心を燃やせ、人生最大の大勝負。0.1%の可能性に全てをかけろ ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

そのメッセージには、ミュンヘンのマイクロソフトが日本人の検索エンジニアを探していると書いてあり、お前は興味があるか?と書かれていました。

正直、これを読んだ後の自分の気持ちは、十中八九無理だろうとネガティブな気持ちしかありませんでした。
日本でマイクロソフトに挑んだ時、格の違いを見せられていて、幾らプログラミングができるようになったとはいえ、今の自分の実力では到底届かない事はわかっていました。

何より検索エンジンの知識は全く無く、それが途方もなく敷居の高い知識の事はしっていました。99.9%落とされるだろうと・・・

しかし、今回は日本人を探しているという事なのと、無職で他にする事が何もなかったので、とりあえず先に進む決意だけはしました。少しでも希望があるならと、藁をも掴むような思いで・・・ 

これが、後に僕の人生の全てを変える事になります。

そうして迎えた最初のインタビューは、ペトラという女性グループマネージャーとの電話インタビューでした。

マイクロソフトのこんなニッチな部門のマネージャーも女性なのか。素晴らしいな
と、日本ではあまり見ない光景から、その環境の違いに感激したのを覚えています。

初回は意見交換程度だったので、どうなんだろう…とドキドキしながらあっという間に一週間。

なんと、無事に追加インタビューの連絡が。

次のインタビューはトビアスという、後の僕の上司とのインタビューになり

そこで、『24時間以内にこの課題を解け』と

例によってマイクロソフト式のコーディングインタビューが始まりました。

確か、UnicodeのエンコーディングをUTF8に変換しろというような・・・文字コードの課題だった事を覚えています。

今なら何の事はないのですが、当時は全くエンコーディングの知識等あるはずもなく、本気で困りました。全くアイデアが出てこない・・・😰

気がつけば何のアプローチもできないまま6時間が経過。
あまりに何もできないので、自暴自棄になって、ギブアップの連絡をしようとも思ったのですが

流石にそれは恥ずかしいと思い、近くのイタリア料理屋にパスタを食べに行き、休憩する事に。

そこで少しお酒を飲みながらパスタを食べている時、強烈な自問自答を繰り返し始めました。

『今、ドイツで無職になった後、何の因果かマイクロソフトから声がかかっている。ただ、俺は早速もう心が折れそうだ。。。
ここで諦めれば、少なくとも今夜はゆっくりできる。もういいじゃないか、辞めてしまおう・・・』

『いや、まて。ここで諦めたら俺は一生後悔しないか?このまま惨めな思いでドイツを去って、本当に後悔ないのか?このまま逃げたら、これから後の人生全て負け犬だぞ』

『そうだ・・・逃げる選択肢なんて、ない。ありえない。』

やるしか、ない。ないんだ。心を燃やせ、燃やすしかない。0.1%の可能性しか無いとしても、ならばその0.1%に全てをかけろ。闘気で俺を埋め尽くし、勝つ事しか考えるな。それしか道はないんだ。後戻りは出来ない。進むしかないんだ。』

考えても辿り着く先は、結局『やるしかない』だけ…。

ここから一気に自分の心が熱くなっていったのを覚えています。

そして、何かふっきれたからか、さっきまでは何も浮かんでこなかったアイデアが

解法が閃いたというか、この難題にどうアプローチすべきか、一気に見えてきました。

まずは、愚直なまでにWikipediaを読みエンコーディングの基礎について自分なりの理解をし、どうしてもわからない箇所を、stackoverflowというエンジニア向けの海外の相談サイトに投稿。
そして、12時間たった時点では、全く解法の糸口が見えなかった最初とは異なり、プログラムとしては動くものを仕上げる事ができていました。

この時はじめて、これは勝てるかもしれないと、希望が心の底から湧いてくるのを感じました。

その後は時間の限り、歴は短いもののエンジニアとしてのプライドと、この機会への感謝の全てを伝えるために

詳細にこだわりコードを整形し、ドキュメントを仕上げました。それを元に一定の成果物を提出し、結果を待つことに。

一週間後、無事に選考を通過したとの連絡を受け取ることに!!

と、喜びもつかの間

これはただの一次選考の追加に過ぎず、この後、最低4回はインタビューを突破しなければなりません・・・。
ただ、自分の中でもう負ける事は考えようにしようと心に決めた瞬間でした。

ここから、真の意味で人生の全てをかけた戦いが始まっていきます。

自分が、自分であるための・・・。

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