日本の心の精髄たる?“武士道”。その歴史の検証
引用 知恵袋
これは当たり前なので深く考証は致しませんよ?
当時の武士はついさきほどまで実戦で殺し合っていた殺人の達人たちであり、しかも科学技術の上でも戦国期には鉄砲は世界一の水準で質量をそろえていた。
仮に世界最強のフェリーペ二世率いるスペイン無敵艦隊が、もし日本に上陸したとしても、単に全滅したか、あるいは慌てて船に逃げ帰ることになったと思われます。
千人の輸送能力がはたしてあったのかどうか?
■戦国期の日本の武士道は世界一。どんなものなのか考証して見ましょう。
どんなものか?
■夜討ち朝駆け
必勝の為の戦い方であり、やらなければやられる。
○寝込みを襲う
○夜陰に乗じる
○寝首を掻く
■刈り働き、焼き働き (青田刈りの元の意味)
敵の領地に夜間に兵を送る。その狙いは収穫を間近にした畑や田の作物である。
刈ってもいいし焼いてもいい。もちろんこれをやられた方はかなりやる気をなくす。
また夜間に民家を焼くのも焼き働きです。
■御恩と奉公
褒美にもらった領地にふさわしいことをしなければならない。
そして武士である奉公人の家族は人質です。
もし寝返るなどのことがあれば、その家族ははりつけにされて焼かれます。
その火は他の家族につけさせる。とても残虐であり、忠臣蔵の風景とは違いますね?
■歴史上最強武士の時代、妻や女は?
実は戦闘にも出ていた。「女武者」。夫の影を踏まずというのちの女性像とは違い、かなり野蛮ですね。
子が幼い時は後家が出ました。旗本の家とはだいぶ違います。そして強い。
※こんな人たちに襲われたらスペイン人が生きて戻れる保証はないでしょう
今日想像する武士道と比較すると、卑怯で野卑だといえます。
■“武士道”の手本の江戸の武士は?
江戸期三百年、武士は、武士道とは死ぬことと見つけたり。と道徳的思索にふけりだした。仕事は?というと江戸の役人となっていた。
家の女性たちは上品に文机まで三歩下がってお茶を運んでくる。
(※但し戦国期の女性は女武者)
武士たちはゆったりとお茶をすすりながら墨に筆をなじませ、庭先に目線を送る。
美しい挙措動作と振る舞いに唸りますね。
あやかりたいものですが、ご存知のように “武士道とは死ぬことと見つけたり” あるいは名誉と礼儀と誠だ、などといいながら、思弁的にはその境地に至った。美しいです。そしてあるいは仁(愛)にして勇。
しかし江戸旗本八万旗は山口と薩摩の農兵に大敗しました。
特に意外なことはない。
“侍ジャパン”ときくと弱そうで負けそうな気がするんですよね個人的には
武士道が力説されだしたのは明治の後期です。
突然に国際化した明治の日本で日本はある壁に突き当たった。
無宗教というと未開人と思われてしまう。
仏教は弾圧しているしアニミズムなどと言おうものならますます蛮族と変わらない。
そこで新渡戸稲造は知恵を絞ったのである。そして武士道の国という新伝統ができた。それが真相の一つであります。
では。
何かの形で社会に還元します。あるいは次回の無料記事に。でも水準保証の返金付きですから安心して、胸躍らせてどうぞ。