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復興屋さん

初めて会う人に必ず訊かれること。
「なんで福島に移住したんですか?」

話せば長い訳なのですが、端的に言えば、
「ボランティアではなく、仕事として東北復興に関わりたいと思ったから」

そのことに関しては、以下のnote「おきてがみ」に詳細を書きました。

福島で「暮らす」ということ〜移住5年目、ようやく言葉にできました

実際に移住してみたら、支援ではなく、生活者としてこの福島県浜通りに関わりたいという気持ちが強くなって、今に至る訳なんですが、そういうことはちょっとの会話で伝えることはなかなか出来ない。

先日、冒頭の質問をされて、復興支援の仕事で5年前に福島に移住して、今もメインの仕事は復興関係です、と伝えたところ、
「あぁ、復興屋さんなんですね!」と言われたのでした。

全く間違ってない。
私がこちらに来てからの給料は、ほぼ全て国や県の復興予算から出ている。
いくら、福島が好きになって、浜通りの魅力を伝えたいからライターやってますと言っても、メインの収入は、復興予算なのだ。「復興を食い物にしている」と言われても否定出来ない。

だからこそ、そこから離れてからのこれからが勝負で、この5年間「復興屋さん」で蓄積してきたことが他でも通用するか、もっと言えば「復興」を売りにしない仕事が出来るか。

まだ復興予算が残る、2019年。
福島から聖火リレーが始まる東京オリンピックの、2020年。
東日本大震災から丸10年の、2021年。

この3年が、最後の勝負。
原発被災地・福島、から47都道府県のひとつの福島へ。

そして個人としては、支援に来てくれた有難い人から、単なる移住者へ。

でもこれからが、更に楽しくなる、と思ってるし、信じてる。
(日々ひーひー言うことになるのは目に見えてるけどね)

※カバー写真は、2019年4月に全面再開(オープン)する、サッカーナショナルトレーニングセンターJヴィレッジ。目に見える、復興の姿のひとつ。

#復興 #福島 #311 #2020 #移住

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