクトとダンスだけでストーリーを紡いでいく団体。
1回目に観たあと、良かったから、そのまま次の回も観た。

良かったなーって思った箇所を3つ、と
アンケートの回答を補足しておこうと思う。


①空間に溶け込む感覚

会場のセッションハウス。初めて行ったと思う。
舞台に向かって90度ずつのところに2カ所客席が設けられていた。

https://session-house.net/b1f_rental.html

ここに出てくる写真の真ん中のスペースが舞台で、向かって手前側と右側(柱が2つあるあたり)に客席があった。
舞台といっても高さのあるステージなどはなく、この写真の床をそのまま使用して踊り演じていた。

舞台公演って大体は客席の正面に舞台があって、大きい会場は舞台が客席より高い位置にある。だから舞台と客席は別世界のように感じられてしまうことがある。(実際、別世界ではあるんだけど)

でも今回は上に書いたような舞台と客席の配置の工夫により、境目を感じずにいられた。
舞台と客席の距離がすごく近かったのもあって、ごく自然にその物語の空間に溶け込めた。

ただこれって、作る側・演じる側にとってはかなり難易度高かったんじゃないかな。
見せ方ひとつ間違えると全く伝わらない…みたいなリスクがあったと思う。
でもそのリスクに挑戦してくれたおかげで、観る側はスムーズに物語に集中できた。


②スキルフルなダンスとアクトとこだわり

出演者が皆、ダンスにもアクトにも長けていた。
「チケット代払って観に来てるんだから長けてて当たり前」って思う人もいるかもしれない。
でもなかなか「ダンスもアクトもどっちも充分に見せるだけのスキルがある人」って実際そう多くはないと思う。
その点、甘党の出演者は皆、ダンス面でもアクト面でも観てる人を充分に楽しませることのできる人たちの集団だった。

2回観ると出演者のこだわりも発見できて楽しかった。
個人的にツボだったのは、
ストーリーの中で足を怪我した設定の子が踊るとき、ちゃんと怪我してる設定の足をかばって踊ってたことと、
テーマカラーが赤の女の子は赤系のメイクを、テーマカラーが青の女の子は青系のメイクをしてたことだった。(これは1回目の時点で気づいたけど)
しかもお互いにすり合わせたわけじゃなく、各々がそうメイクしてたとの事。
作り手のこだわりに気づけるととてもお得感がある。それが良かった。


③逆再生が可能かもしれないストーリー

初めに書いたとおり、甘党プロデュースは台詞を使わずに、ダンスとアクトでストーリーを紡いでいく団体。

オープニングのダンスの後に4つの短編を上演しつつ、それぞれの短編が要所要所で関わりあってラストに繋がっていった。

1回目の舞台を観たあとに、とある本の解説に出てきた"カセットテープ"を思い出した。

A面が回ってある曲(物語)を再生している間、B面もまた回ってる。


B面は曲こそ流れないが、カセットテープはたしかに動いてて、物語が動いてる。

誰か(A)の物語が動いている一方で、Aに影響を与えた別の誰か(B)の物語も動いているのかなって感じた。

本番後に出演者の1人から、「今回は起承転結が明確にあるクレッシェンドな構成というより、フラットな構成だった」といった内容を聞いた。
もちろん4つの短編それぞれに起承転結はあったんだけど、確かに、「壮大なクライマックスに向けて伏線を回収!」という展開ではなかった。

それであれば逆に、この4つの短編たちはもしかしたらこれまたカセットテープのように「逆再生」ができるのかもしれない。
4つの短編を逆の順番で上演したとしても、一つの大きな物語として成り立つのかもしれない…
そんな事を思いました。

そう思いついてからはその考えが止まらなくて、短編同士を逆再生できる前提で、自分の中で勝手に物語を補填して想像しています。

私は経験がないけど、カセットテープはたくさんかけすぎる(聴きすぎる)と、テープが伸びて音が変になったりするらしい。
「カセットがすり切れる程聴く」という例えもあるもんね。

甘党プロデュースはDVD販売がないから、今回の舞台の記憶も、時が経つにつれて薄れていくのかもしれない。
色んなシーンを何度も思い出そうとするだろうけど、もしかしたらその記憶は徐々に純粋な記憶ではなくなっていって、自分の脳内で補正した記憶になってるかもしれない。
だからカセットテープがすり切れないうちに残しておきたくて、こうしてnoteに書きました。

あらゆる物語は紙一重、表裏一体なのかもしれない。

完全に私見であり、たくさんあるであろう解釈のひとつです。

オフィシャルな解説はあってもなくても良い。いい意味で。
あれば「こういうことだったんだーふむふむ」って思うし、なければそのまま自分の想像で補うから。


*アンケート回答の補足

アンケートにこんな質問があった。

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私は「良い影響を与えてくれたのは、その人のことを思うと、優しくあたたかい気持ちになれる人。同時に、その人のことを思うと、強い自分でありたいと思える人」といったような内容を書いた。

そしてここからが補足で
その人を思うと、自分のために、自分にとって正しい道を進んでいける気がする。
ある漫画の台詞を借りるなら、方位磁石みたいな感覚ですね。

私も、方位磁石ほど大それてなくても良いけど、誰かに良い影響を少しだけでも与えられる人になりたいね。


逆に「『この人から悪い影響を与えられた…』って思う人はいない」とアンケートに書いた。

たしかに苦手な人はいる。
でも、「この人のせいで自分の人生が悪くなった!どうしてくれるんだ!」みたいに思う人はいないかな。
苦手な人や辛い出来事にも、そこから何か学ぶことがあったり、「自分はあの人みたいにならないようにしよう」って思えたら、その人や出来事にも意味があるのかもしれないね。

何事も捉え方次第なのかもしれない。

ちなみに、②でこだわりのことを書いたけど、こだわりも度を過ぎれば執着になっちゃうのかもしれないなーって思った。
やっぱり何事も紙一重であり、カセットテープみたいに表裏一体なのかもしれない。


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台詞がなくても伝わるストーリーと、台詞がないからこそ想像できる余白
ストーリーを時に引き立て、時にメインとなるダンス
とっても楽しめたよー!ということが伝われば良いな。

演劇、ダンス、どちらかだけでも好きであればお勧めです!

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写真は昔行ったアルパカ牧場にて。裏表のなさそうなアルパカ。

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