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【ご報告】12年間勤めた自治体を退職します。

本日退職届を出しまして、今年の年末(12月)で今勤めている自治体を退職することにしました。なんのかんの12年以上、干支一回り分以上も勤めていたと思うと我ながら驚きです。

大学卒業から新卒で就職し、当然ながらこのキャリアは色んな意味で得るものと失うものがあったりしたなと感じています。

そんなわけで、いったんさらりと自治体職員としてのキャリアを振り返ってみたいと思います。


市民との目線の近さを求めて基礎自治体に就職

まずなぜ自治体職員になったのか?というところですが、正直に言うと、リーマンショック後の就職不景気で民間の採用が大変シブかったというのがあります。その前の就職氷河期に比べると大したことはなんいんですが、ここ15年ちょいでは最も就職が苦しかった部類の世代だと思います。

そんなんで民間がシブいということで公務員試験に舵を切りますが、そんな折、当時の鳩山政権が「不景気なんで国家公務員の採用減らしまーす」と言い始めてブチ切れたのを今でも覚えているし根に持っていますw

話がズレました。そんなこんなでしたが、それはさておき、やはり本心から基礎自治体に行きたかったんだと思います。

その時は自覚がありませんでしたが、後になってコーチングを学んだり関係性について研究と実践の沼にハマってしまったりと、やはり身近な関係性というのが個人的な人生のテーマとしてあったんだなと感じています。

そのため、一番市民生活に近い基礎自治体が就職の選択肢だったのです。コミュニティなんかにもとても関心がありました。

まちづくりに関わるまで6年かかるも、実は得たものが多かった苦しい前半戦

今でこそ普通に市内にたくさんの友人がいるありがたい状況ですが、はじめからそうだった訳ではありません。

まず最初の配属は滞納市税を徴収する部署。残念ながらどうしてもなくてはならない分野なんですが、そもそも権利関係から市民と対立してしまう仕事です。こういう仕事をしていると、ストレスも溜まるし、休みの日もうっかりお客さん(税金滞納者)に会いたくないのでまちなかを歩くのが嫌になるんですね。。

そこで3年お勤めを果たして異動したのが、民間保育園の監督をする部署。連続して権力行政の部類で、これがまたなかなかしんどかった。当時は働き方改革もまだだったので、朝から夕までクレーム対応、そこから通常業務開始で深夜まで働く…というのが日常たった頃も。ここではストレスと激務で体脂肪率が5%を切って倒れたり、朝から夕まで鼻血が止まらなかったりしました。

今でこそ「役人っぽくないね」というフィードバックをよく頂きますが、この頃は完全に役人でした。笑

この体験があるから、役人って環境がつくるもので、誰もなりたくてなるわけじゃないんだな、って気付くことができました。

そして、今思うとこの6年間で身につけた基礎スキルやタフさがすごく糧になっているんです。もう一回は絶対やりたくはないですが、なんでもやれば自分のためになるものですね。

いよいよまちづくりの世界に飛び込み、多くの仲間に恵まれた後半戦

そして入庁7年目して、ようやく本来やってみたかった仕事が回ってくることになりました。そこからいくつかの市民参加プロジェクトやまちづくりに関する仕事もやっていくことになります。

最初は「役人っぽさ」をなくしていくプロセスに苦戦もしましたが、結果的に市内中に多くの友人に恵まれることになりました。

以前は仕事を通じた知り合いって、「役所の中の◯◯を担当している人に(それがたまたま私だから)会いに行く」という関わりでしたが、今の知り合いは私が役所の中で何をしてるのかだいたい知らないと思います。いわゆる脱カオナシに向けて進んでいった時期でした。

さらにコロナ禍のなか都市経営プロフェッショナルスクールに行ったことで、日本全国にさらなる仲間を得ることができました。そしてスクールで民間事業の目線を学んでいったことが、退職し新しい道を進んでいくための大きなきっかけにもなりました。

自分が思うパブリックの課題に取り組むには役所の外にいた方が有効だから退職する

さて同時期にコーチングの学びも本格的になり、その視点からパブリックという領域を見直したり、またベンチャー企業や政治の世界など全く別の領域にも関わり知っていくことになります。

改めて気付くのは、あまりに多くのステークホルダーの中で、パブリックに関わる人や組織は大きく傷ついているな、ということでした。裏を返すと、これはコーチングのアプローチによってもっともっと良い状態にしていくことができるのに、という感覚でもありました。

コーチング自体もやっていて苦しい時も含めて楽しく感じられるし、自分の生まれ持った特性と噛み合っているという実感もありました。

そこで、自分がもっとパブリックに価値を還元していくには、組織の外に出てコーチングのスキルをもっと全力で生かせる環境に身を置くべきだ、と考えるようになります。

今の曲がりなりにも「安定した仕事」を辞めるかどうかは迷いもありましたが、人生全体で後悔のない選択肢はなんだろう?と自分に問いかけると、答えは自ずと明らかでした。

そんなわけで自治体職員のキャリアはいったんここで終止符を打つことになります。ですが、改めて眺めてみると、とても素晴らしい機会をいただいた12年間でした。

ありがとうございました!とはいえ物理的にはまだ同じエリアに居続けますので、引き続きよろしくお願いします。


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