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鞆の浦海遊記、母と。

このお盆、他県に住んでいる姉が帰ると伝えてきた。
真っ先に思ったのは、正直この時期に…だった。
今年に入ってから全世界がコロナに振り回された。
「どうなの?まずくない?」と母に問いかけた。我が県内でも感染者は出ている。
「そうなんだよね、近所の手前、車はちょっと遠くに停めてもらう」
「それがいいね」と会話した。
ナンバーはチェックきっとされるしその方が無難だろう。
それにしても…10日はどうするのだろうか。
母から誘われて8月10日にちょっと遠出をする予定を立てていた。母にとっては、5年越しの念願。車で2時間の世界遺産を海から遊覧してお昼をいただく。という豪華な計画だ。
年齢的にも「出かけるのは最後だから一緒に行こう」と楽しみにしていた。
普通なら姉も参加して女3人賑やかに行けばいいのでは?と思われるかもしれない。
しかし、うちは姉がトップオブトップ!女王様なのだ。
楽しいドライブどころか気を遣って2人ともクタクタになる。
すっかり気が重くなったところで母も同じ気持ちだったのだろう。
「10日どうしよう?」
「行けばいいんじゃない?姉貴予定あるかも知れないし」
「そうかな、まぁ聞いてみるわ」
内心、予定があればいいのになと考えていた。
数日後母から「帰るのやめてって言ったわ」
と連絡があった。このご時世やはり動かないことにしたらしい。賢明だ。
胸を撫で下ろし当日を迎えた。
薄情に聞こえるかもしれないけれどソレが我が家。女3人キャッキャッ出来ない家なんです。
当日は緊張した。
久しぶりに遠出だし、高齢の母を乗せて運転、気が張って当然だ。安全第一。それでも午後からの台風接近のニュースで波が心配だったので、気持ちアクセルを踏みがちになった。スピードを出すと母が心配するので程々に急いだ。自分は若い頃結構飛ばしていたくせに、とも思ったが。
途中、休憩を挟みちょっと遅れて現地に着いた。
Google先生がなかったらちょっと分からない道のり。便利な世の中だ。
車を停めると船頭さんが迎えてくれ、小さな船着場に案内された。
船虫がザワザワと蠢く板もボロボロの船着場。
小さなボートがそこにあった。
…だよね。
船着場を見た時に分かってた。
遊覧船といったら大きいものしか乗ったことがない私たちは屋根もないその元漁船を見て最初は「えっー」というか、これで大丈夫かな、と思ったけれど。
すぐに逆に面白いかもと思い直した。
幸いにも日傘を持参していた。
これから台風が来るとは思えないほど澄んだ海、白い雲、冴えた青空。殺人的に降り注ぐ太陽の光。クルーズ日和?屋根があればね…。
アットホームな雰囲気の船頭さんの、案内は滑らかで分かりやすかった。
世界遺産の石見銀山から運んだ銀を、この港から海路で運んだそうだ。柔らかく侵食された岩は、リアス式海岸のような地形になっていて、洞窟や島もたくさんある素晴らしい景観だった。

小回りがきく小船で、洞窟の中や島の間を通り抜ける舟さばきはお見事。
もうひとつの湾に入ると、砂浜に、大きなゴミがたくさんあった。地形上どうしてもゴミが湾内に集まるので、世界遺産に登録できなかったもう一方の湾なのだそうだ。この湾は500年前と同じ景観で全く人工物がない。電線さえないのだ。500年前と変わらぬ景観から、栄華と衰退に想いを馳せた。昔は賑やかだったに違いない。
それにしても暑い。
暑くて途中何度も母を見た。暑さでやられてるのでは、と心配だったからだ。顔中汗だくだったけれど、説明にとても感心していた。
「さすが戦争を乗り越えてきた世代はタフだわ」と感心した。こっちの方がグロッキーだよ。
船頭さんはサービスのつもりで沖まで出てくれたが、ちょっと波が高くなって怖くなったのか「もういいわ」と訴えはじめたので引き返してもらった。時間にして40分のクルーズだったが大きな遊覧船より楽しめたかもしれない。
素敵なクルーズだった。
民宿で豪華な海鮮ランチの予定だったけれどリサーチ不足で、今は民宿をやっていないそうだ。
「まァ途中で何か食べようよ」
ガッカリしている母を慰め帰路についた。
途中景観のいいカフェで昼食をとった。フグが売り物の土産物屋の喫茶スペースだったけど、私はパンケーキをオーダーした。だって美味しそうだったから。
母はフグ雑炊をオーダーした。全部食べればいいのに私のために少し残していた。
何度も「食べないや」と勧めてくる。いつもの事なので「わかった食べる食べる」と有難くいただく。ふぐの身が沢山残ってる。私に残したのだ。私はもういい歳なんですけど。
この地域にある銘菓の本店に寄って土産を買い途中で私は高速への入口を間違えた。母が「まァコレもいい経験だわ」と慰めはじめた。
思わず笑ってしまった。
「いい経験もクソもいい歳だからこれくらい慰めてくれなくても大丈夫よ」
さっきのフグといい、いつまでも子供なんだなと思った。
母は余計な心配したのがわかったのか、少し照れていた。

母は子どもへ戻ってしまう年齢になったのだ。何時までも彼女の子どもでいたかったが、叶わぬかもしれない。
朝の出来事を忘れる。60周年を迎えようとする美容師業で、何度も使ったであろうバリカンの電源を入れぬまま髪を刈ろうとする。着付けがきつくなったと来年の成人式の依頼を断り、仕事をセーブしはじめた。コロナの影響も大きい。
歳の割にしっかりしていた足取りは力なく頼りなげになり、食も細くなった。あれだけ好奇心が旺盛だった新しい食材にも興味を示さなくなった。船上で暑さに鈍感だったのも老人特有だからなのだ、と気がつきガッカリした。
パワーの塊だった母がすっかり可愛らしくなってしまった。

母はブルドーザーのような苛烈な女性だった。
町内で車の免許をとった、はじめての女性。若干26歳にして町内はじめての美容院を開店。そしてシングルマザーは、はじめてかどうかは分からないけれど町内では珍しかったと思う。それでも卑屈に思うことは全くなかったし、父親がいなくて困ったことなどひとつもない。もっとも、愛されてはいたけれど、周囲全てを敵に回すような母をハラハラしながらみていたし、振り回されて、少し厄介な子ども時代を過ごした。
『毒親』ではないが毒親未満。
私は『諦観』を彼女から得た。
そんな複雑な親子関係は、複雑な姉妹関係と相まって次第に共犯関係のようなものとなった。弱くなった母とのパワーバランスが崩れたことで表面的には平和が訪れた。
それでも平和はとても大事なことだ。私は束の間の平和を享受している。
姉が加われば新たなパワーバランスで、母と私は疲弊する。姉からは『距離』を覚えた。一緒にいてエネルギーを吸い取られる関係なら、離れてしまえばいいのだ。家族は必ずしも良い関係でなければならないものではない。そう受け入れてしまうと背負うものが減る。姉とは『距離』があるのが最適解で、家族は家族の数だけ形がある。
そう認めてから随分楽になった。
それでもいいのだ。
母との旅。母の老いを思い知る旅だったが行けてよかった。5年越しで焦がれたクルーズだったけれど、きっと母は豪華な海鮮ランチも楽しみにしていたハズだ。近いうちに行こうと思う。きっと誘ってくれるのを待っているはずだから。

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ちょっと寂しいみんなに😢