エンタメテクノロジーの進歩は結局何をもたらすのか

テクノロジーは神か悪魔か

個人的に人類にとって一番の悪であり恩恵を受けたのは時計だろう、一秒という概念はとてもエグイ、1秒単位での管理を可能にしてしまったが故に人は正確な時間に縛られる事になった

テクノロジーを進める事が絶対的な正義であるかどうか
と、言ってもそんな事問うまでもなくテクノロジーは進む、何故かといえば人は死んで生まれる、新しい時代の人間は経験が無いが故に好奇心を最大限発揮する事が出来る、そして人間は開拓をする事にロマンや満足感を感じやすい生き物として進化している、テクノロジーの開発は産業での優位性を産む、他国との競争に勝ちうる唯一の手段でもある
人は兵器に規制を設けてもテクノロジー開発に規制を設けたりはしない、なので開発は進む

それの積み重ねが産業革命を産み、エンジンを産み、機関銃や航空機、宇宙開発、核開発、コンピューター

すごいぜ人類!

一見して考えれば呪いと祝福の双方を生み出し続ける事にもなる、しかし相対的にはテクノロジーの進歩によって全体的に裕福になったのだ

タイプライターや紡績工場は女性の職を社会に生み出したりした、それは結果的に今の男女の地位を大体同じレベルにする基礎になった
効率化によって、子供たちへの学問がより重視される事になり、教育は低所得層でも受けられるものへと進化した、医学は赤子の出産時死亡率を大きく引き下げ、老人の疾患への対応もできるようになった

テクノロジーは平時において神である、労働を嫌う層にとっては何時の時代も敵である事に変わらないが

そもそも人類は過酷なのだ

歴史の中で人はもっと過酷な時代を生き、飢餓と病気に耐えていた、女性は上流階級か豪農にでも生まれない限り重労働をしつつ1年~2年のスパンで子供を産んでいたか、貧困故に親に売られていた
男とて学が無ければ上流階級から見れば税を産む家畜と同じような扱いで、国の政策で人手が必要なら駆り出されていたし、戦でリスクを負っていた
怪我をすれば破傷風、性交でも性病で死に、何もしなくても疫病リスクは高かった、国や組織が負ければ良くて奴隷

何故テクノロジーが進化したか、人類はそもそも辛くて、そこから足掻く為に進化した、という面もある。
当然知的財産権が保証されるようになって利益を得たいという欲求もあっただろうし、病気で死ぬ人を減らしたいという善意もあった、千差万別あるのでテクノロジーに対して性善説等を考える意味は無い

そんな歴史を知れば今は天国に近い

とはいえそれはマクロ視点であってミクロではまだ過酷な人もいる
昔よりマシだ、なんてのは昔の時代に生きてない私達には分かりようが無い
過労死と病死ならどっちがマシか、死には違いない

そもそも先行者特権の列強しかその恩恵を受け取る事は出来ていない

次の地獄は既に始まっている

簡単に羅列するなら
産業革命以前と以後で大別され、今回は以後のみ着目する

産業革命によって女性の社会進出の基礎と軽重工業、見直された法、近代国家、一新された商業、社会主義と資本主義の種が出来た

産業革命直後はロープ一本に掴まって寝るとか、棺桶みたいなもので寝るのが贅沢とか、休みがそもそも無いとか 今の状況からすれば 凄いね人体!
という他無いレベルで過酷すぎる労働だったわけだが、そんなでも炭鉱に比べれば死ぬリスクは低かった、結局の所生産性で他と比べて勝つには単純に労働者の働く時間を増やす以外の効率化を行う手段が無かったために起こった惨劇とも言える、そういった法の稚拙さとの闘いもあったが一旦置いておく

年代で別けると
1900年以前は主に病気と飢餓との闘いだった
それは大まかに言えばペニシリンとハーバー・ボッシュ法によって概ね解決した
1950年までが物量主義、戦争テクノロジーの競争 との闘い だった
造語ではあるがつまり重工業に関するテクノロジーで国家間競争が発生しており、それに人々が巻き込まれたのだ
機関銃が発生し、一つの銃で複数人を殺せるようになった、一つの砲弾がただ玉を飛ばす装置から破片を拡散させる榴弾になり、一発で複数人を殺せるようになった、飛行機の爆弾も、戦車の砲も、すべて目的は効率的に人を多く殺せるようにする 目的しか持たなくなった 機関銃と毒ガスから始まったそのムーブメントの終焉が核爆弾だったという事になる、効率化の極地として、一発で10万人、最大で100万人位?核の最大威力を人類はまだ食らった事が無いので、どこまでの殺傷能力(効率性)を持ったかは分からないが、ともかくその戦いは1990年位までには終わった

開発者は目的が明確なのでやりやすかっただろう、より効率的に人を殺せる兵器を作れば優秀と認められるのであるからして
その競争の犠牲者は前線の兵士であり、後方の民間人という事になった
正直戦争とは政府と軍上層部からすればエンタメでしかない、一時的には民間人からみてもエンタメだったのだが、爆撃機と核が民間人を観客にする事を許さなかっただけであり、結局エンタメなので政府は核の使用を許すのである

1990年以降の話

そうして戦争と人類の戦いは、ゲリラ戦やら対テロ戦に変化し戦争をしまくった代償を支払う時期になった、次に人間はエンタメに走った
厳密に言うと1950年以降、エンタメにグラデーション的に推移した
映画は正にそのグラデーションの中核を担うジャンルとして活躍した、戦中のプロパガンダをやっていたと思ったら、次には反戦映画が流れて、メロパロコメディー、アクション、要は戦争というエンタメの代償に人を失うのが馬鹿らしいと気づいたので平和なエンタメを始めたのだ、そうすると人類は一つの事に気づいた、戦争では莫大な金銭を消費しなければならないが
エンタメでは金銭をより多く収穫する事が出来るようになった

宣伝競争が始まり、エンタメ業界を急成長させる必要性に気づき、素早く肉付けされた、そんな中でインターネットが生まれ、急速に進化し、エンタメの消費活動が加速し、まるでメイドインヘブンのようにコンテンツの消費が加速した

これはつまり1950年まで続いた戦争テクノロジーの競争が、エンタメテクノロジーの競争に置き換わって、国対国の血祭が、組織対組織の構図からグラデーション的に個対個の血祭へと変貌を遂げている最中という事になる

組織は素晴らしい作品を生み出すが、個はより速く作品を生み出せる
そして世界ではコンテンツを更に望む、より良いコンテンツに触れてしまったが故に、麻薬を求めるかのように脳の刺激を欲す、結果的により多く、より早くの需要にこたえる形でyoutubeが生まれ今に至る、そして更に消費は加速し、生産も加速し、皆でその速度に振り落とされないようについていこうとする、結果生み出されたコンテンツの量が増えれば増える程、地球上にある資源の数をかさましする事が出来、信用創造が捗り、使用されないデータ上の貨幣は増え続け、株主は儲かり続ける

今後の展開は

今ある競争の根源は自分も上流に行きたいという欲求とか、より評価されたいとか、大体そんなとこで まぁそんな思い持ってても人と比較して生まれる価値観である以上幸福は来ないよって事は仏教で書かれている事である

どっかで限界は来る、しかしそれは10年以降の話で、少子高齢化によって今の先進諸国が老いの先進諸国になった時の話で、今は過熱真っ盛りな事に変わりはない、最近出たvision pro? とかメタバースとか
もう人間の目という究極のハードウェアがそもそも限界であるという視点を無視してとにかくそれを開発すれば他者を出し抜けるとか
そういう発想はまだまだ止まらない
と、言うより止めるとすぐ崩壊する、コンテンツの新規供給が一切止まる事はあり得ないとしても、止まった時、大部分の雇用が崩壊するのだ
資本主義は本質的に借金の自転車操業である以上、止まれない、止まれない事との競争が今、人類の中で発生している

正直に言えば、新しいものが見たいという欲求は別に人類の生存に必ずしも必要ではない、退廃的な意見のようにも見えるかもしれないが

極論を言えば人間はウホウホいいながら猪や貝食って一生過ごしてたとしても、それでそもそも満足できるように設計されている土器や陶器を作ったりはするだろうが、皆で錯覚する事で借金の自転車操業を実現させているというだけで、新しいものを見る必要性自体はない、見れたら嬉しいね、という優先度の低いものでしかない

だって人は生まれて死ぬのだから、視聴経験だってリセットされる
10年後生まれる子が「もののけ姫」を見る事が出来ないなんてことはないだろう 時代劇ファンタジーが古いという価値観は今色々なものを見た私達が持ってる固定概念なだけで、今後初めて見る人にその概念が無ければ新鮮なものとなる、特に全盛期ディズニールネサンスや全盛期ジブリを超えるアニメ作品の規模を今作れるかといえば不可能なのだ何をもって超えたと言えるのかという概念がエンタメはあまりにも曖昧すぎる、良い機関銃の定義は装弾不良を起こさない事、と簡単だが。良い作品の定義はとても難しい

つまりエンタメはもう必然性が無い位作られているけど、作り続けないと組織と雇用と安定した政府が維持できないという事から、そもそも重要度の低いものだと気づかせてはいけない詐欺の時代に入ったという事である
私もまたエンタメに恩恵を受けて、そこに気づかない方がメリットの多い立場なので、気づかないふりをしようと思う。少なくとも20~30年は私は気づかないだろう

これは別に今の世代が愚かとかそういう見下した話がしたい訳ではない、戦争テクノロジーの競争が発生した時も、国に精神を捧げない奴はバカだ、前線で死ねという時代があった、人の賢さとはもともとその程度なので、今が馬鹿とかそういう話がしたい訳では決してない
こういう書き方をしていると高慢な虚無主義と思われそうだが、
ニヒリズムは諦めである、しかし過熱するエンタメは人類全体の学習を結果的にもたらすだろうし、ニヒリズムへ至る道では無いと思う、なので、エンタメテクノロジーはもっと加速するべきであるとすら思っている、結果的に今注目されてるAIはそれの役を担う可能性がある、つまり戦争テクノロジーの極地である核と同じぐらい重要度は高いかもしれない

結論

エンタメ競争もまた人類が生み出した新しい外貨獲得競争という名の戦争である、その為により良い、より早い、より稼げるの3つのテーマで戦いが始まり、人類は振り回され疲弊する

その中で個々の人が持っておいた方が良い価値観は
・今の生活を安定する為に必要な機構、社会としてエンタメ業界が存在している(つまらないコンテンツを作り続けてる組織も当然存在するし必要
・向上心を持ったエンタメを求める必要性は人類には元々必要無い(組織は内需と雇用、あわよくば外貨を求めているだけである)
・そういう流れだと理解しながら働けば健康的だが、必要以上に自己実現のためにエンタメ業界に献身するのは不幸の種になりかねない

そんな中でも、向上心を持ったエンタメを作ろうとしている意欲のある組織はあるし、そんな中で働いているなら全力を尽くす意味は大いにある、又は自分自身でそれを成し遂げようとするなら、それは偉業の第一歩だ

つまり諦観を持ったり退却をする精神を持ちつつ、頑張れる気運の時は頑張るべきだという、さも当然な事を書いてこの長文を締めるのである

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