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Aufwidersehen Deutschland!~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

Aufwidersehen Deutschland(さよならドイツ)というタイトルの通り、遂にこのシリーズの一番の山場のドイツ移住編のしめくくりにあたります。この日々を永遠に続け、ずっとドイツにいようと思った事もありますが、最終的には日本に戻る決断をしました。その経緯を語り、本編を一旦締めくくります。

ドイツを離れようと思ったきっかけ

ミュンヘンのマイクロソフトで働き、3年以上がたち、ドイツでの暮らしも述べ6年以上になった時に、自然と、「もう十分やり尽くしたな」と感じるようになってきました。ヨーロッパでの暮らしには相変わらず満足していたものの、この頃にはフィレンツェに行こうが、パリに行こうが、何も感じないくらい風景を見飽きていて、逆に一時帰国中の日本で神社を目にした時に、ワクワクするなど、ヨーロッパに少しマンネリを感じるようにすらなっていました。

また、仕事に関してもミュンヘンオフィスで学べる事は一通り学び、ある意味区切りが良かったのもありました。但し、帰国を決定づけたのは、一年以内にミュンヘンオフィスが閉鎖される事になってしまい、そのままではノルウエーのトロムソという、北極圏の都市に移動する可能性が高かったためというのがありました。

世界最北端のマイクロソフトオフィスで働く日本人。という肩書もキャッチャーかと思いましたが、一年の数カ月は全く太陽が昇らないような場所なので、流石に勇気が無く・・・ この頃になると、客観的に日本の良い面も見え始めて、だいぶ里心も着いてきたので、日本に帰る事を強く意識してきました。

日本に帰るための洗礼儀式

ここで、通常の会社であれば「部署異動」等の形で、移動ができるかと思いますが、マイクロソフト(及び大抵のアメリカ企業)は隣の部署に移動する際にも、外部の候補者同様に5時間のインタビューを通過しなければいけないという獄環境なので、当然、このインタビューをくぐり抜ける必要がありました。

ミュンヘンでマイクロソフトに転職した際は、明らかに力が足りていない状態でした。ある意味、自分の成長が試される機会だったので少しナーバスになりましたが、今回は無事に自分の力でインタビューを通り、内定を手にする事ができました。奇しくも内定したのは、マイクロソフトの検索エンジンのBINGの部署で、それは前回紹介した、隣のトラビスがマネージャをしている部署でもありました。

実は、マイクロソフト内の移動がスムーズにできない可能性もあると思い、他にも幾つか転職活動をしていて、他に2社内定を頂いていたのですが、迷わずマイクロソフト内で移動し、BINGで働く事を選択しました。日本に帰れる事が決まり、凄くほっとしたのと同時に、ようやくチートなしに自力でマイクロソフトのインタビューを通過できた事を嬉しく思いました。さて、これで、長かったヨーロッパ生活も、残り2ヶ月という期限が決まりました。

最後のヨーロッパ旅行

日本に帰る事が決まってからは、とにかく悔いが残らないように、最後のヨーロッパを楽しもうとありとあらゆる場所に行きました。この残りの2ヶ月の間は、毎週末飛行機で近隣の国に飛び、ベネチアで美味しいパスタを食した後は、ロンドンでレ・ミゼラブルのミュージカルを堪能し、その後はモロッコに飛び、マラケッシュの混沌を散策する等、今までの旅のハイライトを楽しんでいました。

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とにかく、自分がよく行った場所に足を運び、「これが最後になるかもしれない」という気持ちで、一瞬一瞬を噛み締めて光景を目に焼き付けていました。思い出の場所を回れば回るほど、当時の記憶が鮮やかに蘇り、こみ上げてくるものがありました。それと同時に、この日々がいかに特別だったかという事に改めて気づかされた最後の日々でした。

最後のドイツの旅

そして、あっという間に最後の一週間。住んでいたアパートを引き払い、ホテル暮らしになってからは、レンタカーを借り、ドイツで今まで住んでいた場所、及びよくいった思い出の場所を回る事にフォーカスを定めました。

一番最初にドイツを訪れた際に住んでいたフランクフルトのアパート、働いていたValue price AGのオフィスの辺りの町並み。第二の住処だった、デュッセルドルフの住居、町並み等、1つ1つに大きな思い出があり、当時の気持ちを思い出しながら、感傷に浸っていました。この一瞬一瞬が最後になるかもしれないと思いながら、、、

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そのくらい、延べ6年半にも及んだ、ドイツでの日々は濃く、決して忘れる事のできない瞬間の連続でした。今、この文章を書いていても、当時の記憶が鮮やかに蘇り、メランコリックな気持ちになります。

Aufwidershau Munchen!

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Aufwidershau Munchen(さよならミュンヘン)、バイエルン地方では、Aufwidersehen → Aufwidershauとなるのでこの表現を使用していますが。。。いよいよ、本当に長かったドイツ滞在も最後の一日になり、自分の中で最も思い入れの強いミュンヘンを端から端まで回りました。この写真は実際にその時に撮影したものです。

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リーマンショックでドイツで失業を経験して、どん底にいた自分を救ってくれて、何にも代えがたい大きな機会を与えてくれたマイクロソフトでの仕事。そして、多様な価値観を与えてくれて、本当に生きる意味について考えさせてくれたミュンヘンの暮らしは、あまりにも大きく、この日は一日ずっと感傷的な気持ちになり、ともするとすぐに泣き出してしまいそうな感じでした。

夕方ころに、最後にミュンヘンのオフィスに顔を出し、当時の同僚、上司と固い握手を交わした事は今でも忘れられません。そして、そのままいつものようにマリエンプラッツまで散歩をし、前回の記事でも紹介した、セルビア出身のストリートミュージシャンの演奏を聞き、最後の一日を謳歌しました。最後に彼らと話をし、「明日、日本に帰る。今まで楽しませてくれてありがとう」と気持ちを伝えました。あの日の事は今でも全てはっきりと覚えています。

Aufwidersehen Deutschland

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そして遂にその時はやってきました。長いドイツの生活に終止符を打ち、日本に戻るその日が。前日は、色々な事を振り返り感傷的になっていたせいでほぼ寝れず、予定よりホテルを早めにチェックアウトしました。

外に出るとその日は透き通るような快晴でした。早めにチェックアウトした関係で、だいぶ時間があったので、最後にもう一度、マリエンプラッツに立ち寄り、ミュンヘンの町並みを目に焼き付けておこうかと思いましたが、それをしてしまうと、強烈に後ろ髪を引かれてしまい、空港に迎えなくなるのではないかと思い、踏みとどまりました。「俺の中でのけじめは昨日つけたはず、今からは前を向こう」そう言い聞かせて、どこにも立ち寄らず空港に向かいました。何度も利用したミュンヘン空港、そこに今回は完全に片道チケットで来ました。

空港に着いてからは、ラウンジでリラックスをして時間を潰し、時間になったらフィンランドのヘルシンキ経由の日本行きの飛行機に乗り込みました。もう、けじめはつけたつもりだったのですが、飛行機の離陸前に、走馬灯のようにドイツの日々が駆け巡り、飛行機が飛び立つ頃には目頭が熱くなっていました。。。述べ6年半にも及んだ、この濃い体験は決して今も忘れる事は無く、色濃く自分の中に残っています。本当に何にも代えがたい大きな経験をできたと思いますし、今までの人生の中で最高の日々でした。

日本に帰国し、既に7年以上が経過しました。あれから、一度だけ、スペインの国際学会に参加する機会があり、その時にドイツに寄る事ができ、フランクフルト、デュッセルドルフ、ミュンヘンを弾丸で回りましたが、ドイツを離れてから4年以上の歳月が流れていたので、自分がよく知った場所も新鮮に見え、また懐かしさからとても感動をしたのを覚えています。

今、悲しいことにコロナの影響で世界は非常事態となり、自由に海外旅行する事はできなくなってしまいましたが、この状況もいつかは何らかの形で終わりを迎えるでしょう。その際に、真っ先に行きたい場所がドイツです。今、またあの場所を訪れたらどう見えるのか、それが凄く楽しみです。また人生のどこかで、ヨーロッパで暮らしてみたいとも思っています。その日を夢見て Aufwidersehen Deutschland. Bis Bald!




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