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誹謗中傷とマスコミの追い込みを傍観する僕たち

誹謗中傷とマスコミの追い込みを傍観する僕たち

また悲劇が繰り返されてしまった。

一体いつまで続くのだろうか?
もう何回も問題視されてきたはずなのに、僕たちは本気で解決しようとしていなかったから、また繰り返されて、現在進行形だ。

言論の自由は尊重されるべきだが、いわれのない誹謗中傷は尊重なんてされるべきではないはず。あの人への誹謗中傷のその膨大な量とひどい内容を知って驚いた。こんなの認めない。誹謗中傷される人にも心はあり、誹謗中傷した人と同じ一人の人間だ。

こんなの、あんまりだ。
この世界にまだまだサヨナラする必要なんてなかった人は、もういない。
誰があの人をそうさせた?


多くの方は覚えているだろうか。

コロナで亡くなった著名人の入った骨壷を持った配偶者が、マスコミのインタビューに家の玄関前で答えている映像を。

これに僕は強烈な違和感を覚えて以前noteに書いた事がある。意味がわからない!と。そう、今も僕は意味がわからない。大切な人を亡くしたばかりの人に、なぜインタビューをお願いできるのか?骨壷を持った人になぜ話しかけられるのか?が。芸能人だからいい?いや、自分はそうは思わない。まあ、そうじゃないと思うからインタビューをして、そうじゃないと思う人たちが判断をして堂々とそれをテレビで流していたから、この僕の「大切な人を亡くしたばかりの人に、なぜインタビューをお願いできるのか?骨壷を持った人になぜ話しかけられるのか?が。芸能人だからいい?いや、自分はそうは思わない。」は、もしかしたら少数派かもしれない。しかし、この意見が少数派だったら、この世界は狂っているとしか僕は思えない。なにも、自分の意見が何から何まで全てなんて考えていないが、この考えに関しては譲りたくはない。

残された家族がSNSに投稿したメッセージにさらに絶望した。

家族のまわりをマスコミが追いかけているとのこと。ネットには家族の姿を撮影した写真や、亡くなった人をどうにか写真におさめようとフラッシュをたくマスコミの人たちの姿が出てくるようになっていた。

狂っている、狂っている。
血も涙もないのだろうか?
同じ人間がやることなのだろう?
残された家族を追いかける必要って何だ?
亡くなった人を追いかける必要って何だ?その全部、自分には理解が出来ない。

誹謗中傷とマスコミの追い込みを傍観する僕たち

このまま何も声をあげず傍観していたら、何も変わらないと思い、今回ここに自分の意見を、書いています。もちろん、マスコミや有名人に比べて、自分の声なんて小さすぎてないに等しいのもわかっています。しかし、だからと言って、「何もしないと、声を上げるには大きな大きな差がある」と信じています。

もう、こんなの終わりにしたい。
というか、こうなる前に、ずっとずっと前にこんなの終わりにするべきだったのだ、そう思います。自分の力なんて小さいのはわかっているけど、目の前で1人の人間がひどいことをされているのを目撃して何もしなかったのも自分。しようと思えば、「それは間違っている!」や、あの人を肯定する意見を書こうと思えば書けたはず。スーパーマンじゃないから目にする全ての人を救うことは無理だけど、何かしようと思えばできたはず。

何もしないとは、「何もしないということを自分で選んだ」ということでもある。

今回の悲劇と現在進行形の血も涙もない様に終止符を打つべきだと思うし、自分は傍観者はもうやめることを選びます。

誹謗中傷とマスコミの追い込みは変わらないのだろうか?いや、変えるべきだ。もう、こんなひどい悲劇は見たくない。
悲しいです。

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