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教育を考える―プロとしての教師

2023/2/2(木)教育を考える⑯
 今日も先週に引き続き、「教師たるもの」という点について考えていきたいと思います。

 ある会社へ勤めたとします。自分が一つの仕事をもらいます。その仕事をやれません。その場合に「やったけれどもやれませんでした」などと言おうものなら、相手にされないのではないでしょうか。(中略)一生懸命にやりましたけれども、というのは、だいたい非常に甘えたことばだと思います。一生懸命やるのは、人間一人前ならあたりまえのことで、怠けてやられてはたまったものではないと思います。(中略)
 ところが、教師だけはよくまあ言うと思います。「一生懸命指導しましたけれど、お宅のお子さん、どうもうまくおできになりません」私は、そういうことは、教師として言うべきでない。教師が一個の職業だというのなら言ってはいけないと思います。

「教えるということ」:大村はま P55~

 けれども、教師の世界はわりあいに甘い世界です。いえ、わりあいにどころか、非常に甘いこわい世界だと思います。なぜこわい世界かといいますと、第一に教室では、自分が一人ということです。それから、生徒は何か悪いことがありますと、自分が悪いと思うようにできているということです。(中略)
教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです、ほんとうの意味で。こうした世の中を生き抜く力が、優劣に応じてそれぞれつかなければならないと思います。

「教えるということ」:大村はま P59~

 昨今の風潮では、「教師(特に中学教師)は仕事の範囲は多すぎ、減らすべき」というものが多く、上記のはま先生の言葉とは逆の主張であるように思えます。今の教育現場をはま先生が見たらどんな風に思われるでしょうか?正直、はま先生の言葉はめちゃくちゃ分かるし、現場の教師としての理想の姿ではあると思いますが、今の教師にこのはま先生の言葉を突き付けるのは酷な気がします。
 私が教育現場(教育、保育にかかわった経験仕事のうちのとしては、保育
園、幼稚園、専門学校、通信制高校があります)にいる時、その仕事時間の1割ほどは、「教師の仕事かな?」と言いたくなるような相談対応や保護者のお世話的なものがありました。
 教師が教師の本職にまい進できるよう、保護者自身で解決すべきことは解決する、外部にお願いできることは上手に外部を巻き込む…そんな社会的解決をしたうえで教師は教師として「保護者の話を聞いてくれる優しい先生」「奉仕作業を頑張っている先生」なんて看板に逃げることがないよう、プロとしての仕事に集中できるようにしていってもいいのではないかな?社会的に構造を見直していければ良いかな?と思います。…その為にも、幼児期から保護者の自覚が育つように援助していくことが大切なのかな?

 また最近の小学校の宿題は「親ありき」なものが多い現実も…今はま先生が見たら強烈なダメ出しされそうな気がします。
 あと生涯一教師として、結婚や出産はされなかったはま先生ですが、はま先生支持者の私としては、今の小学校教育の「保護者」としてのはま先生の姿を見てみたいな…と思います。

 でも、嘆いていたって現実は現実!プロとして子どもの姿に責任感をもって、小さな子どもの身体に「責任」を擦り付けるようなことをしないカッコいい教師でありたいものですね。
 子どもたちが自分の手を離れた時に、不安で立っていられない…そんなことにはならないように、子どもの個々の課題や現状を冷静に見極めて伸ばしていけるようなプロの教師であるように…自分の仕事は自分の責任でもてる大人になっていきましょうね。

今日はここまで!
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では、またあした…

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