見出し画像

黄金時代2 ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

ミュンヘンに移り住み、自分にとって憧れであったマイクロソフトで、検索エンジンの研究開発、ひいては人工知能の土台とも言える、自然言語処理に関われる事は非常に幸運で、どこか誇らしい気持ちに溢れていました。
この時の自然言語処理との出会いが、後の僕の起業後の全ての土台となっています。

ミュンヘンのマイクロソフトオフィスは、研究開発チームでありながら、半分は女性の研究者が働いているという、なかなか日本では見ない環境。
相変わらず日本人は自分一人でしたが、とにかく国際色に溢れていて、非常に働きやすかったです。今思い返しても最高の職場だったと言えます。

たまに夜遅くまで働いていると逆に上司に怒られる始末で、ワークライフバランスとプライベートの充実という事に重きをおくようになったのもこの頃からです。
日本とは全く異なる価値観の世界がここにはあるんだなと強く感じました。今でいう「風の時代」というやつは、ヨーロッパの価値観が色濃く反映されている気がします。

エンジニアとしても、まだ世にAIが普及する前から、その先駆け的な技術を学べたので
自分が苦手だったメモリと計算量のバランスを保ったコーディングを学べる機会が多く、一気に自分の力が飛躍したのを感じていました。

何よりも日本で一度落とされたマイクロソフトの社員でいられる事が一番嬉しく、本当に誇りでした。

また、休みも非常に長かったので日本ではまずありえない、35連休の休みを取得しヨーロッパ中を車で旅をするという貴重な経験もできました。

今思い返しても、この日々が人生で一番充実し、またあらゆる事が日本にいては経験できない貴重な経験でした。

このヨーロッパの日々の記憶は、今も脳裏から消える事はありません。

今はコロナで飛べなくなってしまっていて非常に残念ですが、人生のどこかでまたヨーロッパに住み、当時のような生活をしたいと思うくらいです。

この頃回った国の数は合計で50カ国を超え、色々な国と、文化、人々を見てきたのですが、その中でも特に僕が好きだったのはアドリア海沿いの国々でした。

夏のバケーションは、ミュンヘンからアルプスを越え、イタリアの海岸沿いから、アドリア海の真珠といわれるクロアチアのドブロブニクに南下していく
「紅の豚」か「ルパン」の実写版の旅にはまっていました。

画像1

ドイツからアルプスを越え、イタリアの海岸沿いから最初に辿り着く街が、このスロベニアのピランという海岸沿いの街です。

画像2

小さな小道が多く、それが迷路のように繋がり非常に散策甲斐がありました。

画像3

ドイツとは違い、食事も非常に美味しかった事を覚えています 笑

画像4

途中によったスプリントというクロアチアの街も非常に綺麗でした。

画像5

そしてたどり着いたのが、アドリア海の真珠と呼ばれるドブロブニク。とにかく家の赤い屋根が綺麗で、日本人があの「魔女の宅急便」の舞台と信じている街です(実際はスウェーデンのストックホルムですが・・・)

画像6

丘から見下ろすといかに屋根が赤いかわかる。このアドリア海沿いの街は、ここに限らずだいたいこんな感じでした。

画像7

夜のドブロブニクも非常に色っぽく、この街はヨーロッパの中でも特に僕のお気に入りの1つです。


他にも数え切れないくらいの色々な風景、人々、文化に接し、
それだけでなく、マイクロソフトという非常にプロフェッショナルな環境もあり

全くストレス無く、本当に好きな事を仕事にしながらエンジニアとしての力を形成していけた事は、笑にとって後に多くの財産になりました。

その中でも特に僕が感銘を受けたのは、マイクロソフトという先端企業にいながら、その肩書よりも、どうやって幸福に生きる事ができるかを突き詰めていた同僚達の価値観でした。

僕がミュンヘンのオフィスで働いていた時も、多くの同僚がマイクロソフトの肩書を躊躇なく捨て、山にこもった生活をしたり、自分が本当に幸福に生きられるための選択をしていく姿を見ていました。

これが一番今の自分の思想形成に役に立っていきますが、この話はまた次回に・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?