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他力本願の本当の意味 / 引き寄せのW二乗効果 / 自力は非力

他力本願はもともと『仏教語』なのですが、そんな由来も忘れ去られ、長いこと完全に間違った用途で使われています。

大事な言葉ほど『定義の侵略』『意味のハッキング』にあいますね。

ただ使い方を間違っているだけじゃなく、誤認による『弊害』をガッツリ被ってしまうので、今回その辺を解説します。

他力本願を分解しましょう

他力本願の『他』とは?

仏教語でピンときた方も多いでしょうが、他とは『他人』ではなく『仏』です。ほとけ。

つまり個人的な思惑ではない、もっと高次元領域の作用(エネルギー)なんですね。

とはいえ、超常的なものだけでなく『時間』『重力』『磁力』『慣性』など、個人が覆すことのできない物理法則 も含まれています。

もし、野鳥に『風力に頼らないで、自力(翼の筋力だけ)で飛べ!』といったら、飛び上がることすら困難でしょう。

鳥は他力本願を心得ており、他力を活かすからこそ、僅かな労力で大きく飛び上がることができます

他力本願の『本願』ってなに?

本願とは『本音・本心から生じる願い』を略したもの。
それは、あなたらしさ・主体性・魂とも呼べるものです。

損得勘定や承認欲求など、恐怖心ベースの防衛反応ではない。無条件にむねの内、はらの底から生じてくる想いです。

で、他力本願は結局なんなの?

他力により、本願と本願が、引き寄せ合った結果 です。

すると、足し算でも掛け算でもなく『ダブル二乗効果』が発動し、凄まじいエネルギーが生じます。

ダブル二乗効果とは

【例】
🔸3のエネルギーを持つ人・出来事
🔸2のエネルギーを持つ人・出来事

3と2が出会った時、生まれるエネルギーは?

【思考も心も合ってない場合】
単純な足し算になります。
足し算:3+2=5

【心より思考がベースの合い】
掛け算になります。
掛け算:3X2=6

【心も思考も合っている】
ダブル二乗効果が発動して『お互いが5に引き上げられた状態』で、さらに二乗されます。
ダブル二乗:3+2=5X5=25

数字を見れば一目瞭然ですね!!

野鳥が飛び上がるのに 100のエネルギーが必要 だとして…

足し算では20回
掛け算なら16〜7回
ダブル二乗効果なら たった4回の羽ばたきで飛べる わけです!!

合いのない状態と比較して、労力はたったの1/5
なんと80%OFF、8割引でございます。

世の成功者や、天才と呼ばれる人達に共通している『余裕のオーラ』はここからきます。

彼・彼女らは、20%のエネルギーを最大効率で活用しつつ、80%の余裕を確保しており、いつでも他に回せます。ハッタリではなく、本当に余裕があるのです。

まとめ

他力:個人の思惑を超越した作用(主に引き寄せ)
本願:本音・本心から生じる願い
他力本願:他力により、本願と本願が、引き寄せ合った結果

他力本願はエネルギーを『最大効率で使いこなすこと』です

ジタバタもがくことをせずとも、ご縁(引き寄せ)がすべて良きようにセッティングしてくれます。

いつも『渡りに船』『濡れ手にアワ』の状態で豊かさを得られる。心に沿った、自然体で優雅な 生き方 なのですね。

無駄な苦労がないので、仏教において『救い』『仏の慈悲』『極楽浄土への道』として使われるのです。

間違った解釈と自力至上主義

他人のチカラに依存する系の解釈

一般的に使われる他力本願がコレですね。人が人に対して使う『他人任せ』という意味です。

自分のタスクを他人になすりつけて、他者を犠牲にして、自分だけがラクをしようという迷惑行為

自分じゃ決められない、考えるの面倒くさい、さらに間違えると恥ずかしいから、最終決定を他人にさせようとするセコい立ち回り(または、はなっから声の大きな人に同調する姿勢)

合意もなく、一方的に負担や責任を押しつける、それをイヤだなぁと思う(思われる)のは当たり前ですが

無理強いされていなくても、アレルギー反応のように『他人任せ』を嫌って、一人で背負いこむ人は多いですね。

というか、ほとんどの人が『他人』を巻き込むことをおそれ、必要以上に『自己完結しなきゃ』とバリアをはっています。

その背後には『自力至上主義』があります

我々は幼少期より、このような刷り込みを受けます。

『一人で出来て偉い』
『他人の手を借りないで偉い』
『自分だけで解決してすごい』
『他人に迷惑をかけずに立派だ』
『ぜんぶ自分で出来るのがオトナ』

もちろん、このセリフには裏側があります。

『一人で出来なきゃダメ』
『他人の手を借りるのはズル』
『自分だけで解決できないのは落ちこぼれ』
『他人に迷惑をかける悪い子』
『ぜんぶ自分で出来ないなら人として認めない』

子供は褒められる快感といっしょに、ゾッとするような脅しも敏感に感じとります。

家での生殺与奪を握る親、学校での生殺与奪を握る教師。
中でも外でも、延々と自力至上主義を叩き込まれ、その中で長年競争させられる…

やがて、焦り・不安・ストレスから
他力(ご縁・引き寄せ)を信じる心の余裕が消えていきます。

すぐに確実な結果が欲しくて、自力だけを頼るようになるのです。

鳥が風を忘れたら、どうなるでしょうか?
頑張っても頑張っても、ほんの少ししか飛べません。

『努力、努力、努力・・・』と念仏のように唱えながら、折れるほど羽をバタつかせても、低い枝に齧りつくのがせいぜい。その先にあるリンゴをとりたくても、もう限界です。ましてや大空を飛ぶことなど…

自力は非効率で非力なのです

支配者は、あなたを支配するために、あらゆる手を使って弱体化させます。
言葉のハッキングも代表的な手口です。

他力本願を忘れさせ、自力教におぼれさせ、飢え、疲れ果て、苦しんでいるところにマッチポンプの『救いの手』を差し伸べる(ボッタクリ価格で)

あなたが他力を使いこなせば、どれほどパワフルになるか、広い空をラクラク自由に飛び回れるか。

そんなことは絶対に、絶対に、思い出して欲しくないのです。

だから世の中のあらゆるメディアが自力を褒め称え、これぞ正義と持ち上げる。芸能人を使ったシンデレラストーリーを作り、いつかは報われると信じさせる。

もちろん、それは絵に描かれた青空であり、永遠に届くことはありません。

他力本願は、支配層にとっての『ご法度』なのです。

だからこそ、自力を蔑ろにして他を食い潰す悪…という意味にすり替えられました。

人はいつしか他力本願に『強い畏怖・拒絶反応』を抱くようになり、無自覚に自力至上主義の沼に浸かり、引き寄せを失い、支配層の思う壺になってしまう。

これが他力本願の解釈を、間違ったまま使うことによる 弊害 です。

いかがでしたでしょうか?

他力本願の本来の意味は『引き寄せ』と同じ。ジタバタしなくても、誰かを犠牲にしなくても豊かになれる生き方があるよと、仏様が言いたいのはそれだけなんですね。

仏の生き方は、修行でも苦行でも荒業でもない。同調圧力に屈しないという意味では、辛い場面もたしかにありますが、『本音を殺さず・活かして・生きる』という自然体の生き方なので、基本的にはゆったりと心穏やか。

エネルギーの共鳴・連鎖反応を利用せず、自力だけで何とかしようともがくと、結局は自他ともに貧しくなってしまうんです。

自力至上主義は平成で頂点を極めましたが、令和にはゆるやかに廃れていくでしょう。

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