日々を生きるということ ~「大丈夫」って言いたくないけど、言っちゃう~
こんにちは。乳がん闘病中のまいです。
5月を半ばに右胸全摘出の手術を行い、
6月末からホルモン療法(女性ホルモンを止める薬を服用中)を開始、
再発防止のために10年は薬を続けてほしいと言われている、私の身体。
これって、なんて状態なんでしょうねぇ。
「治療中」だから、病気、なんでしょうねぇ。
体調は悪くないけれど。
私は自分が乳がんになったことは隠していないので。
コロナ禍も手伝って、結構人と会う機会が減っているのですが。
久しぶりに会った人から、
「大丈夫?」
「元気でしたか?」
と言われて、いつも、本当にいつも、返答に困る。
うん、乳がんになって、右胸を全摘したからって、体調が悪いわけじゃないんだ。
だから、「元気だよ」とも言える。
「大丈夫だよ」って、言っちゃう。
でも、薬の副作用(ほてり)が全くないわけでもないし。
精神的にもいつも元気だとは言えない。
病気の状態を受け入れているのかと言われると、はっきり「そうだ」とも言えない。
そういう意味じゃ、「大丈夫」とは、言えないのかも。
それでも。
相手から、
「元気?」「大丈夫?」
と問われると。
無条件に「元気!」「大丈夫だよ!」という返答を期待されているように、感じてしまう。
相手を心配させないために、
「元気だよ」「大丈夫!」って、言わなきゃ…!
私だって、病気になる前は、簡単に使っていた、この言葉。
暗黙の了解で、
「元気だったよ」「大丈夫だよ」
という返答を期待しているような。
もし。
私が。
「元気じゃない」「大丈夫じゃない」
と答えたら????
相手との関係性によりますね。
その先を、話せる相手なのか、どうか。
大体の場合、
相手は「元気だよ」「大丈夫だよ」を期待しているような、気がする。
無意識下、でね。
だから。
単なる「社交辞令としての挨拶」だと思って、
「大丈夫」「元気」って答えておく。
分かんないんですよ、自分でも。
自分が、「大丈夫」なのか、どうか。
「たぶん、大丈夫」が正確な気がする。
確信は持てないのです、私だって。
自分が病気になるとか、思いもよらなかったのだから。
「大丈夫」だという、確信だって、持てるはずが、ない。
そんなところまで、他人に慮ってもらえるわけは、ない。
特に、病気と縁の遠い、若い人たちにとっては。
まだ、若い人たちと関わるのが怖くて。
大学のゼミには顔を出していない。
私が手術して、卵子の凍結保存をして、体力と気力を回復していた半年の間に、
若い彼らは着々と勉強して自分の研究を進めていた。
それを目の当たりにするのがつらくて。
後期もゼミには参加していない。
いいよね、そのくらい。
今まで通りにはいかないよ。
私、病気になったのだもの。
無理は、しない。
ありのままの自分を受け入れるために。
どんなに忘れてても。
忘れたくても。
私の身体は切り取られてしまって、戻ることはない。(形を再建しても、それはただの形にすぎず、本来の機能は回復しないから)
体調が悪くなくても、私は薬を飲み続けなければならない。
「健康」って、何?
「病気」って、何?
私は今、「病気」なのですか?
毎日検温して、36度~36度5分くらいの間。
食欲もあるし、ちゃんと寝られてるし、特に不便もない。
それでも、薬を飲み続けなくては、ならない。
生理は、来ない。
妊娠も、出来ない。
普通に生活してたら忘れそうなくらい、些細なこと。
それでも私は、自分の人生を切り開きたくて、何とかもがいていく。