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子育て=第二のアオハルを生きるわたしの「書く」ことについて【自己紹介】

はじめましての方も、改めましての方も…

こんにちは。

瑞季マイミと申します。

今回は、自己紹介noteです。

少し長くなりますが、お近付きのしるしに、お時間あるときにちょろっとのぞいていってくださるとうれしいです。


∞∞∞∞∞

noteという新しい世界に足を踏み入れて約2カ月。ずっと書きたかったエッセイ的なものを書いている。

1983年生まれで、2019年現在、2018年11月生まれの三男の育休中。

早起きできた時や、息子たちがお昼寝している隙間時間に、そいやー!とばかりにnote執筆に取りかかる。

最近は夫の協力のもと、自分の時間がもてたときに、おりゃー!と書いたりも。

内容としては、自分や子どもたちの何気ない日々の出来事といったフレッシュなものから、自分の中で考えが煮詰まりすぎて発酵してそうなものまで…

私にとってnoteは、経験や考えたことを消化し、さらに昇華させるための大切なツールであり、しっかりと生活に根をはりつつある。

平均して週に2回程度、これまで合計して18note 公開してきた。


ここで、ふむーと立ち止まる。

実は、これまで自己紹介的なものを書いていなかったことに今さらながら気づいた。


当初から私のnoteを読んでくださっている方々は、2年半ほど続けているブログを読んでいたり、Twitter上のつながりがあったりして、大体の私の素性を知っていてくださることが多かったので、自己紹介っていってもなぁと思っていた。

でも、最近では「はじめまして!」と、noteを通じての出会いもあり、改めて自己紹介を書いてみたくなってきた。

勇気を出して、第2回note酒場への参加を表明したことも関係している。

note酒場で出会う方々に、自分は一体何者なのか、一体全体、どうやって説明したらいいんだろう?

今回は、そんな自分にとって振り返りの場でもある。

今のところ、私はnoteでエッセイ的なものを書いているので、今回「書く」ということにフォーカスした自己紹介的なことをしてみたい。

「書くこと」以外の私のプロフィール的なものはこちらのマガジン「プロフィール帖」にまとめてあります。


幼かったころ

小学生になる前、絵本が大好きだった。

そして、自分でも何か書いてみたい!と思い立った私の処女作は「野ねずみチッチ」という題名の絵がついた詩だったと思う(内容は忘れた)。

それを祖父母に絶賛され、とてもうれしく誇らしかったのはよく覚えている(今思えば、ただの孫フィーバー)。

それから、祖父にすすめられ、気まぐれに絵日記などもつけていた気がする。

そして、自分が思い描いた世界や、日々のこと、考えてることを「書く」または「描く」ということって、楽しいなぁ…!

それが、最初の純粋な想いだった。


はじめて賞をとる

小学校低学年くらいまでは近所にほとんど遊び相手がおらず、弟とばかり遊んでいた。自分でいうのもなんだけど、私は空想や妄想の世界で遊ぶ、それはそれは、おとなしい子どもだった。

だから、小学校にあがってもなかなか馴染めず、自分にも自信がもてなかった。

今思えば、自己肯定感の低さはここらへんから始まっている。


でも、小学校1年生の夏休みに転機が訪れる。

宿題で、はじめて本格的に作文というものを書いたのだ。祖母が元小学校教諭だったこともあり、指導してもらって書いたテーマは福祉作文。

当時、私のひぃばあちゃんが寝たきりで、祖母が中心となって12年間自宅介護していたので、それを題材にして書いた。たぶん、祖母からの熱血指導があったのだろう、思いがけずコンクールで銀賞をもらった。

小学校であまり自分をだせなかった私がはじめて賞というものをとり、

「認めてもらえた…!」

と感じた。

それは、生まれてはじめての感情。

幼稚園では気の強い友達の後ろで金魚のフンだった自分が、誰かより優れた点があるということがうれしくて、走り出しそうな思いだった。


優等生な皮をかぶる

そこから、いわゆる「優等生」という膜が私の体を覆いはじめた。

賞をとったり、学校の先生にほめられて学級だよりに載せてもらえることは「人から認めてもらえる」ということ。ここにいていい、ということ。

幼い私にとってはそれがすべてであり、自分の存在意義だったのだと思う。

どんどん「賞がとれそうな作文」「先生にほめられそうなテーマ」を選んで書くようになった。

もちろん、そこには嘘は書かないし、自分の本当の想いも混ぜ込む。でも、決して優等生のイメージがくずれるようなことは書かなかった。


一方で、小学校高学年〜中学生の頃は、小説やマンガを読むのも書くのも好きだった。

ノートに鉛筆で書いた簡単なものもあれば、祖父のお下がりのワープロ(ウィンドウが一行分くらいしかないやつ)でカタカタ書き上げたものもある。

内容は、少女小説や、少女マンガ、ファンタジックなものからギャグ系、恋愛ものなど…好きな小説やマンガを参考に、色んな分野で書いていた。

そして、書いた作品は同じような趣向の友人たちと回し読みした。

この時、みんなから

「おもしろかったよ!」

「続き、書いた?」

って言ってもらってワクワクした気持ちは、今noteでエッセイを書いて、みなさんが「スキ」を押してくださる、そんな感覚にとても似ている。

中には馬鹿にしてくる男子もいたけれど、そんなの全然へのかっぱだった。

好きなことを、好きなように書きたい!

考えていることを素直に表現したい!

その気持ちは、ここで発散していたのだと思う。


そして、中学校では『天使なんかじゃない』に憧れて生徒会活動に参加していた。残念ながら晃みたいなステキな男子は現れなかったので、なぜか自分が会長になってしまった。

一方で、その頃は「優等生だと思われたくない症候群」に苛まれていた。それまで、自分でさんざん、優等生ぶってきたくせに。

「本当の私はそうじゃない」と、脳内会議でもうひとりの私が抗議するようになった。脳内会議でもうひとりの私が叫び出したのは、なぜだか「ユーモアがあるひとになりたい」だった。

その結果、生徒会で書記だった友達のしーちゃんと漫才コンビを組んで、文化祭などのイベントで漫才を披露するというよくわからぬ方向に突き進んでいった。完全に、方向性を見失った。

でも、やはり今でもユーモアというものに強い憧れがあり追い求めている節がある。真面目なんだけど、ちょっとユーモアがある…そんなひとに憧れます。


さてその頃、生徒会活動での経験から思ったことを弁論大会的なもので発表する機会があり、結果的に全国大会で3位になったことがあった。

もちろん、心の底から思ったことを主張しさたのであり、嘘は一切なかったけれど…。やはり内容的にとても優等生でおもしろみに欠けている気がして、自分では納得いかなかった。

祖母はとても喜んで、いまだにその時のことを言ったりする。私は、そのあまりの優等生ぶりに忘れたい過去というか、小っ恥ずかしい思い出でしかないんだけれど、小さな頃に作文指導をしてくれた祖母への恩返しにはなったのかもしれない。


書けない

地方の公立進学校に進学した私は、急に勉強が難しく感じ、成績も下がり、劣等感のカタマリだった。

周りにはもっと優秀で上手に書ける子がいることもとっくにわかっていたし、晴れて優等生のレッテルはボロボロになってはがれて落ちた(ちなみに、漫才というお笑いへの道もあきらめた)。

教室は居心地がよくなかったので、放課後の剣道部での活動と、部活後にみんなで恋バナして盛り上がるのが私の高校生活の大半を占めた(そりゃ成績も下がるわけだ)。

だからこれ以上、優等生じゃない文章を書いたら、むしろ「ダメ」レッテルを貼られるのでは…という恐れから作文を書くのもこわかったし、コンクールなんてもってのほかだった。


久しぶりに書いたのは、浪人時代。大学受験のために通っていた予備校で小論文の講義を受けた時だった。

自分の本当の想いを書くことから遠ざかり、そもそも書くこと自体、感覚が鈍っていたし、講師からの評価はいつも散々だった。

何度本気で書いても、全然評価してもらえない。むしろ、論旨がずれているとお叱りを受ける。

書くことだけは、ほんのちょっと自信があったのに…。

その脆い自信は粉々に砕けて、私はその破片をパキパキと踏みながら、足に刺さる痛みには鈍感になっていった。とにかく、受験までは時間がない。忙しなくたんたんと受験準備を続けるしかなかったのだ。


仕事ではロボットみたいに読んで書いてる

大学卒業後、就職した現在の職場での仕事は、おもいきりざっくりいうとデータ加工である。

学術的な文献をひたすら読み、大事なところをデータ化する。文章を要約したり、その校正作業も。

でも、そういった仕事に感情は一切必要ない。

私はもともと読むのも処理速度も遅かったから、日々頭をフル回転させて、いかに効率よく処理するかに重点をおいてきた。

まるでロボットみたいに読みまくって、書いて、確認して…を繰り返した。


1日中、時には終電まで…機械的に頭を使うと、私のちっこい脳みそがオーバーヒートする。

湯豆腐みたいにグツグツになってしまった私の脳は、もう文字をみるのも書くのも拒否だった。

その結果、好きだったはずの読書からは遠ざかり、ますます書くことからも離れていった。


夫と職場結婚しても、働き方は相変わらず。

そんな中、長男を妊娠した。すこぶる健康な妊婦だったので、終電まで読みまくってパソコンに向かう日もあり、さすがに夫に怒られた。

当時の自分はそうして脳と目を酷使し続けることでしか職場での存在意義がないと思っていた。


出産後に育児休業をとった時には、初めての育児でいっぱいいっぱいだったので、育児日記も3日坊主だった。

長男が10ヶ月のとき、職場復帰。

6時間の時短勤務の中、仕事が遅い私は心身ともに限界に追い詰められた。正確には、こんなんじゃダメだ!と追い込んだのは自分なんだけれど。

職場では元気に振舞っていたけど、実際には文字をみると動悸が止まらなかったし、締め切りに間に合わないのでは…という不安テロップが3秒に1回は脳内を通過する。職場にいる間、笑顔の下でずっとずっと息苦しかった。


二男を妊娠したのはちょうどその頃。

働き方を見直したのでちょっと回復したけれど、こんな働き方はもう続かないと思った。

育休中、少し仕事から離れてみると、「読みたい」「書きたい」という気持ちがむくむく復活してきてちょっと安心した。

仕事で感情を抜き去って読む、書くということを続けてきたせいで、

心動かす文章を読み、書く

ということに、私はひどく飢えていた。


そこで始めたのがブログ。

育児しながら家事も回すことを目標に、生活を見直す系のブログを立ち上げ、現在も細々と続けている。

このブログのおかげで、少しずつだけど、生活や考え方を整えることができた。

やはり、書くことは自分を救ってくれるのだと再確認する。

最近は自分が本格的に読書を再開したのと、子どもの自立や家庭学習について興味の矛先が向いていて、それ関連の記事が多い。


noteとの出会い

時々、ブログでエッセイ的なものを書いたりしたこともあったけど、基本的に人気ブロガーになんてなれなかった私のエッセイなど好んで読みたいという人は少ない。

だからまた、だんだんブログにも書きたいことが書けなくなってきていた。


3人目の育休中、ブログ仲間だったヨリちゃんが、noteにステキなエッセイを書いていることを知った。

それには、ヨリちゃんが子育て中に感じていること、ひとりの女性として考えていることが、ヨリちゃんらしい優しくやわらかい言葉で綴られている。

私がいま書きたいのはこれだ!

ぴーん!と直感でわかった。

それでもグズグズとためらう私の背中を、ぽーん!とヨリちゃんと、これまたブログ仲間のくまみちゃんが押してくれた。


それから、スーパーマーケットのnoteが書きたい!と、まつしまようこさん

「あ、あの、スーパーマーケットのnote書いてもよいですか…?」

と、畏れ多くもDMでお伺いをたてたのだった。

その結果、大海のごとく心広き ようこさんのお計らいによって、note初心者にもかかわらず#スーパーマーケット まとめマガジンのピッカーをやらせていただけることになった。


それを皮切りに、同じくスーパーマーケットまとめマガジンのピッカーさんや、スーパーマーケット好きなnoterのみなさんに仲良くしていただけるようになった。

そして、本当にたまーにnote編集部のオススメ記事に選んでいただいたりもするようになった。


さらに、note公式育児まとめにもピックアップしていただけたnoteもあり、とてもうれしい。

これがこの2ヶ月くらいの流れなんだけれど、もう何年も前のことのような気がする。noteってワンダーランド!


noteでよかったこと

もちろん自分のブログでも、好きなことは書ける。だけど、ブログではなるべくテーマに合ったことを書きたいと思っているので、そうすると自分の感情の行き場がなく悶々とすることが頻発していた。

そんなとき、わーっと吐き出してもnoteは優しく受け止めてくれる。さらには、心優しいnoterさんがスキしてくれたりもする。

さっきも書いたけど、これって小学校高学年〜中学生くらいのとき、自分で書いた小説なんかを友だちが「おもしろい」って言ってくれたのにすごく似ていて…すごくデジャヴを感じる。

たぶん今、第2のアオハル=青春なんだと思う。

子育て中は、色んな壁にぶつかったり、子どもの可愛さにキュンキュンしたり…まるで青春時代みたいに言語化されない感情が日常に満ち溢れている。

自分の考えを脳内で反芻していると進歩がなく、堂堂巡りになってしまうけれど、アウトプットしながらさらに練っていく過程は、思考を深め、時として新たな発見があり、別の新しい視点を与えてくれる。


悩みつつも、全力で子どもたちと向き合い、行きつ戻りつな日常や思考の記録。

それは将来、何か壁にぶつかった時に読み返せば、前に進むヒントが隠されているかもしれない。

それに、子どもたちが大きくなった時、それを見返すのも今からのお楽しみ。


そういえば、作文やコンクールからは遠ざかっていたけれど、いまnoteという場では積極的にコンクールに挑戦してみたい気持ちでいっぱいだ。

それは、noteの世界にはとても優しい空気が流れていて、たとえ私が優等生じゃない素の自分をさらけだしたとしてもnoterのみなさんが寛容に受け止めてくれることがわかったから。

例えば、こちらのnote。

先日、三男がビニールの切れ端を誤飲してしまうという母としてやらかしたことを正直に書いたものだ。

以前の私なら、「こんなこと書いたら叩かれるかも…」と恐れていただろう。でもこの時は、私の意図するとおり、注意喚起と情報共有という意味でみなさんが拡散してくださった。


もちろん、たくさんのスキをもらったり、オススメ記事にピックアップされたり、コンクールで入賞することがすべてではないと思う。

けれども…やっぱり作った料理を自分で眺めているだけじゃなく、冷めないうちに腹ペコの誰かに食べてほしいし、おいしかったら「おいしい!」と感想もほしい。

文章も同じで、自分が納得して書いたものを読んでもらえたらうれしいし、「よかったよ〜」なんて言ってもらえたり、感想をもらえたらやる気も、文章力も上がっていく。

ひとつの目標やモチベーションとして、コンクールの入賞をめざしたり、みなさんに読んでもらえる文章を書くことは、むしろ必要なことなのだと今更ながら気づいた。

いい子ぶるわけじゃなく、そのままの自分で。

考えたことを、素直に表現していけば、それでいい。

15の私へ、書くことをあきらめるなと言いたい。

私はやっぱり、書くことが好きなのだから。


おわりに

自分の半生を反省してみたけれど、どうやら私の根底にある想いは、

書くのが好き!

なので、現在の私の肩書きは、

書くのが好きな育休中の男子3兄弟の母

です。


今後も、素直な気持ちで自分や子どもたちと向き合ったことを中心に書いていこうと思います。

そして、noterのみなさんの心揺さぶるnoteを読むのを心から楽しみにしています。

なかなかじっくり読む時間がとれない現状だけど、noteは私の書く場であると同時に、色んな方のnoteが読める最も身近なライブラリーでもあり、その穏やかな空間が大好きです。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


2019.7.30 瑞季マイミ

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