劣等コンプレックスに不幸自慢。もっと「守るべきもの」が、あるじゃないか…
昨日語った『前提』を確認しておこう。
①劣等感とは「相対的」なモノで、「絶対的」なモノではない
②劣等感とは「主観」であり、「客観」ではない
③人類史において狩猟採集時代は想像以上に長い
④脳は、狩猟採集時代の記憶を潜在意識として機能させている
⑤女性は自然に「他者を尊重できる」という特徴を持つ
このような『前提』を語った。
そうでしたね。
このような『前提』を踏まえて、いよいよメインディッシュの、
『劣等コンプレックス』について解説しよう。
先に、結論を言うと。
女子にとってタブーなのは、劣等感を抱いていることではない。
タブーは、『劣等コンプレックス』を抱くことだ。
◆劣等感はタブーではない
昨日タケルくんは、「劣等感を抱いている」と言って、
さらには「抱くものはどうにもならない」って言ったね。
はあ。
いいかい、タケルくん。
劣等感を抱いてしまうのはイイんだ。
構わないんだよ。
え?
本当にイイんですか?
ああ。構わない。
って言うか、誰でも劣等感は抱くし、むしろ抱かないのは抱かないで問題がある。
例えばね。
中学の同級生の大木君が、「タケルくんに勉強ではかなわない」「悔しい」という劣等感を抱いたとする。
そこで大木君は毎日努力した。
コツコツ勉強して、ついにはタケルくん以上の成績になった。
こういうことが、あったとしたならば?
これは、「劣等感のおかげで勉強できるようになった」と、言えるよね。
別なケースも考えられる。
まあ、例えだから、同じく大木君でいいや。
大木君が「タケルくんに勉強ではかなわない」「じゃあ自分は、野球に全力を傾けよう」と、そのように考えて、結果、プロ野球選手になった。
こういうケースも、可能性としてはあり得るワケだ。
でしょ。
まあ、
可能性は、なくはない、かな。
プロ野球選手は、どうかと思うけど…。
そこは例えだからさ。
でね、いいかい。
そもそも、劣等感を抱かない人間はいないんだよ。
子どもは物心つけば、即、劣等感を抱くと、アドラー心理学では言っている。
大人ができることなのに、自分にはできないことがたくさんあるからだ。
そして、この劣等感のおかげで、幼い子供は努力を覚え、努力の結果できるようになったという達成体験もできて、なかなかできなくて挫折感を味わい、再度トライする精神を発揮したりと、いろいろな体験を積む。
そして成長する。
劣等感は、成長の源泉なんだよ。
◆劣等コンプレックス
劣等感と劣等コンプレックスは違う。
一般的には同じに扱っているけれども、アドラー心理学では、この点を明確に「違う」と説いているんだ。
そもそも、「劣等感」という言葉を最初に使ったのがアドラーだ。名付け親が「違う」というのだから致し方ないだろ?
素直に、その「違う」という説明に、耳を傾けてみよう。
「劣等感」は、僕たちが思っている通りのもの。
「劣っているなあ」という、そういう思いや思考だよ。
そして、この劣等感を「言い訳にする行為」を、
アドラーは『劣等コンプレックス』と名付けたんだ。
劣等コンプレックスとは、劣等感を抱きそれを言い訳にする行為
ということだね。
この、「言い訳にする行為」って分かるかな?
まあ、
なんとなくは…。
じゃあ、なんか例を言ってみて。
ええっと~、
僕は、ガリガリでチビだから野球部のレギュラーになれなかった、
って、こんな感じかな…。
そうそう。
そして、
「僕はブサイクだから女子にはモテない」
とか
「こんな顔だから、彼女はできっこない」
というのも、典型的な劣等コンプレックスだ。
完全に、言い訳にしちゃっているだろ?
◆不幸自慢
他にも、アドラー心理学には興味深い教えがたくさんある。
でも、これ以上は、『嫌われる勇気』、そのものを読んでもらった方がイイだろう。
まだ、出版されていないんですよね
ああ、この時空の層は、まだだったね。
でも、アドラーもアドラー心理学も、もう欧米では有名なんだし、図書館になら関連書籍があるかもね。
まあでも、この時空の層のタケルくんには、もう1つだけ解説を加えておこう。
「不幸自慢」という概念だ。
不幸自慢?
そうだ。
やがて大人になると、どこであろうと必ず、一定数の「不幸自慢者」が現れる。
やたらと「不幸」を自慢する人が、決まって現れるものなんだ。
代表例は、「病気」と「ケガ」。
他にも、「借金」や「貧乏」自慢も、良くあるねぇ。
あのね、タケルくん。
アドラーは、この社会において「赤ちゃんが最強だ」というんだ。
え?
赤ちゃんが最強?
そうだ。
赤ちゃんは、その弱さ、無力さゆえに、大人を支配しコントロールしていると、そうアドラーは分析する。
弱いから誰もが放っておけず、赤ちゃんが泣けば駆けつけて、オムツを替えたりミルクを与えたりする。
「不幸自慢」する大人は、この論理を悪用しているんだ。
意識してではなく、無意識での悪用だよ。
「私は、私なりに頑張っているのに、誰もそれを認めてくれない」
「この病気やケガさえなければ、私だって…」
と、このように嘆き、
「大丈夫? さあ、元気出して。リハビリを頑張りましょう」
という人物に、
「健康なあなたには、私の気持ちなんか分かりっこない!」
「放っといてよ!」
と、そんな風に言ったりする。
無力を、弱さを強調する。
そして、その無力さや弱さを使って、なんとか周りをコントロールしようと模索するのさ。
そして、自分自身にも言い聞かせるんだ。
不幸な病気ゆえに、だからこういう現状なのだ。
私が悪いのではなく、悪いのは病気なのだ。
あの人は、別に、偉くも素晴らしくもない。
なぜなら、私だって健康なら!
…分かるかい?
なんとなく、
お母ちゃんも、「自分は学校に行かせてもらえなかったから」って、
しょっちゅう言っている…。
不幸なことで、【特別な自分】であろうとする心理だ。
不幸なことを周りに理解してもらうことで、満足いかない現状でも、
「私は充分以上に、いや、人並み以上に頑張っている」と、そう訴えたい心理だ。
アドラーは心理学者であり、精神科医でもあったんだ。
「不幸自慢する人、劣等コンプレックスを抱く人は、その原因を解決しようとは、実は思っていない」
と、そう見破っている。
どういう意味ですか?
病気自慢している人の病気が治ってしまったなら、その人は、他者と、対等の競争に参加することとなる。
だろう?
あ、
確かに。
病気が治ったなら、もう病気を言い訳にできない。
お母ちゃんも、勉強して字が読めたり書けたりするようになったら、もう、それを言い訳にはできなくなってしまう。
お母ちゃんは、自分が不幸だった場合、言い訳として、
「継母に育てられたからだ!」
って、言いたいんだよ。
もう他界した継母を、いまだに恨んでいるのだろう。
復習のためにも、忘れたくないのかもしれない。
いいかい、タケルくん。
不幸自慢なんて、しちゃダメだ。
その手前の、劣等コンプレックスのうちに、心を見つめなおした方がいい。
◆あるアスリート
こんなケースがあったんだ。
オリンピックの日本代表を目指しているアスリートだ。
世界選手権で優勝した経験もある、一流アスリートだよ。
しかし、度重なるケガで苦しんでいる。
インタビューでも、「足が・・・」「でも頑張ります」と言っている。
可愛そうですね。
僕はそうは思わなかった。
なぜですか?
他の選手は、一切痛いところはないのだろうか?
あ、
あるかもしれない。
あるさ。大なり小なり、きっとある。
しかし、そのコンディションを整えることも『競技の一部』と、そう考えているとしたなら?
痛いうんぬんを語るのは、自分の努力不足を語るようなものだろ?
しかし、その選手は、ことさらケガのことを言うんだ。
僕が、テレビで何度も観たからね。
もう、分かるんじゃないかな?
あ、
ええ。なんとなく…。
「ケガがさえなかったなら」という言い訳が、この選手には【大事】なように見えてしまった。
おそらくは、もう、それを手放せなくなっている…。
100%勝つ気でいるアスリートは、ケガのことをマスコミには言わない。
コーチや監督にさえ言わない選手もいるだろう。
言うならば、出場を断念するとき。
出るのなら言わない。
この例に出したアスリートは、出場するのに「痛い」「ケガが」と言うんだ。
これはもう、本人が、心の奥で「今回は勝てない」と思っている証拠だよ。
◆恋愛における劣等コンプレックス
恋愛における劣等コンプレックスは、
「僕は○○だ。だから彼女ができない」
「僕は○○だ。だから彼女なんて、できっこないんだ!」
という、こういうセリフが代表例だ。
「僕は○○だ」
ここまでなら、それは劣等感だ。
この劣等感は、女子にとっては、別にタブーなんかじゃないんだ。
誰にだって劣等感は1つや2つあるんだし、その女子にも劣等感があって、「かえって気が楽でイイ」という考え方だってあるだよ。マジで。
ちなみに、○○に入るので多いのは、
①ブサイク
②太っている
③チビ
④性格が悪い
⑤体臭
⑥ガリガリ
⑦バカ
とかかな。
さて、現実を見渡してみよう。
ブサイクには彼女って、絶対にいない?
美女と野獣カップルを見たことあるだろう?
ブサイクでも彼女がいるヤツ、いたじゃん!
それが現実じゃないか。
「だから + 言い訳」が、劣等コンプレックスだ。
女子へのタブーは、劣等感を抱くことではなく、
劣等感を言い訳にする、劣等コンプレックスがタブーなんだ。
◆君は何を守る?
劣等コンプレックスを抱く男子は、自分の心を守ることに必死だ。
もう傷つきたくない。…分かる。
もう、情けない思い話したくない。…分かる。
僕にだってプライドがあるんだ。
みっともない思いはしたくない。
恥をかきたくない。
みじめな思いは、もう懲り懲りだ。
分かる。
分かる。
でも、
女子は?
女子を守ろうとは思わないのか?
何人も守る必要はない。
たった1人。
たった1人だよ。
自分が、好きで、どうしようもなく好きになってしまった、あの子は?
もし、だれも守らないのなら君が守らなくて、どうするの?
でも君は、君の心を守ることで手一杯じゃないか。
君は、大好きな女子を守ることよりも、
自分の心が傷つかないことの方が、大事なんだろ?
女子に、それが、もれ伝わっちゃっているぞ。
それが、劣等コンプレックスだ。
「だから + 言い訳」が、劣等コンプレックスだ。
「だから」に、対策や努力や工夫をくっつけろ!
「僕はブサイクだ」「だから、超、やさしくなる」
「僕はブサイクだ」「だから、性格を磨く」
「僕はブサイクだ」「だから、笑顔の練習をする」
「僕はブサイクだ」「だから、清潔王になる」
「僕はブサイクだ」「だから、勉強を頑張る」
「僕はブサイクだ」「だから、部活を頑張る」
「僕はブサイクだ」「だから、頭脳や精神力や体力を使って」
「僕はブサイクだ」「だから、とにかく『良い顔』以外、全部使って」
「僕はブサイクだ」「だから、なんならブサイクな顔まで使ってでも」
「僕はブサイクだ」「だから、君を癒すとか、君を笑顔にするとか」
「僕はブサイクだ」「だから、君を守る」
「僕はブサイクだ」「だから、君の笑顔を守る」
いくらでもくっつけられるぞ。
いいかい、タケルくん。
「どうせ」って付け加えちゃダメだぜ。
「どうせ、オレなんてブサイクだからさ~」っていう「どうせ」だ。
これは「不幸自慢」だ。
ブサイクを手放せなくなっちゃうぜ。
それにな。
このセリフは、使う人を本当に不幸にしてしまう、怖ろしい言葉なんだ。
もう一度問う。
君は、何を守るんだい?
◆美人にもコンプレックスはある
すごい美人には、美人の悩みがあるんだ。
イケメン男子の悩みなどは分析しなくてもいい。しかし、美人の心理分析はキチンとしようぜ。
なぜなら美人には、僕たちのようなブサイクな男にもチャンスがあるからなんだ。
むしろ、僕たちブサイクな男には、ブスの方が難攻不落だ。
ブスは、ブスとブサイクで、「情けない」やら「イチャイチャしても絵が汚い」とか、僕たちブサイク男と同じような心配を、真剣に抱えている。
将来生まれる子供のことを考えて、せめて配偶者はイケメンをと、真剣に願っている。
そのような、ブサイクへの「何がなんでも回避しなければ思考」というものは、ありがたいことに美人にはないんだ。
そして美人は、「私の心には関心がないの?」という、哀しい思いをしている。
全ての美人ではないが、確実に、何割かの美人はそうなんだ。
証拠となる映画もある。
『ハンサム★スーツ』という映画だよ。
2008年の映画で、美女が、自分の心に興味を抱く男性がいないことを真剣に悩んでいるんだ。
そして、美人の過去を想像してみよう。
男子には人気でも、女子にはどうだっただろうか?
リーダー的な女子に、「ふん、ちょっと可愛いからって…」と、難癖をつけられたかもしれない。
そうならないようにと、気をもんだかもしれない。
そして、「私は可愛いかもしれないけど、性格ブスなのかな?」と、思い悩んだかもしれない。
大人しい控えめな男子が好きな美人は、超~かわいそうだ。なぜなら大人しい控え目な男子は、きっと美人にはアタックしない。美人の方から告白しても、控え目ゆえに「僕にはムリです」と振りかねない。
まあ、また後のシリーズで、この点は詳しく語る予定だ。
話を戻そう。
美人にもコンプレックスはある。
コンプレックスは、誰にだってある。
コンプレックスがあるのは自分だけだなんて、そんな都合のイイ考え方はやめよう。
◆まとめ
①今、タケルくんが犯しているタブーは、女子目線で言うと、
劣等コンプレックス、だ。
②君は、ブサイク、チビ、ガリガリ、「だから」というが、
女子が見ているのはソコじゃない。
③そもそも、タケルくんの「ブサイク」「チビ」「ガリガリ」は、
「相対的」で、「絶対的」なものではないし、
「主観」であって「客観的事実」でもない。
④そして女子は無意識に、
「みんなちがって、みんないい」の精神を、心に抱いている。
もう一度言おう。
女子へのタブーは、劣等感ではない。
女子へのタブーは、劣等コンプレックスなんだ。
じゃあ、またな。
『いいかい、タケルくん』【タブー編】【6】
=== ここまでを、コピペ&推敲しサイトに投稿します ===
ブログサイト ↓
PS.
※この記事は12月にkindle出版する『いいかい、タケルくん』【タブー編】 ~ ブサイクで21年間彼女ナシの僕が「彼女なんて簡単にできる!」と、そう言い切れる理由 ~ の初稿です。
※この初稿を、推敲して専用ブログサイトに投稿します。
※さらに、対話形式に加筆修正してkindle出版します。
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第558話です。
※kindle本の『挿絵』を描いてくださるイラストレーターさんを募集中です
※もちろん、お仕事として、キチンと『報酬』をお支払いいたします
※かるいタッチが希望です
※クラレコが第1希望です
※6冊出しますし、表紙にも検討させていただきます
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