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教育に焦点を―事実への恐れを知る教師になる
2023/12/14(木):教育に焦点を⑭
今日も覗いて下さってありがとうございます。木曜日の今日は、教育について少し深堀して考えていこうと思います。
はじめに―斎藤喜博という人
今日紹介したい教育実践家は「斎藤喜博」である。
彼は小学校・中学校の教育現場で活躍しながら短歌をつくるようになり「短歌結社アララギ」に参加。
教育関係者だけでなく、広い範囲の人物に知られた存在であり「キハキスト」という崇拝者とも言える存在を生んだ。
昭和5年に師範学校を卒業後昭和56年70歳で他界するまで、教育と文学に身を捧げ続けた人物であり、後進の教育者への指導にも尽力したことで大きく教育界に影響を与えた人物である。
授業とは何か??
さて、教育以外にもファンをもつ斎藤の考える「授業」とはどうあるべきか、まずは着目していきましょう。
授業は、教師や子どもに想像と発見の喜びを与え、子どもに、きびしい執行力とか追求力とかをつけ、教師や子どもを、つぎつぎと新鮮にし変革させていくものである。しかし、そういう授業をするためには、やはり教師が、授業に対する考え方を根本的に変えていかなければならない。
(中略)
授業とか指導とかは、(中略)学級という集団のなかで相互にそれぞれの嗜好や論理を出し合い、はげしく衝突し合っていくものでなければならない。そういう作業のなかで、おたがいの論理や思考を否定したり、そのことによって他の世界に移行していったり、拡大していったり、新しいものを発見し、自分の人間全体をその世界に入れていったりするものでなければならない。
以上の文章を今現在の価値観で見る時、教育外の人間はどう受けとるだろうか。下手をすれば「衝突しあう」「おたがいの理論や思考を否定したり」という点にだけ着目してアレルギー的な反応を見せる人も少なくないのではないだろうか。
一般の方はそれでいいのかも知れない。しかし、教育に関わるものは同じように文字面だけをみて斎藤の意見を拒絶しているようでは考えが足りないのではないかと私は思う。
集団のなかで考察し、時には否定される経験をすることで、自らの考えや思い込みに立ち返り他者に伝えようとすることで自身の意見や言葉の選択を研鑽し時には自身の考えの間違いに気づくことで他者の意見を受け入れる経験から成長をするのである。
批判されるからこそ伸びれる経験ができ、集団で対等に議論ができる関係性を築けているからこそ可能な学びなのである。
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