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ドイツでハッタリかまして潜入成功。未経験プログラマー、30過ぎにしてプログラミング独学習得し試用期間をのりこえる ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

一応の内定が出た後、自分は外国人雇用の立場なので、外国人用の就労ビザを待たねばなりませんでした。
これが、たまに労働局に拒否される事があるという噂も耳にしていたので、一ヶ月程度、ヒヤヒヤしながら待つことに。

その間、それはもう死ぬ気でJavaを学び始めました。
ただでさえ、Javaはクラス思考の言語。変数の片付けも厳格で、敷居が高く、それを異国で独学で叩き上げるのはなかなか骨が折れる作業・・・。
そんなタイミングでビザが降りたとの連絡を受け、正式に転職が決定。
とはいえ、Javaはほんの少しだけ使えるかなという程度でした。

ドイツで初めて就職した日本企業に早すぎる別れを告げ、いよいよ本当の意味で新天地で働くことに。

ここから先、延べ6年間。
僕は職場に他に日本人がいないという環境で、英語のみを使用して仕事をする事になります。
(日常生活では当然ドイツ語も使用)
この環境が、自分の英語力、及び国際感覚の向上に大きく役立ち、今の自分の土台となっています。

初出勤日の事はよく覚えています。この職場に日本人は僕以外おらず、ドイツ人を中心に10カ国以上の国籍の人たちが働いていて

僕はインド人の女性、パキスタン人の男性、モロッコ人の男性と、僕を採用してくれた上司のダニエルの元で開発チームに参加する事に。

この環境はまさに自分が沖縄時代から切望していたものでした。しかもその環境でめいっぱいプログラミングが学べるなんて、願ってもないこと。
しかし、当時突きつけられた自分への課題は、当然甘いものではありませんでした。

その会社はファイナンスの計算をJavaのWebアプリで実装している会社。Java単体ではなく、J2EEのアーキテクト等の知識も必要とされる

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正直、プログラミング未経験者には非常に重すぎる内容でした。

そんな中与えられた最初の課題は『Jboss』という、サーバ上で計算モジュールのユニットテストを実装し、自動化するというもので

正直、Java単体の実装もままならない自分には非常にハードルが高く、最初の一週間は何も成果が出せず、寝れない日々が続くことに・・・。

そんな中でもダニエルは容赦なく僕を追い詰め、精神的に苦しい日が続きました。
ただ、この時は前の日本企業の時とは違い、やった事全てがこの先に生きるという実感がありました。そのために必死に自分の頭で考え、理解をし、何度もつまずきながらエンジニアとしての勘を養っていきました。
苦しくても続けられたのは、苦痛よりも遥かに得られる物の方が多かったからです。

そうやって真剣に働いていくうちに、段々自分のエンジニアとしての力は高まっていき、着実に力をあげていく事ができました。

・・・そして、

ついに半年の試用期間があける、その日。
あの厳しかったダニエルから、正式に報告がありました。


「お前は未経験の身でありながら、それを非常に早く学習し、応用できる力を発揮した。俺はそれに感激した。これからも共に働こう」


と、正式にオファーがあり、無事に僕は認められる事ができました。

あまりにも苦しかった試用期間。

ただ、それだけに・・・
本当に、本当に涙が出そうなくらい嬉しかったです。

これでようやく、『自分の海外移住の決断は正しかった』と、心から思えました。
どんなに困難で可能性が低くとも、諦める事をしなければ道は開ける。
ありきたりで、ベタベタな言葉ですが
それを心から実感できた瞬間でした。

ここから二年ほど、リーマンショックでこの会社が倒産するまでは・・・僕の人生の順調は続いていたように思います。

それはまた、別の話。

続く


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