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前回不景気時に満身創痍で高学歴ワーキングプアを脱し、いつしか研究テーマがキャリアパスになった話 -「(不格好に)アカデミアを離れてみたら」

 就活市場が冷え込み、大学院進学を選択する方が増えておられるようです。決断する前に進学を決意するときに考えたいチェックポイントを…と書く前にどういう立場で大学院進学を語るのか明らかにする必要があると思い、今回のエントリを残します。

 普段身の上話は採用シーンでの自己紹介の一環でお話することが多いです。触発されたのは以前も紹介した下記サイトを見つけたこともありますが、「お声がけないなぁ」というわけで勝手に「アカデミアを離れてみたら」に乗っかって行きたいと思います。

 先だって「アカデミアを離れてみたら」を受けて、Acadexitする際のパターンについてお話させて頂きました。では久松はどれなのかと言いますと、50名前後のベンチャーのスタートアップ事業に拾われ、メンバーからスタートしていきました。これから不景気が予測される中、うまく時流を掴んでシフトしていった人達の話ではなく、不格好な話のほうが参考になるところもあるかと思い、僭越ながらお話させていただきます。単に過去を語っても面白くないので、今なら当時の自分にどうアドバイスするかという視点も絡めながら進めていきます。

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サマリ

 ちょうど良いポストがありました。まとめ(本エントリ)を書くのに8年空いてようやく俯瞰できるようになりました。

【学士・修士・博士】研究テーマの変更と情報工学の食い合わせ

 私の研究テーマは学部時代は広帯域リアルタイムストリーミングでした。DVDと同等の品質を32Mbpsで転送するというものでしたが、100MbEが一般的だった当時は暴走族と表現されていました。OSや経路上のネットワークをきっちり仕上げないと伝送に支障が出るため、総合的な知識や経験を付けるには申し分なかったと思います。この研究はUstreamの一般化とともに縮小していきました。今はUstreamからして「何?」と言われる時代で感慨深いです。

 研究テーマが変わったのは博士2年の時でした。動画転送のアプローチに限界を感じていたこともありますが、 所属していた研究チームでNICT Dynamic Networkプロジェクトが2008年から3年間採れたことをきっかけに「P2Pコンテンツネットワークにおける広帯域ストリーミング」にシフトしていきました。

 大学に関わっていると一定数「途中で研究テーマが変わる人」に遭遇します。経験的にテーマが変わるとサーベイ、アプローチの模索、実装、評価から卒業要件である論文誌が採録されて揃うまで概ね3年くらいかかる印象があります。情報工学に関してはこのあたりがシビアでして、右往左往しているうちにトレンドが変わったり、本当に需要がある分野だと開発力のある企業がデファクトスタンダードを掻っ攫っていて「何と戦えばいいんだ」という感じになるのが厄介です。

 他分野は明るくありませんが、情報工学に関してはテーマの賞味期限とオーバードクターのリスクのジレンマが起きやすいと考えています。研究職なら問題ないのですが、博士号取得という観点だと情報工学は分野そのものが食い合わせが悪いのではないでしょうか。何にせよテーマが決まったら短期的に走り切らないとまずいというのは確実です。また、そのテーマで食べていくとなると、もうこれは「ロックで生きていく」「一生食える持ちネタを持っている芸人」並みに難しいと考えています。

【博士】博士を志したときは良かった景気

 そもそも何故博士に進もうと思ったのかを考えていくと下記のようなものが挙げられます。

・大学教員への志望
・2006年当時は研究室の景気は良かった
・博士を取得した先に見える眺望が知りたかった
・大学を語るにはタイトル(博士)は取っておかないとなと思った
・意外と大きい幼少期に言われた「末は博士か大臣か」

 端的に言うと「拗らせが酷い人生」です。小学生の時に某通信教育のCMでラガーマンが「東大?大したことないですよ」と言い切るのですが本人が東大というものがありました。東大を語るには東大を出ないとその資格がない。大学を語るには博士は取らないと小学校から思っていました。東大は6教科覚えることに興味が続かなかったので受験しようとも思いませんでしたが。

 最後の「末は博士か大臣か」は意外と言われたことのある博士が居る印象です。「なんだか博士にならないといけない気がする」呪いです。無碍に子供に言うのは止めましょうと子持ちの人に話しています。

【博士の出稼ぎ】エリア88のような受託プログラミング案件*2

「アルバイトなどせずに研究成果を出せ」という研究グループだったのですが、結果的に私のその後のキャリアに繋がったのは飯のタネにするためのWEBプログラミングの個人受託経験でした。数十万名規模のサービスでしたのでCS的な知識をビジネスで用いた初めてのプロジェクトです。その後の就活で直接役に立ったかというと5年経過していたので微妙ですが、就職後の実務では多い役に立ちました。

 2件ほど請け負ったのですが「もしこの受託案件で発注先から訴訟された場合、損失金額を折半する」という契約書に2回ほど捺印したのは、今思い返してもウシジマくん的な世界ですね。

【博士】リーマンショック・事業仕分け・震災のトリプルコンボ

 ビジネス方面ではITバブルはとっくに弾けていましたが、進学した2006年頃までは私の居たSFCでは影響は少なく、それがまた「学術はビジネスの波に左右されない生き方だ」と誤認してしまったことに繋がったように思います。

 当時、私の居た合同研究室では把握している限りではピーク時の教員が17名、博士学生が17名居るという一大組織でした。これが2008年 リーマンショック、2009年 事業仕分け、2011年震災でみるみる予算が縮小し、教員は半数程度になったように思います。

 先に採択されたプロジェクトの終了が2011年。「通常であればこのプロジェクトは追加があるから大丈夫だ」という先生の予測も空しく、私の代の修了とともに研究チームは解散していきます。

【博士】オーバードクターが平均的な研究室

 博士進学に当たって多くの修士生が考える選択肢は下記の3点でしょう。

1)同じ研究室に据え置きで進学
2)国内他大学(だいたい東大)
3)海外の大学

 多くの場合、研究テーマが据え置きであれば新たに関係値を作るのも面倒なので1)ではないでしょうか。この際に気を付けたいことの一つ(チェックポイントは後日書きますが)が、平均博士取得年数は見ておくべきでした。

 私が居た研究室は平均博士課程だけで6年だったので、学士・修士・博士が終わるころには30歳を超えるパターンが通常でした。経験的にはポスドクが内包されているような内容ではありましたが、そのまま学術に残れば武勇伝で済みますが、ビジネスに出た場合は就活が決まりにくく、機会損失が大きいと言わざるを得ません。

【博士】IFを意識しすぎたグループ

 世界的な大学ランキングが話題になり始めたのは2000年代後半だったように思います。そのランキングに関わる要素の一つが留学生の受け入れであったり、出された論文のIF (Impact Factor)、つまりは有名な学会にどれだけ論文が通ったかという観点でした。

 私の居た研究チームでは海外の研究所帰りの先生が率いていたこともあり、兎に角IF順に投稿しまくっていました。最上位の論文に出し、ダメだったら次点、ダメだったら更に次点…繰り返しているうちにまた最上位の論文を出す季節がやってきます。国内に投稿する場合は卒業要件である論文誌は出すが査読なし論文は出す価値はないというスタンスだったのです。これが本当に通らない。通らないと実績にはならない。非常に厳しいループです。

 加えて悲劇的だったのは博士後半で知った「国内で大学教員を目指すのであれば国内論文を投稿して顔を知られたり、学会運用のお手伝いをして横のつながりを増やすのが王道」という事実でした。こちらをきっちり守れた同期は他大学で出世していますが、IF至上主義に乗ったチームメンバーは今は誰も大学に居ません。

【就活】オーバーヘッドが大きい割に実らない大学教員公募

 景気が悪化し、「このままこの大学にポストはないかも知れない」と思い、他大学の公募に応募し始めました。博士論文の執筆もあるので多くは出せないのと、公募を平行する是非がよく分からなかったことから膠着しました。公募の多くは推薦書が必要なので担当教員に頼みまくるのも気が引けますし、書類の結果がデフォルト通知なしなので切れ目がよく分かりません。非常に効率の悪い就活文化と言えるでしょう。

 先に話したように横のつながりを作っておき、公募のタイミングで声を掛けてもらえるくらいの関係値を作らねばなりません。この事実に気づいた際には泥臭いと思いましたが、何のことはない「リファラルリクルーティング」の一種です。

【修了1か月前】「お前の予定していたポスドクのポジション、無期延期になったから頑張れ」

 忘れもしない2012年2月末。「マジですか」半分、「やっぱりそういう流れですよね」半分でした。3月でもまだ募集していた某私立大学に応募したりしていましたが、あのポジション、今思えばヘルプデスクだったんじゃないかなと思います。

【謝恩会準備】後輩にキレる

 荒んだTweetが出てきましたが、所属先が決まってない状態で「謝恩会で足が出たのでn万円多く出してほしい」という学士からのメールにキレてましたね。今でもいい返事しないと思いますが。

【修了式】修了式⇒紹介会社⇒謝恩会

 3月になると就職課から「進路届を出すように」というお達しが何度も来るわけですが、行くところがないので書くこともないんですね。

 修了式で学位記の横に就職課の方々が居られてキラキラとした眼差しで「進路届、まだですよね!」と言われて観念しました。さぞいい企業に就職するだろうという期待をよそに「未定」に〇をして提出し、時が止まりました。ザ・ワールドが使えたのは今のところあれが最後です。

 修了式後、同期(平均の6年で修了できた人たち)とともに記念撮影後、一人で渋谷の紹介会社に行きました。「今日修了式だったんです。明日から無職です。」という自己紹介は我ながらパンチが効いてました。この時にご紹介頂いた会社さんとはご縁がなかったのですが、今となって考えてみると知名度の高いところしか受けていないのが問題ですね。業界研究が必要でした。

 その後、謝恩会へ。合同研究室なので大勢の先生や転籍された先生方も来られます。「4月からどうするの?」と聞かれ未定であることを伝えると『触れてはいけない人』とそっとしておいてくれる優しさが身に沁みました。「まだ決まってないの?!」とだけ投げてきた先生は、当人は忘れていると思いますが私は忘れません 。こうしたことが「キャリアに悩む人に気の利いたことをアドバイスできる水先案内人のような人になろう」と思い始めた原点でした。

 帰り際、直属の先生に呼ばれて行くと言われたのが「喜べ。お前のためにプロジェクトが採れた。」と月数万円を提示され、丁重にお断りの上で帰路につきました。

【就活】教授の推薦?景気の良いときはあるらしい

「教授の紹介はなかったんですか?」とよく聞かれるのですが、「景気とタイミングの良いときはあると聞いている」という感じです。私はさらっと流されました。圧倒的に事務処理が強かったので残しておいたほうが便利だったんじゃないかなとは思いますが。

 一時期は「博士進学を薦めるからには人生に責任を持ってもらう約束を取り付けても良いのでは?」と感じていましたが、直近のウィルスの影響を見るまでもなく数年という単位での景気を踏まえると安易な約束はできないところでしょう。

【高学歴ワーキングプア時代】額面15万円/月のプログラマ

 博士を取得し、文字通り高学歴ワーキングプアになりました。就活は継続していたのでフルタイムではありません。1年前からお世話になっていた東大近くの小さなSIerで働いていました。正社員3名、アルバイト10名程度で業務を回すという不思議なSIerでした。大学が近いので時給が多少低くても皆さん来るんですよね。良い社会勉強になりました。

 時給の良いところに移るというのも考えられましたが、就活を長期化させるつもりもなかったので時給を200円ほど上げてもらって頑張っていました。eイヤホンで手持ちのヘッドホン・イヤホンを売り飛ばして足しにしましたが、いくつかは最近買い戻しました。歩いて行けるんです、本郷三丁目から秋葉原。

 バイキング小峠さんが以前ラジオで仰っていましたが、若い頃貧しいとその後成功してもお金の使い方のバリエーションが広がらないそうです。20代が貧しいヲタクだったので今でもハードオフとフリマが好きです。プライベートでは例えば1万円あると1万円満額で一つのモノを購入するのではなく、数千円複数で楽しめる方法を探ってしまいます。今でもメルカリで商品をメルペイで支払うと1000P返ってくるキャンペーンにときめいています。正直、そんな価値観で渋谷スクランブルスクエアで開発の部長やっていて良いんだろうか?final A8000をポンと買ったり、Leica M10買ったり、SIGMA fpでWEB会議したりしないと行けないんじゃないか?とは思いますが、こればかりは仕方ないですね。実際、今でもご飯を奢ってくれるシチュエーションはほぼ無条件で嬉しいのです。

【就活】30歳でベンチャー企業のスタートアップ事業に就職

 就活はというと非常に苦戦しました。曲がりなりにも情報系、プログラミングのアウトプットはあるものの「30歳の博士修了したばかり」という生き物が何なのか一般的な日本企業では理解されませんでした。二桁ほど応募をしたと思います。

 ある会社さんは「新卒として扱います!」と言ってくれたのは良かったのですが本当に学部生、修士生とともに会社説明会に参加するところから求められました。隣の修士生から「失礼ですが・・・おいくつですか?」と聞かれたことを思い出します。あと2ランクくらい私のプライドが高かったら霞を食って生きる道を選んでいたかも知れません。

 またある会社さんは非常に興味を持っていただいたのですが、一次面接は1:8の面接でした。1が私です。最終審査より多いし!人が部屋からはみ出てるし!

 結局、就職できたのは二つ目の紹介会社を訪ねた際でした。その週末にある1dayの選考会に来ませんかとのこと。8社ほどにお会いし、そのうちの1社である前職に決まりました。決め手は裁量の広さです。本当に色々とやりました。差支えがありそうなので省きますが、スタートアップ半端ないです。

 他に内定を貰えたのは2社ありました。1社は友達の会社です。友達、大切にするべきですよ。もう1社は自社メディアに応募したのですが通知書はSESと書いてありました。

 メンバーからスタート、給与も400万円台中ほどでしたが割とすぐに昇給しましたし、何より博士課程の時と比べると多い。更に福利厚生もある。関東IT健保の冊子を前に震えました。一番感動したのは定期健診ですね。大学の時は体育館だったので血液検査なんてありませんでした。フィオーレの綺麗さと終了後にアイスが食べられるのが非常に嬉しかったです。

(特にオーバードクターをやらかした)博士で懸念されるのは「社会人としての実績」です。就職してから社会人としての成長が想定されるメンバーシップ採用を採る企業において、この思考は残念ながら自然です。ましてやオーバードクターとなれば「定置網を引き上げたらメガマウスが引っ掛かった」くらいの状態なので扱いに困るのがほとんどでしょう。その点、人が居なくて困っているスタートアップ事業で拾われたのはリスクもありましたが僥倖だったと言えます。

【リクルーターとして】入社翌月からリクルーターデビュー

 入社後、インフラエンジニアとしてスタートアップ事業のテコ入れから始まりました。ITエンジニアの受け入れに慣れておらず、ましてやオーバードクターの珍獣だったのでプレゼンスに悩んだこともありましたが、6年間、累計会員5万人から300万人までのサービス成長を支えることができました。

 翌月から任された業務の一つがリクルーターです。業務内容をプレゼンし、勧誘していくというのは研究室紹介が源流と言えるでしょう。マッチングサービスという誤解を解くところから入るリクルーティングでしたが、エンジニア組織の構築に貢献することができました。

 ポテンシャル枠の採用、採用中の技術面・マインド面での育成、こってりとした面接のフィードバックといった現在採用セミナーや弊社キャリアアドバイザの面々に教育している内容は、逆境の採用現場と、逆境しかなかった自分の就活経験が原体験にあるからです。

【2019年】「久松君、P2Pはまだやってるのかね?」

 オファー面談の際、当時のリーダーに質問をしました。

私「博士の肩書が生きるシーンはありますでしょうか?」
リーダー「(暫く考えて…)稟議が通りやすくなる、ですかね」

 博士まで行った人の多くは専門性を直ちに活かしたいと考えます。学部卒に比べて5年~8年ほど追加しているので還元したい気持ちは自然です。ただしその専門性がぴったりと合うポジションというのは非常に少ないです。

 2012年頃、ビッグデータのブームがありました。これは以前も取り上げたように思いますが、「ビッグデータというものは何者か分からないけど、ビジネスにフィードバックすれば儲かるらしい。ただよく分からないから数学に強い博士を突っ込んでおこう」と判断した企業が成果を収めました。私は数学がパッとしなかったので迂回しましたが。

 ここ数年のAI/機械学習はビッグデータ界隈の先人の地ならしと、学問としての成立という、学術とビジネスの需要がぴったりと符合した稀有な例です。ただ数年先に同じ需要があるかと言われると、恐らく状況は変わっているでしょう。この辺りは先のコラムでもお話したところです。

 博士が大切にしたい「専門性」とは何でしょうか?

 「久松君、P2Pはまだやってるのかね?」

 これは昨年お会いした著名な先生にお会いした際に頂いた言葉です。言葉は当然「いいえ」です。IETF PPSP WG(ピコ太郎ではない)に出入りしていたのですが、このWGも2016年で終了しました。P2P自身はblock chainで生きながらえていますが、P2Pの上でコンテンツ流通を研究している方はどのくらい居られるのでしょう?(調べたら居られた!)ITの専門性はサイクルが早いのが怖いところです。

 私の専門性を分解してみたのが下図になります。一般的に博士取得者が死守したいというのは譲歩して上位から2層程度ではないでしょうか。これが結果的に自ら選択肢を狭めていると言えます。

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 もう少し抽象的にしたものが下記の図になります。専門性を突き詰めていったあまり、突き詰めた先に注目しがちですが、もう一つ「売り」になるであろう「高度な問題設定能力」も売りにして頂きたいところです。

 今でも20代の全てを突っ込んで良かったなと思えるのは、論文執筆やプレゼンの質疑応答で経験したトレーニングでした。もし本文を読んでくれている進学を考えている方、在籍中の学生さんはぶつかり稽古だと思って教員や先輩の質疑を正面から受けてください。恐らくはそれが生涯で一番長く光る財産です。

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【まとめに代えて】よく考えたら13年以上マッチングについて研究している

 全くP2P界隈の知見が生きていないかというと、どうやらそうでもなさそうです。ノード探索という世界で生きていたのですが、これをマッチングと読み替えると下記のようになります。

2007年 P2Pストリーミングにおけるノードのマッチング
2012年 男女のマッチングサービスへの参画
2018年 紹介会社、もとい仕事のマッチングへの参画(現職)

 P2Pストリーミングのノード探索アルゴリズム(配信網の構築)と、会社組織の組み立てに類似性があり、現在こねくり回しているところです。

 最後になりましたが、不格好にAcadexitした場合でも、腐らなければどこかで何かが光るシチュエーションがあります。他のコンテンツでも書いていますが不景気に突入すると研究職は序盤に絞られます。スマートなAcadexitとは遠い形に着地する方も多いと思われます。まずは生存することを第一に考えてください。

 私自身キャリアに悩み、その後リクルーティングする場で悩み、行きついた先はキャリアパスを研究しエージェント教育という形で働きかけるお仕事でした。特にITエンジニアのキャリアパスは技術サイクルの短さとバズワードのまやかしから絶対解がないものになります。そんな中でも、かつての私が声を掛けてほしかった内容を掛けられるように精進している次第です。何かございましたらTwitterのDMでも頂ければと思います。

5/21追記 修士・博士進学を決断するための10のちポイント

 進学に悩まれている方、こちらもご覧いただければと思います。

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