雨と将棋と石

 今日も大阪は雨。梅雨らしいと言えば梅雨らしい。雨、雨、雨、雨。明日も雨だろうか?夏が好きなので明日にでも夏になってほしいものの、そうはいかないのが自然。そうだとわかっていても願うのが人間。

 雨の思い出はいくつかある。ぱっと思い出せるのはどれも子供の頃の記憶なのは何故だろうか。子供の頃は病気もあって体調が悪い日が多く、そうなると横になってただただしんどいのが過ぎ去るのを待つしかなかった。その時に聞いた雨の音と雨の匂いを今でも覚えている。おそらくしんどかったとは思うが、しんどさい時間の記憶は断片的にしか残っていない。それよりも楽しい時間の方が僕の脳の中に居座り、僕はそれを良しとしている。

 雨の日は兄と一緒に様々な遊びをした。戦いごっこ、テレビゲーム、トランプ、人生ゲーム、オセロ、そして将棋。親にオセロも出来るマグネット式の将棋セットを買ってもらい、僕らはよくそれで戦った。二歳離れた兄と勝負を重ねるうちに、弟の自分も勝てる事があった。ただ、その兄が負けそうになる度に将棋盤を駒ごと投げてしまい、どんどん駒がなくなっていった。駒の歩のいくつはオセロの石で代用された。将棋はやればやる程強くなっていくのがわかって楽しかった。スポーツも勉強も苦手な自分に、初めて得意と言えるものが出来たのが将棋だったのかもしれない。まあ、きっと本当に強い人としたら全然大した実力ではなかったのだろうけどね。狭い世界の中しか知らない子供にとってはそれだけで十分だった。この時の経験が、後になっても「苦手な事を頑張るよりも、得意な事を誰よりも頑張って伸ばすようにする」という考え方に活かされていると思う。

セガサターンで発売された将棋のゲームもよく一人で遊んだ。高校生になってからはあまりしていないが、子供の頃の自分に自信をつけてくれたのはまぎれもなく将棋であった。今はユーチューブや、たまにテレビであるプロ棋士の対局を見て楽しんでいる。将棋が好きで良かったと思う瞬間が対局を見てワクワクしている時でもある。きっと、ルールがわからないとこの興奮が理解出来ないんだろうな、と。棋士は羽生さんが一番好きで、僕は多くの人思うのと同じく、彼こそ天才だと思っている。その著書も読んでいるが、天才になれなかった自分として、彼の頭の中はどういう構造なのだろう?と今も不思議でいる。

 自分にとって将棋とは、自信をつけてくれたきっかけであり、生き方の指針を構成する一つでもある。だからこそ将棋に僕は出会えてよかった。今日は雨、明日も雨だろうか?久しぶりに兄弟で将棋をしたくなった。明日はどんな事をしますか?どんな事をしたいですか?

大阪でダイビングスクールをしています


 


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