見出し画像

不人気すぎる博士課程進学と採用難航企業との共通点:お金も時間もない環境下での打開策

 大学院進学を決める季節になりました。理系であれば修士への進学は比較的多く目にしますが、博士は別です。博士の進学・キャリア問題は私も通った道ですし、将来の日本の高度人材事情を考えると重要な社会課題だと捉えています。私自身がリクルーターとしてのキャリアを歩むうちに、採用に難航している企業と博士課程の不人気さに共通項が見えてきました。今回は博士課程の活性化について採用戦略の観点でお話しようと思います。

有料設定していますが、最後まで無料でお読みいただけます。もしよければ投げ銭感覚で応援をお願い致します。

不人気過ぎる博士課程

 つい先日も下記のような記事が出ていました。科学者が消える系の本を多く出されている方の記事ではありますが、Twitterの反応などを見ていると「末は博士か大臣か」と言われた時代は遠くなり、憧れの存在や目指すべき存在だったころから一転し、憂うべき存在になってしまっています。

優秀な学生ほど博士課程進学を敬遠し企業に就職するという状況が生まれている。NISTEPのアンケート調査では研究者の74%が「高い能力を持つ人材が博士課程を敬遠している」と回答し、博士課程の学生を「能力のない人が、それを高めるために博士課程に進学」「就職したくない、できないから博士課程に進学」などと評価している。博士課程はその数だけでなく、質も「空洞化」しているのだ。

 こちらの記事は「お金がない」ことが原因とあります。お金は重要要素ではありますが、お金も知名度も限界があるベンチャー企業の採用と比べてみると他にも足りない要素があります。時間と学費を投入して進学した先に得られるものが学位以外に特に明言されていないのです。

勧誘・説明不足

 私が知っている博士課程進学ですが、修士で論文誌を通すなどの抜きん出た功績を残した人や、研究テーマの筋が良い人への声掛けはさておき、積極的な勧誘は行われていないように思います。結果「来たい人は自己責任で覚悟してきなさい、以上。」となり、特に魅力的に見えない博士課程への進学者は減っていると捉えています。

 企業の採用シーンに例えると、お金もない、社員もない、安定性も将来性も心もとない、ただ辛い労働環境が待っているだけの小さな企業が「来たい人は来なさい」とだけ言っているようなものです。集まるはずがありません。トップのカリスマ性に任せてうまくマインドセットすれば「やりがい搾取」による勃興はできそうです。

 私が在籍していた研究室の人数的なピークは2006年でした。17人の教員と、同数の博士課程の学生がいました。来るもの拒まず去るもの追わずでここまでの博士課程の学生を集められたわけですが、これは業界がIT革命から始まる好景気に後押しされ、山っ気のある天才と秀才が集まったからだと考えています。こうした外的要因がなければ、勧誘なしの無策で当該分野の繁栄はありません。2020年現在でもAIなどはそんな感じがありそうだなと本郷三丁目方面を見ています。私の所属研究室もリーマンショック・景気の後退と共に学部生や修士生の人数が減り始めたので、慌てて勧誘活動をしました。

 ただ、いたずらに教職員が勧誘するわけにも行かないのが博士課程です。冒頭の記事とも重複しますが下記のような理由が想定されます。

 1点目は若手の教員の場合、有期雇用契約であるが故に自身の心配が先に立つということです。有期雇用でなくなるテニュアトラックに乗るには、派手な経歴が無い限りは40代〜50代が一般的に思われます。それまでは基本的に1年や3年などの単位での有期契約です。言ってしまえば後続の心配をしている場合ではありません。

 企業採用に例えると1年以内に転職するかもと思っている人が、学部3年生を勧誘しているような現象と似ています。勧誘する傍らで「自分も居ないかも」と思うと無責任なことは言いにくいものです。

 2点目は教員に時間的な余裕がありません。よく語られる話ですが、教員には膨大な事務作業が振ってきます。これを捌きながらも研究を進め、論文を書き、学部生・修士生の面倒を見て、更に若手の場合は来たるべきテニュアトラックの審査に備えなければなりません。

 3点目は上の方の先生はキャリアに躓いてない、どうにかなった人しか残っていないという点です。つまりは生存バイアスです。私がキャリアで盛大に躓いた時に感じたのはこの項目でした。純粋培養で同じ大学に学部時代から教員に至るまで残り続けられたり、新設の学部にうまい具合に呼ばれたりと、実力はもちろんあると思いますが運、人脈、要領が良く恵まれていないと到達できないポイントです。逆に何とかなってきたが故に、勧誘活動からは遠いというのはあるのではと感じています。

 これらに加え、近年では少子化の影響で、テニュアトラックになった後も特に地方大学を中心に自身の定年まで大学が存続するように祈らなければならない現象があります。

 どっしり構え、若手に「進学するとこういう良いことがあるよ」と語れる教員はそもそも一握りなのではないかと感じます。

 お金以外にもフリな条件はありますが、スタートアップでの採用と考えるとそこまでの違和感はありません。しかしどうもディスブランディングが酷いですね。

ディスブランディング:「博士の学位は足の裏の米粒。取らないと気持ち悪いが、とっても食えない(ドヤァ」という言葉が進学者を減らす

「博士の学位は足の裏の米粒」という例えは2000年には既に耳にしていました。とある年長の先生からお伺いしたのが最初でしたが、Googleで検索すると8300件出てきますし、Twitterでも定期的に盛り上がります。医学や人文学でも語られており、詠み人知らずの謎掛けなのかなと思います。

 多くの場合、既に取得された先生方によってこの言葉が発せられることが多いです。個人的には実際に取得し、特に就活をした際に「確かに」と思った側面はあるものの、博士課程の学生が20代を投げうって必死に取り組んでいるものを、そんな生ゴミに例えて笑いの種にするのはいかがなものかと思います。

 普通に考えて「足の裏の米粒」と先人が自虐的に語るキャリアに学費と20代中盤〜後半の時間を掛けられるかというと・・・払わないでしょう?だいぶなディスブランディングです。

 事実有期教職員のパスが長く、輝かしいテニュアトラックへのパスは一握り。博士取得者の凄惨な事情がニュースになり、SNSで悲痛な声が届くようになり、この「足の裏の米粒」はヤバいキャリアパスの象徴になっています。

 本コンテンツでも幾度となく触れましたが、2015年から2019年までは「海外で就職して高年収」、博士を持っていればビザも取りやすく華やかなキャリアを歩む事例も聞こえてきました。もっとも、コロナ禍で彼らが幸せにやってるのかは不明ですが。

 結果、誰も魅力的なことを言わないキャリアパスに進学する人は下記のような人たちが残ります。このメンツでノーベル賞を目指したり、他国に論文投稿数で勝負に行くというのはROOKIESみたいですね。

・「それでも私は進学する」という志願兵
・経済的に余裕のある物好きな人
・情報収集をまるでしていない人
・就活に(学部に続いて)失敗したので延長の勢い考えている人
・家族が博士持ちで博士を持っていないと同じ墓に入れない人

リブランディングなしではオンラインサロンに劣る

 自身のキャリアを拗らせ、エンジニアキャリアや採用についてセミナーをやるようになった私ですが、博士課程の不人気っぷりを見るとお金がない・時間がないベンチャーでの採用に姿が重なります。

 スタートアップの場合はSOだったり、幹部候補をちらつかせて将来の夢をちらつかせて採用するのが一般的です。「上場した暁には○○万円にはなるはずだ」「君にはゆくゆくはCTOを任せたい」。漫画ワンピース的な夢や野心がある世界です。

 大学教員になるためのスタンプラリーがあるとすると博士取得は「台紙を貰う」くらいベーシックな行為である一方で、それ以上に何も確からしいことが言えないのが弱いところです。その先は期限なし正社員でもないですし。

 では貴重な20代と学費との引き換えに何が提示できるでしょうか。一つは社会貢献性です。ただこれは20代と学費と引き換えにするにはあまりに奉仕が過ぎるので、トップに宗教家のようなカリスマ性が必要です。たまに見かけるものですが、トップが居なくなると瓦解します。

 現実的な解は博士課程のパスを選択し、歩むことで「どうなれるか」という能力をプレゼンすることではないかと考えています。この点、現状では巷のオンラインサロンの方が何枚も上手です。

博士課程で手に入る博士脳を定義、プレゼンするべき

 LIGでの上長はコンサル出身の非常に優秀な方なのですが、顧客の漠然とした思考を整理し、具体的に解決すべき問題にしていくのが非常に鮮やかです。俗に言うコンサル脳ですね。

 ITコンサルに進むことで手に入るコンサル脳に価値があるのなら、博士過程に進むことで手に入る博士脳が言語化され、それに価値があればより進学者は増えると考えます。キャリアや収入にリンクすれば更に望ましい。それすら手に入らなければ、学術に残らない/残れない限りは足の裏の米粒なんて必要な人は居ないのです。

博士脳とは(案)

 では具体的に博士脳はどういったものが考えられるでしょうか。

 私は博士で培われる能力は知の掘削能力だと考えています。ある主題について深堀りしていく力です。コンサル脳がスムーズな整理思考だとすると、こちらは深度が鍵です。いくつかの分野について深くまで掘ることができれば、掘り方のコツも分かります。同時に深堀りをして深度を推し量れるからこそ、他の専門家と対峙した場合に「その分野には明るくありませんが」という謙虚さも産まれます。この謙虚さは博士持ち特有のものです。

 以前、大学時代の恩師の一人でもある藤原洋先生と高度人材(博士持ち)についてディスカッションした際に頂いた言葉は、高度な課題定義能力でした。あらゆる事象に対し、その根幹たる課題を見つけ、定義する能力です。プロジェクトなどを推進していると、事象が複雑に絡み合っているがためにプロジェクトが進捗するとともに課題が移ろい、プロジェクト迷子になることがあります。これは偏に課題提議能力が甘いからです。これはビジネス的にも分かりやすく価値がある能力です。

 藤原先生の方がスマートな解釈でちょっと口惜しい。

まとめとおまけ:進学先研究室は選びなさいよというお話

 私の研究室は平均博士取得年数が6年でして、私もきっかり6年で取得しました。その間、博士課程とは何かということについてうなるほど考えさせられました。進学して得られた視点や考え方については非常に感謝しています。なので進学自体は否定はしませんし、前向きに取り組む博士課程志望者が一人でも増えればと願っています。

 同時に受け入れ側は世間体がかなり危機的な状況なので、ポジティブに勧誘できるようになればと思っています。

 最後におまけ。大学院進学を悩んでいる方にはこちらのコンテンツもどうぞ。先生の健康状態にまで言及しているとは!と学術に残っている人たちからも好評です。 

執筆の励みになりますので、記事を気に入って頂けましたらAmazonウィッシュリストをクリックして頂ければ幸いです。
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/COUMZEXAU6MU?ref_=wl_share


ここから先は

0字

¥ 500

頂いたサポートは執筆・業務を支えるガジェット類に昇華されます!