そしてドイツでマイクロソフト社員として働き始める事に ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~
なんとか最初のコーディングインタビューを切り抜けた後、次に待っていたのはオンラインインタビューの試練。
ただ、予想に反して最終面接時まではコーディングインタビューは無く、日本語の検索エンジンの開発のポジションだったためか、逆に日本語力をしっかり見極められるという優位な状況で選考を進める事ができました。
そしていよいよ次で最終面接に進めるかどうか?というところまで差し掛かることに。
最終面接に進めるかどうかの結果を待っている間、どうにも気分がそわそわして落ち着かないため、旅行に行き気をそらそうかと考え航空券をチェックしてみると、ポルトガルへのチケットが異様に安く、安易だがポルトガルに旅立つ事に。
ポルトガルは、ポルトという街と、首都のリスボンを回ったのですが、情緒のある坂が多く、どこかサンフランシスコを彷彿させるような町並みで、幾らか自分の落ち着かない心を癒やしてくれました
ただ、内心気が気でなかったので、いつ結果の通知が来るかと常に電話を気にしていたのを覚えています。
ポルトの市街が見渡せるこの橋の上を歩いていたその時、静まっていた携帯電話が、けたたましく鳴り始めました。
恐る恐る画面を確認すると、その声の主はLinkedinで自分に連絡をしてきたリクルーターでしま。
最初は世間話のような話をしているだけでなかなか核心に触れず、内心ヒヤヒヤしていましたが…
なんと、ようやく自分が最終選考に進んだとの話を聞けることに!
非常に嬉しい気分だったのですが、同時に最終選考でも、容赦なく落とすのがアメリカ企業と知っているので、非常にナーバスにもなるという複雑な気持ちです。
だが、ここまで来たら、もう負けられない。
また、決心を鬼のように固くした瞬間でした。
そして最終決戦の地で僕が向かったのは、ドイツのミュンヘン。
今思い出してもミュンヘンは非常に美しい街で、またいつか住んでみたいと思っている街でもあります。
ただ、この時正直はそれどころでは無く、美しい街並みも何も視界に入ってきません😅
ふわふわした気持ちで着いたミュンヘンで最初に向かったのは、ミュンヘン空港近くのドイツのマイクロソフト本社。
そこでは本社の人事といきなり面接になりました。
極度の緊張で頭が真っ白でしたが、そこではひたすら感謝の気持ちを語っていたのを覚えています。
因果なもので日本ではたどり着くことができなかった最終選考に、異国で、こんな形で、
先に進むことができたことに強い感謝の気持ちをのべていました。
その日はそんな話をし終了
そして次に向かったのが、忘れもしないこの場所。Rosenheimmerplatzという街中の駅にある、今回の僕の職場にあたるかもしれないオフィス。
そこで、今後僕の上司になるトビアスと対面し、トビアスから直にコーディング面接をされました。
正直、この時点の自分ではアプローチも思いつかず、完全に敗北したのですが、あらゆる気持ちをこめて、必ず入社をしたら克服すると言い訳を並べて
半ば泣きながら入社を認めて欲しいと頼み込んだのを覚えています・・・
後で知ったのですが、この時点で候補者は自分しかいなかったため、採用は決まっていたようです。
しかし、当時の自分は最後の最後に手も足も出なかった事に大きく恥じ、ここで全てを失ったかのような焦燥感にさいなまれていました・・・
トビアスとのMTGの後、グループマネージャのペトラとMTGをして、今後の予定等を聞かれました。ここでもひたすら感謝の気持ちを伝えたのを覚えています。
感謝の気持ちを伝えてミュンヘンを去り、後は結果を待つのみという状況に。
例によってその後、相当落ち着かなかったのでドイツ近郊をウロウロしていました。
(今思えば何をやっているんだ、というくらい行ったり来たり)
ちょうどオランダのロッテルダムを散歩していたその時、電話がなりました。
例のリクルータからです。
電話口でいつもの挨拶のあと、受験生のような気持ちで受話器を耳に押し当てながら、次の言葉を待ちました。
出てきた言葉は
「良いニュースだ」。
自分が採用された事を知り、堪らず声をあげました。
よかった、よかった、、と
その日は良く寝れた事を覚えています。
何の因果か、ドイツで失業をし、地獄を見た自分は、本来なら採用されなかったはずの、ずっとずっと憧れだったマイクロソフトに採用される事になったのです。
本当に人生とは分からないものです。
早速、震える手で親にも報告をしました。この時はいつも、いや今まで厳しい言葉しか聞かなかった父親が
「よくやった。お前を誇りに思う」
と、褒めてくれた事が非常に嬉しかったのを覚えています。
かくして、一度日本で落とされたマイクロソフトに、異国で入社する事になった自分。
この瞬間心に決めたのは、『絶対にマイクロソフトの名に恥じないエンジニアになろう』という事てす。
数奇な運命に救われた気がして、感謝の気持ちに溢れていた自分は
意を決してミュンヘンに旅立っていきました。
ここから始まる、マイクロソフトでの三年間。そして日本に帰るまでは、今思い起こしても人生で一番嬉しく、楽しかった日々だったと思っています。
そのお話は、また次回に。
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