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日本で映画を広告する業界批判〜「バスルーム 裸の二日間」〜

Amazonがセクシーな映画をレコメンドしてきやがった…と思いつつ、試しに観てみた。もし出演俳優の肌の平均露出率という指数があれば、現存する映画の中でも屈指の成績を誇るだろう。なぜなら浴室から出られなくなった男女の2日間を描いた作品だからだ。

美しい女性の裸体を拝むことができる…そういう視点から観れば一部のレビュワーが指摘するように下品な映画だということになる。しかし、それはそのように見るレビュワーの心理を反映したものでしかない。本作は鏡としての機能を持った映画なのである。

また、主人公の男に嫌悪感を抱く視聴者もいるだろう。しかし、この男への嫌悪感と映画への評価を混同してしまうのも違う気がする。老年さしかかるコラムニストの男の文才に憧れて接近した若い女子学生だが、男はその肉体しか見ていない。好きあらばと迫る姿はどこか滑稽で、肯定しようとする意図は感じられない。強引な性交渉を肯定するようなアダルトビデオとは一線を画していると見て良いのではなかろうか。

さて、浴室に閉じ込められた二人は文字通り「赤裸々に」議論することになる。
そこに“憧れられるー憧れる“の関係は既にない。経験の絶対量の差はあるが、女性の正論は鋭い。日本人なら無言の仕草の中に言い含めそうな思いも全て吐露する。文化の違いも見たように思う。

最後にこの作品の日本での展開について一点指摘したい。上記の通り、本作は至極真っ当な作品なのだが、日本では不当に貶められているように思う。本作の原題は“Madrid, 1987“(直訳:「マドリッド、1987年」)なのに対して、邦題は「バスルーム 裸の2日間」である。ああ、これではアダルトビデオと変わらないじゃないか。まさに本作の主人公のように下品な視線を集めようとしている。

その意図はDVDのジャケットを比較してみても明らかだ。日本のジャケットは、

・邦題の「裸」の文字が強調されている
・男が女に触れる画像を使用し、性交渉を想起させる
・「閉じ込められた浴室で絡み合うインモラル(不道徳)とエロティシズム」のキャッチコピーを挿入している

という点からピンク映画として売り出そうとしている意図が見える。

一方で英語圏のDVDジャケットは、

・女性単独の画像であり、背中が露出しているも性的な印象は薄い
・「超年齢差の誘惑は性的な緊張と魅惑的な対話に進展する」という寸評を引用している

というように、あくまで映画作品として売り出そうとしている。

普通、映画の映像よりもタイトルや広告、DVDのジャケットを目にする方が先だろう。タイトル、広告、ジャケットは観る側に先入観を与えてしまうのだ。そのことを日本展開を請け負った会社側は肝に銘じてほしい。売上のためのつもりだろうが、作品の地位を不当に貶める行為であると同時に日本の映画ファンを馬鹿にした行為でもあるのだから。


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