ten🦒㈱MDIU 代表|元海外Microsoft AI R&D部門所属・現データサイエンティスト
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Aufwidersehen Deutschland!~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
Aufwidersehen Deutschland(さよならドイツ)というタイトルの通り、遂にこのシリーズの一番の山場のドイツ移住編のしめくくりにあたります。この日々を永遠に続け、ずっとドイツにいようと思った事もありますが、最終的には日本に戻る決断をしました。その経緯を語り、本編を一旦締めくくります。 ドイツを離れようと思ったきっかけミュンヘンのマイクロソフトで働き、3年以上がたち、ドイツでの暮らしも述べ6年以上になった時に、自然と、「もう十分やり尽くしたな」と感じるように
ミュンヘンで考えさされた、生きる意味と本当の幸せは何か~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
色々とバタバタしていて前回からだいぶ間が空いてしまいました・・・すいません。これから先、不定期に独立開業に至るまでの過程を書いていこうと思いますので、暖かく見守って下さい。 ドイツに移住し、完全に日本人社会から離れてから、ありえない長さの長期休暇を含めて、色々な文化の違いを見てきました。元々、あまり協調性もなく、会社の飲み会などにも積極的に参加するタイプでない人間の自分には、プライベートの自由が尊重されるヨーロッパ社会はとても過ごしやすい環境でした。 その中でも特に印象的
そしてドイツでマイクロソフト社員として働き始める事に ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
なんとか最初のコーディングインタビューを切り抜けた後、次に待っていたのはオンラインインタビューの試練。 ただ、予想に反して最終面接時まではコーディングインタビューは無く、日本語の検索エンジンの開発のポジションだったためか、逆に日本語力をしっかり見極められるという優位な状況で選考を進める事ができました。 そしていよいよ次で最終面接に進めるかどうか?というところまで差し掛かることに。 最終面接に進めるかどうかの結果を待っている間、どうにも気分がそわそわして落ち着かないため、旅
心を燃やせ、人生最大の大勝負。0.1%の可能性に全てをかけろ ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
そのメッセージには、ミュンヘンのマイクロソフトが日本人の検索エンジニアを探していると書いてあり、お前は興味があるか?と書かれていました。 正直、これを読んだ後の自分の気持ちは、十中八九無理だろうとネガティブな気持ちしかありませんでした。 日本でマイクロソフトに挑んだ時、格の違いを見せられていて、幾らプログラミングができるようになったとはいえ、今の自分の実力では到底届かない事はわかっていました。 何より検索エンジンの知識は全く無く、それが途方もなく敷居の高い知識の事はしって
人生最大の地獄。リーマンショックによりヨーロッパで無職を経験した後、マイクロソフトに辿り着くまで ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
平和な日々の終わりは、かのリーマン・ショックとともに引き起こされました。 当時ニュースで、リーマン・ブラザーズが経営破綻した事が報じられ、その余波が世界中に飛び火する、というような事が囁かれはじめていました。 僕はその時に、「うちの会社は金融系のはずだけど大丈夫だろうか?」と少し不安になりましたが、その後数日は特に変わった様子は無く平穏な日々が続いていました。 しかし、全ての終わりはあまりにも突然にやってきました・・・ ある日、いつも通り出勤すると、ダニエルに突然小さ
ドイツでハッタリかまして潜入成功。未経験プログラマー、30過ぎにしてプログラミング独学習得し試用期間をのりこえる ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
一応の内定が出た後、自分は外国人雇用の立場なので、外国人用の就労ビザを待たねばなりませんでした。 これが、たまに労働局に拒否される事があるという噂も耳にしていたので、一ヶ月程度、ヒヤヒヤしながら待つことに。 その間、それはもう死ぬ気でJavaを学び始めました。 ただでさえ、Javaはクラス思考の言語。変数の片付けも厳格で、敷居が高く、それを異国で独学で叩き上げるのはなかなか骨が折れる作業・・・。 そんなタイミングでビザが降りたとの連絡を受け、正式に転職が決定。 とはいえ、J