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表現教育が義務教育のプログラムにもっと組み込まれて欲しい話。

表現教育が、小学生の、義務教育のプログラムにもっと組み込まれてほしい。

これを最近、ずっと、強く思っています。

わたしは教育というジャンルに携わってまだ短いのですが
その短い間でも、生徒たちや教育の現場に触れ合う中で強烈に
「小学校から体験できた方がいい」と思うからです。
そしてなるべく平等に受けられる方がいい。
だから義務教育に組み込まれてほしい。

中学生からじゃ、高校生からじゃ、大人からじゃ、遅い。
だってそれまで傷ついて、頑張って、なんとかしようとして来ている。
それまでの間に、自分を表現する方法が見つけられなくて
自己肯定感は下がり続け、承認欲求だけが高まっている人がたくさんいる。
それは私も同じだったからよくわかる。

子どもたちと話していて
「もっと早く表現することに慣れていれば」
「もっと早く気持ちを誰かに伝えることができれば」
「もっと早く出会えていれば」
そう思うことが何度も、何度もある。
無性に悔しくなる時がある。

誰かと意見を交換することに慣れていないから、言い方で相手も自分も傷つけてしまう。
誰かに気持ちを伝えることに慣れていないから、うまく伝えられず伝わらず苦しんでしまう。

みんな方法がわからないだけ。
方法さえわかって、繰り返し失敗して、
失敗しても大丈夫またチャレンジできると思えて、
そうしているうちに身につく段階は早い方がいいに決まってる。

どうしてコミュニケーションは一生使うのに、
というか一生どうしたって必要なのに
英語や算数や国語のように教えることが難しいんだろう。
絶対に生きていくうえで必要なのに!!
必要ないならいいんだけど、人と関わることはどうしたってなくならない。
多分AIが発達したって、必要な唯一のこと。

ここから、自分の気持ちを伝えられなければ、
自分の考えを表現できなければ、
「社会」といわれる波に流されることしか、方法がわからない子たちが大変な思いをするかもしれない。
表現できたってさらわれてしまう波がある中で、せめて自分の気持ちに気づいて、発信できる。そんな状態でいられた方がいいじゃないかと、私は思う。
毎日流れるニュースを見ては、そんなことを考える。

私は表現教育でもっと義務教育の場と関わりたい。

子どもたちだけでなく、苦しんでいるのは大人たちも一緒。
必死に、子どもたちのことを考えている教育現場の先生方がいる。
未来の道をつくろうと、けど現状を変えるのがなかなか難しく
試行錯誤している先生たちがいる。

その中で、私は自分含めて、「大人だってもっとコミュニケーションについて学べた方がいい」と思う。
わからなくなることがたくさんある。
どう伝えれば伝わるのか、道が見つけづらい時がある。
もっとお互いの気持ちを伝え合うことができれば、
もっと子どもたちの気持ちに耳を傾けることができれば。

私は演劇の中で、インプロの中で学んだことがたくさんあって
生きている中ではわからなかったことがたくさんあるので
その中で楽しみながら、何度も繰り返して表現に慣れていければいいなと思う。

そんな未来に近づくように、少しずつでもいいからやっていきたい。
けれどまだまだわからないことばかりだし、経験も少ないし、
たくさんたくさん、先輩方のいろんな人の話を聞いたり、
一緒に考えたり、力を合わせたりしたい。
だからみなさま、今後ともよろしくお願いしますm(__)m

今後、わたしも短い経験ながら教育現場の中で感じたことを
プライバシーを守りながら、少しずつ書いていきたいなと思う。

どうしてもプライバシーが気になって書けないことばかりだけど
このまま私の気持ちに留めておいてどうするんだ!
と感じたので、急にこんなことを書いてみました。

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